第三百七十三話 扉
その瞬間、『神前の間』の水晶が一斉に輝きだした。大いなる神の降臨を祝福しているように見えるけれど、事実がそうではないと分かる。抑えても抑えきれない光が部屋中の水晶に乱反射して輝いているのだ。
大陸の一画を消滅させた光が、キュウたちを襲うのを幻視する。
しかし予想とは異なり、水晶の床に膝を付いた人影が出現しただけで終わった。
人影は褐色の肌の美女で、見た目の年齢だけなら二十代後半から三十代前半。背丈は跪いているにも関わらず分かるほどに高い。服装はゆったりとしたローブを身に着け、頭にヒジャブを巻いている。
「我が偉大なる神よ」
褐色の肌の美女が声を上げると、キュウの全身に冷たいなんて生易しいものではない悪寒が走った。
それはキュウだけではなかったようで、セフェールとリースロッテがそれぞれ動き出していた。二人は今にも褐色の肌の美女を攻撃しようとしているのだ。
「待ってください!」
しかしキュウは、二人の行動を制止した。ここで戦っても、絶対に勝てない。
「らー、まずは自己紹介しておいて」
「畏まりました」
褐色の肌の女性は立ち上がり、キュウの正面へ向き直った。
「私はケペルラーアトゥム。お前たちが太陽の女神と呼ぶ存在だ」
キュウはその様子から大まかな事情を察する。太陽神が女神マリアステラと仲間だと思ったけれど、違ったのだ。
太陽神ケペルラーアトゥムは、女神マリアステラの―――。
「我が偉大なる神の従属神が一柱である」
従属神。
「じゅ、従者みたいなもの、でしょうか?」
「我が偉大なる神よ。質疑にも答えるべきでありましょうか?」
「らーに任せるよ。らーとは敵同士だろうからね。ただし、遊戯盤に関する質問には答えてあげて。私からのプレゼントなんだから」
「我が偉大なる神の御言葉、承りました」
ちなみにこのやりとりの間、女神マリアステラはキュウを抱き締めながらキュウの耳へ頬ずりしていた。
「あの、ご主人様のご両親を殺したのは、マリアステラ様の指示なのでしょうか?」
「んー、それは見方次第かな。私は従属神たちへ、細かい指示を出すことはないからね。魔王様は目的だけ伝えて、後は従者へ任せるよね。それとおんなじ。こういうところ私は魔王様に似てるでしょ?」
女神マリアステラは主人と出会った時に、主人と似ているのだと何度か繰り返していた。
「だから近衛天翔王光を脱落させたのも、そのためにアースへ干渉したのも、魔王様の両親が殺されたのも、らーの独断とも言える。でも、らーは私のためを思ってやってくれたから、私の責任だとも言える」
今のキュウと一緒だ。キュウは主人のために、主人の役に立つために行動をしている。
けれど、その方法が誰かを殺すことだったら?
キュウはつい先ほど、エンジェルの男性を瀕死の状態まで追い込んだ。もし彼を殺していたら、エンジェルの男性の家族はキュウをどう思っただろうか。
理解できてしまった。
主人の両親を奪った太陽神の行動原理を。
「………ではケペルラーアトゥム様から、この世界を、神戯が終わった後も残す方法を、教えて頂けるのでしょうか?」
太陽神ケペルラーアトゥムは、何の迷いもなく答えてくれた。
「この遊戯盤、ファーアースは私が創造した。欲しいならば、神戯が終わった後はくれてやろう」
「くれて、え?」
「あはは! あははははは!」
キュウは女神マリアステラにスッポンのように吸い付かれているので、直ぐ傍から笑い声が聞こえてくる。
尻尾の毛をくるくるされた。主人に褒められた日から、毎日ブラシで整えているので弄らないで欲しい。
「私の被造物の権利を譲るだけの話だ。あとは好きにすると良い」
「え、ちょ、ちょっとま、待ってください! 被造物とか、権利とか、どうやってとか、分からなくてっ」
「我が偉大なる神は、遊戯盤に関する以外の質疑には答える必要はないと仰られた。知りたいのであれば、己で調べるが良い」
キュウは女神マリアステラにぐちゃぐちゃにされた尻尾の毛並み分くらいは、丁寧に説明をして欲しかったけれど、太陽神ケペルラーアトゥムには通用しそうもない。
いや意外と通用するかも知れないと思い直し、自分の尻尾と女神マリアステラの顔を見比べてみた。
