第三百七十五話 イカロスの翼
キュウへ向かって太陽神ケペルラーアトゥムの腕が迫る。その時のキュウは、全身を捻ってキュウに引っ付いている女神マリアステラを遠慮無く盾にしていた。
「あははは! キュウ、いいよ!」
太陽神ケペルラーアトゥムは攻撃を止めた。思った通り、彼女は女神マリアステラへ攻撃ができない。
このまま女神マリアステラを盾として持ち運べば、意外と逃げ切れるかも知れない。
だが、先ほど聞こえた【クエスト】は、そんな攻略方法だろうか。【クエスト】が何たるかは、里長タマが主人へ発行した一回しか知らないけれど、その一回でキュウは主人の背中を見ているのだ。
「マリアステラ様、申し訳ありません!」
キュウは引っ付いている女神マリアステラを掴むと、太陽神ケペルラーアトゥムへ向かって、投げつけた。
「あははは!」
女神マリアステラは抵抗すればできただろうに、キュウに任せて投げられてくれる。
太陽神ケペルラーアトゥムは驚いたようで、女神マリアステラを大切な宝物を受け取るように優しく抱き留めた。
「我が偉大なる神よ!!」
「ナイスキャッチ、らー」
「ああっ! お怪我は!?」
「………怪我? らーは、私が、私の世界で怪我を負うと思ったんだ?」
「っっっ! 申し訳ございません! 我が偉大なる神をご不快にさせてしまった罪! この存在で償います!」
「許す。いや、そうなんだ。私が怪我するかも知れなかったんだよ。ああ、キュウは最高だったよ。だから、私は、思わず結末を見ちゃった………………らー、楽しんで来てよ。キュウとの戦いを」
「それは、あの獣をここで焼いても構わないと、仰るのでしょうか………?」
「もう結末を見て楽しんじゃったから、あとは、ここでキュウを消し去っても良いよ」
キュウは女神マリアステラを太陽神ケペルラーアトゥムへ向けて投げつけた時点で、部屋から駆け出していた。
先ほどは素通りさせてくれた使用人たちがその行く手を遮る。キュウの耳なら誰も居ない通路を選び、やり過ごすことも可能だったけれど、それは危険過ぎると判断した。
【クエスト】の制限時間は三十分と言われたし、時間を掛ければ太陽神ケペルラーアトゥムが追って来る。
キュウは廊下を強く踏みしめ、速度を上げる。何人かはそれだけで追って来られなくなった。
使用人たちの中でも足の速い者、窓の拭き掃除をしていた六枚の翼を持つ男がキュウへ追いすがった。宗教画に出て来そうな男性の両手には、バケツと雑巾が握り締められている。
「瞬間凍結!」
キュウの魔術が発動、しなかった。
「どうしてっ!?」
キュウが驚いている内に、六翼の男性がキュウへ向かって踏み込む。
武器もない。魔術は使えない。ならば真似をするのはサンタ・エズレル神殿で少しだけ見たつうの動きだ。相手の動きを先読みして最小限の力で制圧する。
六翼の男性はキュウの頭へ向けてバケツを振るった。
キュウは何とも言えない気持ちになりながら、裏拳でバケツを叩き落とし、その勢いのまま六翼の男性を床へ叩き付けた。
「馬鹿なっ、NPCではないのか!?」
「そうです!」
六翼の男性が気絶したのを確認し、キュウが廊下を再び走っていると、今度はエンジェルの女性が立ち塞がる。エンジェルの女性は錫杖でも持っているのかと思ったけれど、持っているのはモップだった。
エンジェルの女性は床を磨いていたモップをクルクルと回転させ、遠心力を使ってキュウの足を狙い振り下ろす。
キュウは足へ力を込めて、モップを蹴り上げた。モップは真っ二つに折れてしまう。
「蹴りで折った!? 人間の力じゃないっ」
「そ、そうでしょうか?」
キュウの知っている冒険者たちなら、モップを折るくらい誰でもできそうだ。たぶん木製だし、たとえ鉄製でも魔物よりは固くない。
キュウは蹴り上げた勢いで飛び上がり、かかと落としでエンジェルの女性の頭部を打ち抜いた。キュウの体重では威力を望めなかったけれど、予想外に効果があり、エンジェルの女性が廊下に倒れる。
その後も使用人たちを撃退しながら、巨大建造物の出口へ向かって走り続けた。
キュウは内心で安堵していた。使用人たちは、何故か掃除道具で戦う上にあまり強くない。サンタ・エズレル神殿で戦ったエンジェルの男性並みの強さだったら、二対一になっただけで敗北しただろう。
巨大建造物の出入口は、使用人たちによって塞がれていた。机や家具で塞いだだけの簡易なバリケードである。
