第三百七十二話 全視のパラドクス
神前の間に居るキュウの目の前に、女神マリアステラが降臨した。
水晶の上に立つ金髪の少女は、頭にピンクのリボンを付けて綺麗な刺繍の入った白いワンピースを着ている。しかし何よりも目に留まるのはその虹色に光る瞳で、この瞳に見つめられただけで恐怖を感じずには居られない。
キュウが女神マリアステラと出会うのはこれで四度目である。回数だけ見れば慣れても良さそうなものだけれど、女神マリアステラが目の前に現れるだけで全身が萎縮してしまうのを感じた。それほどまでに彼女の瞳は異質なのだ。
「マリアステラ様」
キュウは来てくれた感謝と共に早速用件を伝えようとして、周囲の状況に気が付く。
<青翼の弓とオモダカ>の面々は地面に頭を付け、女神マリアステラを決して見ようとしない姿勢を取っている。それはエンジェルの男性と同じだった。
<青翼の弓とオモダカ>は全員が聖マリア教を信仰しているけれど、それはあくまでも冒険者としてのルールや医療を担う者たちへの敬意の範疇。聖マリア教の神官であるフィーナだって、最近は聖マリア教よりもキュウの主人を信じている様子だったはずだ。
それなのに今、彼らは全身全霊で女神マリアステラへ敬服している。
ちなみにつう、セフェール、リースロッテは、主人の屋敷で出会った時と同様に特別な仕草を見せていない。
「フィーナ、さん? どうしました?」
キュウの問いかけにフィーナはまったく反応しなかった。キュウの耳で聞いても、フィーナへ言葉が届いているのか分からないほどだ。
反応しないのではなく、できないのではないだろうか。
「らーが創ったNPCが、私の前で勝手に動くなんてない」
女神マリアステラは笑みを浮かべながら、フィーナへ神託を下す。
「許す。キュウが聞いているんだから、答えてあげなよ」
フィーナは女神マリアステラの許可があって初めて口を開く。
「こ、この御方が、偉大なる、女神、マリアステラ様っ。キュウさん、違う。違うんです。問いかけるなんて、そんな、恐れ多いことを、してはなりません!」
いつものフィーナではない。土下座の姿勢のまま、決して女神マリアステラを視線に入れないよう答えていた。
フィーナたちからは偉大なる星の女神の“視界に入ってしまった罪”を悔いているような雰囲気さえ感じられる。
「あははは、狂気に飲まれたみたいな反応だ。あ、キュウは知ってる? 魔王様とゲームとかやらない? 私はゲーム大好きなんだ」
フィーナの様子は気になるけれど、ここで女神マリアステラを無視するのは絶対にしてはいけない。
「カードゲームとか、あとラナリアさんがやっていたチェスとかは、やりました」
「チェスかぁ。二人零和有限確定完全情報ゲームは、私が全力を出すとクソゲーだからなぁ。でもキュウとなら? いやないな。コイントスを引き延ばしてもね」
キュウは女神マリアステラから尻尾をさわさわされ、再び身体を硬直させる。しかしその緊張を振り払い、女神マリアステラへ問いかけた。
「マリアステラ様、よろしいでしょうか?」
「用事だったね。何の用?」
「この神戯についてです。神戯が終わったら私やNPC、この世界にあるものが消えてしまうルールだと聞きました。マリアステラ様なら、消えないようにする方法をご存知ではないでしょうか? ご存知であれば、教えて頂きたいです」
太陽神のことも重要だけれど、当初の目的である神戯の終了によって世界が消えてしまうことも重要だ。キュウが主人から任された仕事を全うするためにも、まずはこの情報を得る必要がある。
「ああ、なるほどね」
女神マリアステラはうんうんとキュウへ同意するように頷いてくれた。予想外の好感触にキュウの気持ちが明るくなるが、すぐに覆されてしまう。
「どうしようかな。うん。これだ。遊戯盤を救う方法はね」
「はいっ」
「教えてあげない」
女神マリアステラの虹色の瞳はキュウを貫き続けている。
キュウは大丈夫、予想の範囲内だと、自らへ言い聞かせた。
キュウは気持ちを落ち着けて、自分を交渉材料として使おうと決める。主人が聞いたら絶対に怒られるだろうけれど、女神マリアステラが動いてくれたのは、主人とキュウが関わることだけだ。
主人を交渉材料にするなんて以ての外なので、キュウ自身を使うしかない。最初から分かっていたことだ。
「で、でしたら私と、マリアステラ様の勝負は、どうなるのでしょうか?」
「その勝負に、遊戯盤の消滅が何か関係ある?」
「勝負が付いた時には、私は消えてしまいます」