「ごめんごめん、キュウの尻尾の手触りが面白くてさ。めちゃくちゃにしてみたかったんだよね。らー、私の謝罪分くらいは教えてあげてよ」
「我が偉大なる神からのご命令、恐悦至極に存じます」
女神マリアステラの従属神、太陽神ケペルラーアトゥムは言われるがままの人形でも馬鹿でもない。主人の従者と比べたら、エンシェントかセフェールに相当するような重鎮だと思われる。
ただ違うのは、エンシェントやセフェールは主人に対して色々と意見を述べるし、主人を良い方向へ導こうとしているけれど、太陽神ケペルラーアトゥムは女神マリアステラを絶対視して従順である点だ。
女神マリアステラは無敵だから、その行動を誰も咎めないし、その命令を疑うこともない。
「お前に分かり易く噛み砕くと、私が創造したファーアースは、常に信仰心エネルギーを消費している。これまでは、私がそれの維持をして来た。我が偉大なる神が望んだ神戯を千年の時間、開催するためだ。当然、神戯が終われば用済みとなる。そのまま削除するべきだが、お前が信仰心エネルギーを使って維持するのであれば、私はファーアースのすべてを譲ろう」
「それじゃあ! ご主人様が信仰を集めればっ!」
「私が譲ると約束するのは、あくまでお前。それも神戯が終わった後の話だ。お前の言うプレイヤーは必ず脱落する」
主人が太陽神ケペルラーアトゥムに殺されたら、キュウへ異世界ファーアースを譲ってくれる、という。そんなこと認められるはずがない。
「ち、違いますっ! そうじゃなくて、ご主人様が、この世界の人々を救う方法を聞きたいんです!」
「お前は状況を理解していないようだな。我が偉大なる神よ。よろしいでしょうか?」
「いいよ。あははは、そうか。だからか。意識的、無意識的にしろ。ここに来た理由はそれだったんだね」
「我が偉大なる神の慈愛を抱き、感謝せよ」
太陽神ケペルラーアトゥムが右手を掲げると、『神前の間』の水晶たちが異常な輝きを見せた。キュウが異常、としか表現できなかったのは、水晶に映っているのが、真っ黒な何かに白い文字が流れていくような光景だったからだ。
そして眩しいほどに光輝いていた『神前の間』が、唐突に薄暗くなってしまう。部屋全体の光量は変わっていないように見えるが、その光が反射を繰り返すことで一つの場所へ集められているのかも知れない。
そこに現れたのは光の扉だった。
主人たちの使う【転移】のポータルに近いけれど、あれは渦のような波が立っているのに対して、光の扉は揺らぎ無く存在している。
「付いて来るが良い」
太陽神ケペルラーアトゥムが光の扉を潜ると、いつか見た光と共に消えてしまった。
キュウは急いで追い掛けようとして、誰かに服を掴まれたことに気が付く。振り返るとリースロッテがキュウをじっと見つめながら服を鷲づかみしていた。
「リースさん」
「危険過ぎる」
「分かっています。でも、今しかありません。ケペルラーアトゥム様が話をしてくれる機会は、今だけです」
「ああ、ちなみに、この扉、魔王様の従者リースロッテは入れないよ。なんで入れないのかは、キュウが入れば分かる」
力強く踏みしめたキュウの足が、弱々しいものへ変わった。代わりと言うようにリースロッテの手に更なる力が籠もる。
「リースさんは、入れないんですか?」
「うん」
「あの、えっと、まずはご主人様へ連絡を」
「分かってると思うけど、魔王様がいないから、らーと話ができるんだよ。タマに気付かされて、ここまで来たんでしょ? 必要なのは勇気とか覚悟とか、あやふやなものじゃない。観測して選択するんだよ」
キュウが黄金の耳をピクリと動かす。
「リースさん、大丈夫です。ですから、行って来ます」
何故かリースロッテの力が弱まったので、キュウはそのまま光の扉を通過した。
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◇
リースロッテは、呆然と自分の手を見つめていた。
全力で力を込めていたはずだ。任務が失敗になったとしても、ここでキュウを行かせるなんて有り得ない。
なのに突然、力が入らなくなって手を離してしまった。
「ん?」
さらに不可思議なことに、『神前の間』の様子がおかしい。
具体的には、つうとセフェールの姿がなかった。
「置いて、いかれた?」