「どう、なっている!? まるで、遊戯盤の力を持ち込んでいるとしか思えん!」
「偉大なる星の女神の世界で、なんという不遜を!」
「あれは、違う。駆け上がっているのだ。神へ」
魔法道具は失ったけれど、いつもより身体が軽い。
魔術も使っていないのに、思い描いた通りに動く。
キュウの背から、黄金の光が湧き上がった。
アルティマが使う敵を薙ぎ払う巨大な光の尾。それと同じものがキュウからも産み出された。アルティマは九本もの光の尾を操るが、キュウは一本だけという差はあるけれど、この場で使える武器を得たのだ。
黄金光の尻尾を振るう。
封鎖された出入口を、使用人たちごと吹き飛ばした。
「ごめんなさい!」
手加減をしたので誰も死んでいないだろう。キュウは彼らの状態を確かめる余裕はないので、謝罪をしながら壊れた出入口から外へ飛び出した。
外は変わらず青い空に、太陽が輝いている。
キュウへ向かって光り輝いている。
光。
キュウを狙い撃ちにする光は、神の杖と呼ばれる兵器に酷似した攻撃だった。
太陽光を凝縮して放たれる、あらゆる生命を消滅させる光の射撃。太陽神本体が顕現するのに比べて、狙った位置をある程度絞って攻撃できる。
ただし大きな弱点もあった。
太陽から地上まで約一億五千万キロメートル。それは光速でも八分半ほどの時間が掛かる超々遠距離だ。発射から着弾までの時間こそが最大の弱点。
もちろんその弱点である時間は、約一億五千万キロメートル先から発射された瞬間を察知できた場合であり、一般的な生物は気付いた時には光によって消滅する。
だがキュウの黄金の耳は、八分半前には攻撃を察知していた。
太陽の神威がキュウを消し去る直前、走馬灯のように記憶が蘇る。
主人と初めて会った時、主人はキュウへ【魔王】となるように願った。
その方法は天使たちを倒すこと。キュウはこの女神マリアステラの世界へ来てから、大勢のエンジェルを見掛けた。
そして神戯のシステムでは、勝利は相手を殺すことではないらしい。主人が憤っていたから、よく覚えている。
この世界で暮らすエンジェルは何人だろうか。百人や千人では留まらないだろう。エンジェルたちは女神マリアステラと仲良く歩くキュウへ、何を思っただろうか。
キュウは偶然、“その条件”を達成した。
> 【魔王】へクラスチェンジしました
キュウの中へ生まれた新しい力【魔王】は、キュウの中にあった【神殺し】と溶け合う。
神の世界では異世界ファーアースの力は使えない。だから先ほど魔術が発動しなかったし、魔法道具の数々は持ち込めなかった。
ならばキュウの使う力は、キュウ自身が産み出した力だ。
キュウは空へ向かって手を突き出した。
「三重六連水晶碑」
六本のオベリスクが、空中に建造された。オベリスクたちはキュウを守るように六芒星を描く。
それが三つ。三つの六芒星は空中へ立体的な魔法陣を形成した。
「空堕」
八分半後、太陽光は地上、キュウへ降り注ぐ。
しかし超重力空間が、太陽光を受け止めた。
受け止めただけではない。
歪曲させた太陽光で狙うは―――太陽神ケペルラーアトゥム。
キュウは黄金の耳で捉え続けていた太陽神ケペルラーアトゥムの居場所へ向かい、神の杖を弾き返した。
◇
地上四百階の巨大建造物の一室が、光線によって貫かれる。
凝縮された太陽の熱と光であり、およそ生き残れる生物など存在しない。それどころかほとんどの物質が昇華してしまう。だから部屋の中はすべて消滅していた。
だがそれを正面から受けたのは、生物ではなく神。絶大な神威を持つ太陽神ケペルラーアトゥムである。
太陽神ケペルラーアトゥムは、火傷や怪我どころか衣服に煤さえも付いていなかった。
太陽を滅ぼすのは、人には不可能。
伝説も天才も最強も、太陽の前には等しく塵。
それを証明するかのような光景だった。
「我が偉大なる神よ。御言葉、確信いたしました。少し、楽しくなって参りました」
太陽神ケペルラーアトゥムは、立ち上がる。
今までも立っていたけれど、立ち上がったのだ。
世界が揺れた。
◇
キュウは神の杖を弾き返した結果、太陽神ケペルラーアトゥムがまったくの無傷だと分かった。
規模が違う。
神戯を争うプレイヤーのことごとくが、児戯で遊ぶ幼子でしかない。
そう思わせるほどの絶対的な存在感。
本当にそうか?
