第三百九十話 大氾濫の日 悪魔の囁き
アクロシア王国の南に設置された総司令部には、各地から朗報がもたらされていた。少なくともフォルティシモの協力を受け入れた大陸各国は、モンスターの無限沸きに対処し、防衛を成功させている。
そしてフォルティシモの大氾濫対策、アクロシア大陸都市化作戦も順調に推移していた。
大氾濫は地上を洗い流す津波なんかではない。生存圏の奪い合い、すなわちNPCとモンスターの拠点攻防戦なのだ。
「フォルティシモ様、作戦は順調に進んでおります」
フォルティシモはラナリアから大氾濫の状況を聞いた時、総司令部で腕を組みながら椅子に座っていた。
テーブルに広げられたアクロシア大陸の地図には、奪還した領域が次々とマークされていて、大陸の人々の圧倒的優勢が告げられていた。
「信じ、られませんっ。魔物から世界を奪い返せるなど!」
「素晴らしい! あなた様こそ、本当の神でございます!」
「ぜ、是非! 次の領土奪還は我が国へ! どうか!」
大陸各国の将軍や外交官たちは、口々にフォルティシモを褒め称えた。
「上手くいっているようだが、油断するな」
総司令部に報告に来た者たちは、フォルティシモの言葉に息を呑むのが伝わって来る。
フォルティシモでさえ油断していない、と勘違いしているのだろう。フォルティシモの戦いは始まってさえいないので、油断どころか緊張が高まっていく。
フォルティシモは情報ウィンドウを開いて、信仰心エネルギーFPの溜まり具合を確認する。大氾濫が始まってから、その数値は爆発的に上昇していた。
この勢いであれば、そろそろ作戦を更に次の段階、すなわち太陽神ケペルラーアトゥムとの対決準備へ入っても良いだろう。
そう考えた瞬間、ピアノから緊急事態を知らせる連絡が入った。
『フォルティシモ、マズイことになったかも知れない』
「何があった?」
◇
その問題が発生する直前、ピアノは『浮遊大陸』でデーモンたちと共に作戦の次段階を待ち構えていた。
『浮遊大陸』の山脈エリアの麓は、兵舎や訓練場など軍の駐屯地さながらの建物が建造されている。
この駐屯地にデーモンの中から<暗黒の光>のチームメンバーや戦うことの出来る者たち、そしてそれを補佐する後方要員がやって来ていた。
ピアノはその駐屯地で、老人デーモングラーヴェと共に行動している。
予想では、太陽神はオフラインRPGのボスのように馬鹿正直に一人か少数でフォルティシモたちを迎え撃つことはない。己の配下に加え、システムで作成したNPCやモンスターなどの大軍を引き連れてくる可能性が高い。
VRMMOファーアースオンライン的に表現すれば、レイドボスモンスター太陽神は大量の取り巻きを伴って出現する。だから大軍相手にフォルティシモが消耗させられないように、取り巻きを相手取る戦力は重要だ。
その役割がピアノやデーモンたちとなる。
課金アイテム白壁兵舎Aの一室で、ピアノと老人デーモングラーヴェ、そして幾人かのデーモンたちは膝を突き合わせていた。
「ははは! 我らの千年は無駄ではなかった!」
「うむ! これならば母なる大地を取り戻せよう!」
「油断はいかん。かの女神が、更なる戦力を用いる可能性もある」
「構わぬさ。例え我らが全滅しようとも、天空の魔王が女神を撃滅するまでの時間が稼げれば良い!」
デーモンたちは千年間、遊んでいた訳ではない。太陽神を倒すために情報を集め、様々な準備を整えていた。
そんなデーモンたちの情報から、太陽神軍のおおよその戦力が算出されている。その戦力は『浮遊大陸』に集まったデーモンたちやエルフ、元奴隷たちなどNPC全員が“全滅を覚悟すれば”時間を稼げるものだ。
だからデーモンたちの表情は明るかった。最低でも戦士たちが全滅するだけで、千年の悲願が達成されるのだから。