未だに女神マリアステラの虹色の瞳はキュウを貫き続けている。
「だから?」
「え?」
「なるほど、キュウはこう言いたいんだ。私とキュウの勝負を成立させるには、キュウが生きていなければならない。だからキュウを助けるため、私に遊戯盤を救えって」
女神マリアステラは勝負の相手として、キュウを見てくれている。だから勝負の決着が付くまではキュウを守るし、こうして交渉や質問にも答えてくれるのかも知れない。
だが、勝負が、終われば、キュウの消滅などどうでも良いのではないだろうか。
「なら私はこう言うよ。キュウとの勝負は、この神戯が終わった時点で決着が付く。その後、遊戯盤が消えようが、何が消えようが、私に関係ある?」
女神マリアステラはすべてを見通すから、策謀による交渉は無意味。
だから主人は二度目の邂逅で、女神マリアステラとの交渉を一方的に破棄したのだ。
今回のことはキュウが言ったから、キュウへ任せてくれたけれど、交渉能力に長けた従者を誰も付けてくれなかったことからも窺い知れた。主人、エンシェント、ダアト、キャロル、ラナリア、誰が来ても同じだからだ。
それでも女神マリアステラの虹色の瞳はキュウを貫き続けている。
キュウはここへ来て、女神マリアステラに感じていた恐怖の輪郭を掴む。
女神マリアステラは“無敵”なのだ。
戦えば絶対に勝利する“最強”の主人とは、対偶の存在と言うべきだろうか。
見えないものはないと言う虹色の瞳の前では、あらゆる存在が同じ舞台に上がれない。
これが神だ。
真なる神だ。
ああ、誰も届かないはずだ。
神は賽を振らず、ただ選択するのみ。
キュウは奥歯を噛み締め、耳と尻尾を逆立てた。
ここで弱気になるのは“キュウ”ではない。
キュウは“キュウ”だ。主人ならきっと―――“運営”への罵詈雑言を口にしながら苛立つ。
「マリアステラ様は間違っています」
キュウは女神マリアステラと四度も出会い、会話をしている。そんなNPCは過去、誰も居なかっただろう。そして里長タマによればキュウは“到達者”だ。神戯を得ずとも神の領域へ到り達し、女神マリアステラへも届き得るらしい。
「私とマリアステラ様の遊戯は、その程度で終わるのでしょうか? 勝敗が決して、マリアステラ様が負けて終わりでよろしいのでしょうか?」
キュウと女神マリアステラの戦いは、主人と女神マリアステラの支援する者、どちらかを勝たせる遊戯だ。
その勝負、キュウの考えでは、キュウが圧倒的に有利である。
主人は最強だ。
つまりキュウと女神マリアステラの遊戯は、キュウが絶対に勝つ。それはもうキュウの中では確定事項だ。
―――キュウの黄金の耳は、女神マリアステラの虹色の瞳を捉える。
しばらくの間、キュウと女神マリアステラは視線を交わし、音を聞き合った。
そこにあるのは二人だけの世界。
到達した者だけが見える領域。
女神マリアステラがその虹を輝かせた。
「ははっ、キュウ!」
女神マリアステラは満面の笑みを見せる。さらにキュウを抱き締めて、耳や尻尾や身体をわしゃわしゃした。
「あ、あの? マリアステラ様?」
「良い! 良いね! キュウ最高! ちゅーしても良い? しちゃう!」
何故かキュウの頬にキスされた。突然のことで焦ったけれど、なんとか唇は守れた。大丈夫、キュウは主人以外に許していない。
この交渉で最もドキドキしたかも知れない。
「な、何を」
「ああ、魔王様とキュウは本当に最高だよ」
また頬にキスされる。
「い、意味が、よく分からなくて………」
女神マリアステラはキュウを解放して、踵を返すと天井へ向かって両手を開いた。
「キュウにだけ特別に教えてあげる。私は、見えないものがないって言ってるけど、あれ嘘だから!」
「はぁ………………え?」
「だって、見たいものが見えないんだよ」
女神マリアステラは子供のように笑う。
「私は私が見えないものを見たい」
本当に、楽しそうに。
「だから、神戯を主催したんだ」
そして再びキュウへ近寄って来て、キュウを抱き締めた。
「ああ、魔王様とキュウなら見せてくれる。確信した! だから出血大サービス! 私が不利になるけれど、紹介しちゃう! らー! ログインして!」
ぞくり、とキュウの背筋に冷たいものが駆け巡る。
冷たいのに、余りにも温かくて、絶望的に熱い何かが。
> ケペルラーアトゥムがログインしました
「この遊戯盤を創造した太陽神、らーだよ! 遊戯盤を救いたいなら、直接話せば良いよ。さぁキュウ楽しんで。楽しさはすべてに優先されるから」