マリアステラの世界、神戯、未世界、ファーアース、クエスト、神の試練、権能、領域、神殺し、エンジェル、マリアステラとの出会い、影隼、白き竜神、虹の瞳、黄金の耳。
太陽の一撃。それを受けても一切の傷を負わない太陽の女神。
様々な情報がキュウの頭を駆け巡った。
その瞬間、見つけた。
「倒せ、ます。ご主人様なら、ケペルラーアトゥム様をっ!」
キュウは太陽神ケペルラーアトゥムの攻略法へ到達した。
それを感じたキュウの足は、止まるどころか早まった。
キュウはこの世界へやって来た時に通った光の扉を目指していた。砂浜には光の扉が変わらず浮かんでいて、あれに飛び込めば試練を達成して元の世界へ帰れる。
だが。
キュウは太陽神ケペルラーアトゥムに出会ってすぐに感じた悪寒が、再び全身を駆け巡ったのに気が付いた。
遅すぎたのだ。
「進化しているな。加速度的に」
「………ケペルラーアトゥム様」
「お前は聴覚という方法で未来を観測し、選択している。強い力だ。お前のその力は、間違いなく、私たちと同じ域へ到達している」
光の扉の前に、太陽神ケペルラーアトゥムが立ちはだかっていた。
「だがお前は所詮人間だ。聴覚以外は人相応、そして身体、特に脳の処理能力はそこまででしかない」
キュウはこの女神マリアステラの世界へ来てから、自分の中の“何か”が今までには考えられないほど強大化するのを感じていた。
しかし太陽神ケペルラーアトゥムは、遙か太古の昔からその域へ達している。彼女から見れば、キュウなどようやく歩き始めた赤子に過ぎない。
キュウが選択した未来、そのことごとくは太陽神ケペルラーアトゥムに照らされた光の中。
過去、現在、未来を自在に羽ばたくための翼は、大いなる太陽の前に―――。
キュウの耳が四方八方が光に包まれる未来を聞き取った。その光の中でキュウは全身を焼かれ、主人に気に入って貰えた耳も尻尾も焼き尽くされ、骨も残さずに消えてしまう。
失敗。耳の力を過信した。
「キュウ、足りない。その程度じゃ足りないよ。キュウもここで終わりか。つまらない―――ああ、私は本気で残念だと思ってる。楽しいことがすべてなのに、何よりも優先するべきなのに、つまらない」
誰かの声が聞こえる。
キュウが聞きたいのはそれではない。
キュウが聞きたいのは只一人。
キュウが聞きたいのは愛しい人の声。
神思うが故に神在り。
「―――キュウ!」
キュウは抱き締められていた。
キュウを抱き寄せていたのは、ここには居ないはずの人。
主人のために仕事を全うしたかった。主人に迷惑を掛けるなんて以ての外だった。だから今、主人の手を煩わせてしまったことを恥ずべきであり、反省と後悔をしなければならない。
「申し訳、ありませんっ! でも、でもっ! ありがとう、ございますっ!」
そして伝えなければならない。キュウの知ったすべてと、太陽神ケペルラーアトゥムを倒す方法を。