「お、お前らな。これじゃ、角付きは捨て駒じゃないか!」
ピアノは今になって初めて、彼らが命を捨てて時間を稼ぐ作戦を提示していたと知り、彼らに対して文句を言っていた。
「皆を生かし、母なる大地を取り戻すために命を賭ける。これ以上、何が必要か?」
「フォルティシモは、私は、お前たちを犠牲にするために、助けてる訳じゃないっ」
「ピアノ殿」
憤るピアノに対して、老人デーモングラーヴェや他のデーモンたちは冷静そのものである。彼らはまるで孫でも見ているように、圧倒的な実力者であるピアノを諭す。
彼らの多くは、数百年から千年以上生きている。ピアノの青さが、眩しいのかも知れない。
「我らは<暗黒の光>だ。暗闇に差す光。太陽以外の光を求めた我らにとって、この戦いは光そのもの。どうか、その光を奪わないでくれまいか?」
脳神経接続子剥離病で指一本動かせなかったリアルワールドのピアノは、両親にこれ以上迷惑を掛けたくなくて、生命維持装置を外して欲しいと願い、命を落とした。だから許せない。
「わ、私が言いたいのは、そうじゃ、ない! なんで、生きるために戦わない!? まだ少し時間はある。フォルティシモにも伝えて、その間に、作戦の再考を」
「その時間があるのであれば、天空の王フォルティシモを支援し、一パーセントでも勝率を上げるべきだろう」
「然り。今、雑事でかの王を煩わせるべきではない」
「自分たちの命が、雑事だって言うのかよ!」
死相、なんてものが見えたとしたら、ピアノは彼らにそれを見ていた。
「ぐ、グラーヴェ翁! た、大変です!」
兵舎の一室へ一人のデーモンがノックもなしに入って来る。伝令兵らしきデーモンは、ピアノを見て一瞬だけ息を呑んで、それからグラーヴェへ言葉を続けた。
「運営機能を、誰かが勝手に使ったようです!」
「なんだと!?」
グラーヴェが目を見開いて立ち上がる。
「運営機能って、あまり良い気のしない言葉だな」
ピアノはただならぬ雰囲気を悟り、気持ちを切り替えた。本当はデーモンたちの命を捨てる作戦についての話が終わっていないと追及したいけれど、グラーヴェと他のデーモンたちの表情がそんな場合ではないと教えてくれる。
「言いづらいことか? 言ってくれないと対処のしようがない」
「我らには、万が一のためにとクレシェンドが遺した、対プレイヤーの切り札がいくつかある」
フォルティシモやピアノと戦うためにも使える切り札。それを伝えなかったデーモンたちの気持ちも理解できたので、今それを追及するつもりはない。彼らはホーンディアンに残した民間人のために、対抗策を隠しておきたかったのだ。
「その一つを使われたってことだな? どんなものが使われたんだ?」
「【運営からのお知らせ】だ」
「は? 運営からのお知らせって、なんだそれ」
「【運営からのお知らせ】は、この神々の遊戯に生きる者たちへ、言葉を伝えるための機能だ」
「いや、意味はなんとなく分かる。全人類への宣告なんて、リアルで考えれば、とんでもないチート技なのは理解できるんだが、それで何を慌ててるんだ?」
グラーヴェは少しだけ躊躇ったけれど、疑う余地のない言葉で答えてくれる。
「この大氾濫、勝利しても敗北してもNPCたちが消えてしまうことが、世界中に伝わってしまった」
「なるほど」
ピアノはすぐに状況を理解した。
「その仕込みは、神戯の勝利条件を達成した者への攻撃方法なんだな?」
世界の終焉が宣告された。
もうすぐ世界が消滅する事実は、人々から信仰を奪う。
たとえばあと一ヶ月で巨大隕石がぶつかって世界が終わると知った者たちは、どうなるだろうか。僅かな者たちは神に祈るかも知れないけれど、多くの者たちは自分か自分の愛する者のことだけを考える。
人は神をどこまで信仰できるのか。
まるで試されているかのようだった。