第三百七十六話 フォルティシモの憂鬱
キュウが女神マリアステラの世界へ行くため光の扉を潜った時、フォルティシモは屋敷で太陽神への対策を練っていた。近衛天翔王光の遺産の中にその糸口があると考え、光子メモリに記録された膨大なデータを精査して検討していく。
フォルティシモがその作業に集中できたのには訳がある。
フォルティシモはキュウへ女神マリアステラから情報を引き出す仕事を任せた。キュウもやる気になっていたし、キュウを信じるべきだ。だが、これまでの経験からフォルティシモと離れたキュウが誰かに襲われる可能性を考慮しない訳にもいかなかった。
セフェールとリースロッテを同行させても、まだ心配だったので、つうにまで頼んだ。
それでも安心できなかったので、キュウの状態を二十四時間体制でモニタリングするスキル設定を作成しようとしたところで、エンシェントから「ストーカーだぞ」と言われて、我に返った。
我に返って、冷静にキュウの状態を二十四時間体制でモニタリングするスキル設定を作成した。
ストーキングスキル設定はあくまでも保険で、キュウが帰って来たら削除する予定である。もし何かあればキュウが怪我をする前に、つう、セフェール、リースロッテの誰かがメッセージか音声チャットをコールしてくれるだろう。だから安心していたのだ。
しかしその予想に反して、そのスキル設定がキュウの消失を確認しアラートを叫び出した。
「どういうことだ!?」
フォルティシモの情報ウィンドウ、異世界ファーアースへ来て新しくできた従者タブの中に、いつもあったキュウの名前は、灰色で表示されている。それはフレンドリストのログアウト状態に似ていた。
「セフェ! 何が起きてる!?」
『フォルさん、キュウがぁ、想像以上に頑張ってしまったようでぇ、マリアステラさんと太陽神様からぁ、神様の世界へご招待されてしまいましたよぉ』
「なんで止めなかった!」
『私はぁキュウを止めようとはしたんですけどねぇ。でもあれ以上はぁ、その場で太陽神と戦いになりましたぁ』
フォルティシモは頭を横へ振って、セフェールに当たってしまった自分を反省する。
「悪い。苛立った。詳しい状況を教えてくれ。キュウは一人で、その神様の世界とやらへ行ったのか?」
『つうさんが追い掛けたのでぇ、私も端末を向かわせましたがぁ、通信は途絶しましたねぇ』
今のセフェールの本体はクレシェンドの身体だった亜量子コンピュータで、それはデーモンたちの街ホーンディアンにある。
そのためセフェールは、クレシェンドが持っていた機能のいくつかを使えるようになっており、分身セフェールを幾人か産み出して仲間たちや世界各地へ散らせていた。セフェールはその分身を端末と呼んでいる。
「つう! リース! フィーナ! 状況を報告しろ!」
フォルティシモは情報ウィンドウの従者の中で、キュウと行動を共にしているはずの三人へ音声チャットをコールした。しかし誰からも返答はない。
最強の従者つうが負けるなんて予想外にもほどがあるし、並列処理を究めたリースロッテならばたとえ戦闘中でも応答するはずだ。
『サンタ・エズレル神殿にあったぁ、『神前の間』って覚えていますかぁ? イベント空間扱いみたいですねぇ。リースと<青翼の弓とオモダカ>はぁ、囚われて脱出できないみたいですよぉ』
「エン! ダア! ラナリア! 後のことは全部任せる! 俺はキュウを助けに行く!」
彼女たちは今のフォルティシモを止められないと分かっているから、誰からも文句は出なかった。
【転移】を使う時間さえも惜しいと考えたフォルティシモは、権能【領域制御】を使った文字通りの瞬間移動で、サンタ・エズレル神殿の『神前の間』の前へ降り立った。
そこにはエンジェルの男が立っていて、彼は『神前の間』の閉まりきった扉を呆然と見つめている。フォルティシモがやって来たことに、気が付いていないようだったので話し掛けた。
「キュウはどうした?」
「貴様、あの獣の仲間か!」
> 領域『超天空座』に
「ああ、もういい。峰打・打撃」
フォルティシモの拳がエンジェルの男の頭を打ち抜くと、エンジェルの男は吹き飛んで床をゴロゴロと転がっていった。
フォルティシモはエンジェルの男がどいたのに満足し、『神前の間』の扉を開こうとした。キュウが行方不明になった場所であり、リースロッテと<青翼の弓とオモダカ>が囚われているはずだ。
しかしフォルティシモの意に反して、扉はうんともすんとも言わない。
