第三百八十八話 大氾濫の日 発生
アクロシア大陸において魔物出現のメカニズムは、解明されていない。
魔物は環境に適応した進化が見られることも少なく、人間以外の生物を襲うことも滅多にない。他の生物のように交配して子孫を残すものも稀にいるが、ほとんどが光と共に突然産まれる。そして自分たちの縄張りから出ることは基本的になく、また種族間で個体差がほぼない。
アクロシア大陸の学者たちの間では、魔物は人間が放つ魔力に感情が呼応して現出するとか、大陸には脈のようなものが通っており大自然の魔力が影響しているとか、動物の中に突然変異で魔力を持つ個体が生まれたとか、様々な説が提唱されていたが、どれもが信憑性に欠けるものだった。
その中で、聖マリア教が教える説は遙か昔から支持されていた。
魔物は神からの試練。
そしてそれが洪水のように発生する大氾濫は審判である。
四日四晩、どこからともなく無限に魔物が生まれて人間へ襲い掛かる。
大氾濫は始まりと同時に、地上が一斉に光り出す。光が集まって魔物が出現するため、まるで地上が光っているかのように見える。
光が収まる頃には、無数の悪夢が始まろうとしていた。
◇
『浮遊大陸』の南、広野のエリアには多くのテントが立ち並んでいた。テントの数は数十にも及び、大きな旗の掲げられたテントを中心として蜘蛛の巣のように立てられている。
この陣営は、大氾濫の最中、アクロシア大陸の国々の情報を効率的に収拾するために組んだものである。
テントの一つ一つには天空の国フォルテピアノと同盟を結んだ国の代表者が待機しており、自国の者たちと状況を共有しているのだ。そして事態が大きく動けば、中央のテントへ連絡を入れる手筈となっている。
情報が集約される中央テントは、総司令部と呼べる場所となる。
そこにはフォルティシモ、キュウ、エンシェント、セフェール、ラナリアに加え、手伝いを申し出てくれたエルフたちの姿があった。
「フォルティシモ様、大氾濫の発生が報告されました」
アクロシア大陸における最悪の災害、大氾濫。
フォルティシモは最強の力で大氾濫からアクロシア大陸の人々を守ろうと考えていたけれど、今のフォルティシモには思うがままに暴れられない事情ができてしまった。
この大氾濫の最中に【最後の審判】が始まる。フォルティシモたちは【最後の審判】のために力を温存しなければならない。
だから出来る限り、大氾濫への対応はアクロシア大陸の人々自身の力でおこなって貰いたい。
もちろん同盟や大陸歴訪で、可能な限りの協力はした。
その結果が現れる。
◇
大氾濫が始まった瞬間、<青翼の弓とオモダカ>は『浮遊大陸』ではなくアクロシア王国の王都の防衛線に居た。
彼らはフォルティシモに返しきれないほどの恩義がある。だからフォルティシモが望めば、『浮遊大陸』の防衛に加わるつもりでいた。
しかしフォルティシモは、アクロシア王国を守るように言ってくれた。
<青翼の弓とオモダカ>は全員がアクロシア王国出身で、家族や友人はほとんどアクロシア王国に居る。それを守るのに否はない。
そんな中、カイルはアクロシア王都の北側で、ギルド依頼を受注した冒険者チームのリーダーを任せられた。
本来、この大氾濫という災害時は冒険者にとって儲け時である。だから冒険者ギルドからの依頼なんて格安の依頼を受けるのは、指名依頼の入らない低級冒険者のはずだった。
だが今年だけは違う。指名依頼を蹴って、カイルの元に多くの冒険者が集まってくれた。
もちろん正確にはカイルではなく、フォルティシモだ。
天空の王フォルティシモに媚びたい者、直接間接問わず助けられた者、大陸の冒険者の未来に敏感な者など様々。しかし共通しているのが、彼らの士気の高さである。
天空の王フォルティシモの冒険者贔屓、鍵盤商会の質の良い魔法武具や魔法薬、各地に生息する魔物の正確な分布と情報を手に入れた冒険者たちは、かつてないほど自信を持っていた。
彼らは大氾濫で発生した魔物へ立ち向かう。
カイルはフォルティシモから貰った板状の魔法道具で、魔物の討伐状況を確認する。板状の魔法道具には簡単な地形と、魔物数や種類などが表示されていた。
フォルティシモやその親友ピアノは情報ウィンドウなる力で、いつでもどこでもこんな情報が見られるらしい。
「西側が遅れてる! 誰か行ってくれ!」
「カイル! 誰かって指示じゃダメでしょ!」
幼馴染みの女性エイダが、カイルに寄ろうとする魔物を強力な魔術でなぎ倒しながら注意をしてきた。周囲を見回して、誰に指示すれば良いか分からず、結局は曖昧な指示を送ってしまう。
「西側は固いのが多く出現しているみたいだ! 魔法が得意なパーティー! 頼む! 炎が弱点らしい!」
「俺たちに任せろ!」
「引っ込め! 紅蓮の魔女と呼ばれたアタシに任せな、カイ坊!」
板状の魔法道具の情報を付け足すと、元々軍のトップダウン的な作戦を嫌った冒険者たちは我が意を得たりとばかりに、連携を取ってくれる。
カイルは先輩冒険者たちの熟練の連携に頭を下げた。
その後のカイルは地図と地形を見比べながら、急いでフォルティシモに指定された確保地点へ向かう。
そこには大型の魔物が待ち構えていた。真っ黒な体毛に赤い線の入った背甲、頭には鋭い触角、八本の長い足を持つ、体長三メートルはあるだろう巨大な蜘蛛。
カイルの走る先に、一人の少女が割り込んだ。身長ほどもある大剣を振り回しているのは、カイルの現パーティメンバーであるサリスだ。彼女はカイルを援護するというよりは、倒すべき相手を見つけたように笑っていた。
「ブレイズソード!」
サリスは巨大蜘蛛へ向けて、炎を纏わせた大剣を振り下ろした。剣術と炎魔術の複合魔技が巨大蜘蛛を脳天から真っ二つにする。
巨大蜘蛛の身体は炎に包まれて、光の粒子となって消え去った。
「デモンスパイダー討ち取ったり!」
サリスは振り向いてブイサインを見せる。
大氾濫発生から十時間ほど経った頃、カイルたちは初の休憩に入った。カイル、サリス、エイダの三人は、用意された食事を囲んだ。食事をすぐに済ませて、少しでも休まなければならない。
<青翼の弓とオモダカ>は特別で、パーティーメンバーの六人を半分に分けて前線で戦っている。他の冒険者に比べて<青翼の弓とオモダカ>は圧倒的に高レベルというのもあるが、板状の魔法道具を扱える冒険者がカイルとフィーナしかいないためである。
カイルたちもパーティを分割することの危険を理解していたが、それは冒険者たちからのフォローを貰うということで請け負うことにした。
大氾濫に関しては、パーティーメンバーそれぞれに思いもあるから役に立ちたかったのだ。自分たちさえ良ければ、それで良いなんて思うパーティーメンバーは一人も居なかった。
ちなみにカイル時間が攻撃寄り、フィーナ時間が防御寄りの布陣となっている。
カイルは出された食事を味合うことなく口の中へ放り込み、水で一気に流し込んだ。緊張や疲れで普通に食べられる気がしなかった。
サリスは緊張なんて何のそのでパクパクと美味しそうに食べているが、エイダは食事に手を付けようとしない。
「エイダ、早く食べて休まないと」
「ねぇ、カイル」
「なに?」
「私たちが故郷を出た日のこと、覚えてる?」
なんでこんな時に、という言葉は、エイダの手が震えているのを見て飲み込んだ。
「よく覚えてるよ。有名になって、一旗揚げてやるって」
「これが」
エイダは口許に手を当てて何かを我慢している。戦っている時は必死で気付かなかった思いが溢れ出てくるようだった。
「これが、有名になるって、こと。頼りにされる冒険者になったから。みんなが、死ぬかも知れない怪我を負いながら、私たちを守ることが!」
「エイダ………今は休むんだ」
カイルはエイダをテントに寝かせてから、テーブルに戻って来る。戻ると、サリスが五人前の食事を平らげていた。
「サリスは全然気にしないんだな」
「私はあの日、覚悟を決めましたから」
伝説の冒険者にしてギルドマスターガルバロスの娘ノーラと、聖マリア教の大司教の娘フィーナの幼馴染みであるサリス。彼女の覚悟はきっと、カイルやエイダのそれとは比較にならないものなのだろう。
話をしている最中、カイルの板状の魔法道具から音が鳴り響いた。
まずその音を止める方法を探し、それから音が鳴った理由を調べる。逆であるべきだったけれど、カイルは頭の中に鳴り響く警報のような音に冷静ではいられなかった。
板状の魔法道具はフォルティシモのメッセージだった。もちろんカイル一人へ向かって送信されたメッセージではなく、仲間たち全員へ向けての告知だ。
「作戦が第二段階へ移るみたいだ」
「もう二度と、大氾濫が発生しない世界を作るって、フォルティシモさんが言ってましたからね」
「きっと叶うよ。フォルティシモは、嘘は吐かない」