「セフェ。開かない、ぞ」
『今スキャンしましたぁ。おかしいですねぇ。近衛天翔王光さんの遺産を精査してもぉ、この先にMAPはないみたいですよぉ』
「神域・征討!」
分析して調査している時間も惜しいと考えたフォルティシモは、領域を制圧する権能を使い無理矢理に『神前の間』の扉をこじ開けた。
扉は人一人分が通れるような隙間が開かれたので、その間へ身体を滑り込ませる。
『神前の間』では奇妙な光景が広がっていた。
<青翼の弓とオモダカ>たちが土下座の姿勢のまま固まっていて、リースロッテだけが光の扉が浮かぶ中空へ向けてパンチやキックを繰り出し続けている。
「リース!」
リースロッテはフォルティシモに気が付いて、駆け寄って来た。
「キュウとつうとセフェが私を置いて行った」
『いやぁ、あの状況ならぁ、光の扉に入ってみるでしょうぅ? そしたら端末が消えちゃったんですよぉ』
「キュウとつうが私を置いて行った」
「リースのせいじゃない」
フォルティシモはリースロッテの主張をフォローして、彼女が指差した光の扉を凝視する。
VRMMOファーアースオンラインでも見たことのないエフェクトだった。セフェールから聞いた話によれば、女神マリアステラはキュウには入れて、リースロッテには入れないと言ったらしい。事実、リースロッテが何度かアタックしているようだが、何かが起きる気配はないようだった。
「俺が入れると思うか?」
『思いますねぇ。ただしぃ、罠へ飛び込むようなものになると思いますがぁ』
「上等だ」
フォルティシモは光の扉へ突入―――できなかった。
フォルティシモは勢い良く飛び出したため、光の扉の先にある壁にぶつかってしまう。
「お、い」
『あ、あれぇ? おかしいですねぇ。予測ではぁ、フォルさんはぁ、入れると思ったんですけどぉ』
未知の現象に対応できなかったセフェールを責めても仕方がない。フォルティシモはすぐに考えを巡らせた。
状況的にキュウ、女神マリアステラ、太陽神は光の扉を使えた。フォルティシモ、セフェール、リースロッテは使えない。つうは不明。
フォルティシモは情報ウィンドウの従者のデータを閲覧した。つうとキュウの状況を確認すると、共通して灰色になっていることから、同じ状況にあると判断する。
「つうは、入れた可能性が高いな」
『だとしたらぁ、後入れるのはエンさんくらいですかねぇ』
「あまり考え無いようにしていたが、マリアステラのことを考えると、そうだろうな。おそらくリアルワールドでの情報を持ち、かつ神戯参加者ではない者しか、この光の扉は潜れない。キュウは特別だ」
『キュウのこともぉ、考えるべきですよぉ。とにかくぅ、エンさんを呼びますかぁ?』
「念のため、もう呼んだ。タマも一緒だ」
フォルティシモはエンシェントと狐の神タマがやって来るのを待ちながら、光の扉を睨み打開策を検討する。
『まぁ、楽観的に考えるのであればぁ、何事もなく戻って来る可能性もありますがぁ』
「マリアステラだけならな」
フォルティシモは女神マリアステラとのやりとりを思い出す。彼女はキュウを人質に取ったり、神戯から脱落させるために溺愛する娘夫婦を殺したり、そんな“つまらない戦術”は用いない。
最強、無敵、絶対、言葉は何でも良い。女神マリアステラには、フォルティシモと同じ己へ対する自負がある。
だが太陽神は違う。かの太陽神は目的のためならば、あらゆる戦術を厭わないし、それを止められる者も居ない。
「太陽神はキュウを殺す」
フォルティシモ―――近衛翔の目の前で、両親を殺したように。
「それだけは絶対に」
状況はまるで違うけれど、何故か幼い頃の記憶が呼び起こされた。
誘拐人質事件の日、幼い近衛翔は何もできず、ただ流されるがままに両親を失った。
近衛翔は弱かった。最強のフォルティシモとは違う。
「セフェ、処理をサポートしろ」
『はいぃ? 何の処理をですかぁ?』
「魂のアルゴリズムを使って、新しいAIを造る」
『今、新しいAIですかぁ? まさかぁ』
フォルティシモは【領域制御】を発動した。
「スキャン開始、対象は、俺だ」
フォルティシモは自らの魂のアルゴリズムを造り出していく。
産み出されるのは、自分の記憶データと人格を持ったAIフォルティシモ。
テディベアを産み出した時に比べて、フォルティシモの能力は格段に向上しているし、情報処理の面では桁外れとなったセフェールがいる。創造されるのはあっという間だ。
「いいか、俺。死んでもキュウを助け出せ」