第三百七十話 超天空座 前編
主人たちの言うところの、VRMMOファーアースオンラインの『イベント空間』。外部との連絡が遮断され、条件達成か時間経過でしか脱出できない世界が、キュウたちを取り込んだ。
キュウは主人たちから『イベント空間』の仕様についてある程度は聞いているものの、その知識は充分ではないし、実践の経験は二回だけで、どちらも主人に付いていただけなので実質的にはゼロに等しい。
キュウはすぐに周囲を確認した。
領域『超天空座』は雲海の上にいくつかの山が見える空間だった。眼下は雲に覆われていて、地上がどうなっているのかは分からないけれど、キュウたちは雲の間から見える山々の登頂部の一つに立っている。
「な、何これ!?」
「サンタ・エズレル神殿に居たでしょ!?」
「落ち着け! たぶん【転移】みたいなものだ! 今は相手に集中しろ!」
<青翼の弓とオモダカ>は戸惑いながらも、リーダーカイルの言葉でエンジェルの男性へ向けて武器を構え直した。
エンジェルの男性は背中の翼で浮かびながら、空からキュウたちを見下ろしている。
「愚かなるヒトへ、天の裁きを下せ」
青い空より雷が降り注いだ。
「「全周防壁!」」
「「エレメント・シールド!」」
キュウとフィーナが周囲をドーム状に覆い囲む魔術、ノーラとエイダが正面に板のようなものを発生させる魔術、それぞれ防御用魔術を使う。
降り注ぐ雷は四人の魔術で威力を減衰させながらも、全員へ襲い掛かった。
着弾点を予測して回避したキュウ、スキルと盾で守ったカイルの二人以外は雷の直撃を受けてしまう。
「セフェさん!」
キュウはすぐにセフェールへ治癒を頼もうと思った。
しかし主人たちの回復役を一手に担う、いつでも冷静沈着で頼りになるセフェールの姿がなかった。
いや彼女だけではない。
領域『超天空座』に、つう、セフェール、リースロッテは居なかった。キュウと<青翼の弓とオモダカ>、そしてエンジェルの男性だけ。分断されたのだ。
「フィーナさん!」「私が!」
キュウとフィーナの声が重なる。セフェールが居ないと分かった今、次の回復役はフィーナとなる。
しかし、その回復役のフィーナも雷によって右腕から背中へかけて焼き爛れていて、無事とは程遠い状態である。こういう時、優しいだけの人なら他の人の治癒を優先させるけれど、フィーナは真っ先に自分の怪我の治癒を始めている。
それはフィーナが自己中心的なのではなく、セフェールが居ない状況でフィーナが倒れればパーティが全滅するという冷静な判断だ。万が一誰かが死亡しても、【蘇生】を会得したフィーナさえ生きていれば、生き返らせることもできる。フィーナはパーティの命の責任を負っているのだ。
しかし当然、敵であるエンジェルの男性は、フィーナの治癒が完了するのを待ってはくれない。青い空に再び魔力が集中していくのが分かった。
「ちっ、俺が敵でも、あの三人を一緒に【転移】させようとは思わないわな!」
「同感ね。今の何発も耐えられないわ」
<青翼の弓とオモダカ>のカイルの幼馴染み、斧使いの大男デニスとカイルの想い人である魔法使いの女性エイダ。
デニスは斧を構えながら、キュウたち全員の前へ出た。レベルとクラスを考えれば、カイルのほうが壁役に向いているけれど、デニスがあえて前へ出てくれている。そしてエイダはそのデニスへ対して、防御用魔術を何重にも重ね掛けした。
カイルはキュウとフィーナを守る体勢を取っている。想い人さえいるというのに、幼馴染み二人を囮にするような形で、回復役を守っている。リーダーとしての責任感が彼を動かしているのだろう。
「天罰」
攻撃を引き付けるスキルを使用したようで、二発目の雷はデニスへのみ一斉へ向かっていった。そしてデニスは、死んでいないのが不思議なほど、全身を黒焦げにして倒れてしまう。
誰も悲鳴一つあげない。意味がないから。
キュウも冷静になれと己へ言い聞かせ、今の攻撃が権能ではなく『異世界ファーアースの法則』によるものだと見て取る。
「ようやく私たちの仕事が回って来たよ!」
「キュウさんを守ったって言ったら、フォルティシモさんは私のお願いを無視できない」
サリスとノーラは二人共、最初の雷で大怪我を負っていて、それぞれ十全に動ける状態ではなかった。それでもデニスとエイダが稼いでくれた時間で、フィーナの治癒が間に合っている。
「キュウさん、脱出方法を探ってください。それまで、私たちが耐え続けます!」
「キュウちゃん、頼む!」
フィーナとカイルがキュウを頼った。
<青翼の弓とオモダカ>は時間を稼ぐために戦う。サリスは領域『超天空座』の山々を駆け巡り、雷攻撃を無駄撃ちさせる。ノーラはそのサリスをサポートする形で様々な魔術を使っていた。
しかしエンジェルの男性の攻撃は苛烈さを増していく。この雷は“イベント空間のギミック”であり、連射こそできないものの、いくらでも装填して発射が可能らしい。
エンジェルの男性は、キュウたちが死ぬまで空から雷で攻撃し続ければ良いのだ。
キュウの心臓が痛いくらい脈打った。
キュウの判断の甘さが、<青翼の弓とオモダカ>を窮地に陥れてしまっている。サンタ・エズレル神殿が侵略された時とは違う。キュウの責任で、主人には反対されたのに行動してしまった。主人からキュウへの信頼なんて捨てて、最初から主人へ助けを求めていればこんな事にはならなかった。
本当に? この危機を一欠片も予測していなかったか?
この程度、危機でもなんでもないと切り抜けられないで、主人たちと共に在れるのか?
自問に答える者は、自分以外には居ない。
キュウは瞳を閉じて、己の耳へ全神経を集中する。
カイルの指示、フィーナの治癒魔術、降り注ぐ雷、サリスの足音。それらを聞き分けていって、キュウは空と雲と山を、この領域を聞き取っていく。
キュウがするべきなのは領域『超天空座』を破壊すること。
その方法は至極単純だ。
「皆さん、そのまま注意を引いてください! 天駆!」
【飛翔】を中心にしたいくつかの魔術を組み合わせて、主人が作ってくれた複合魔術『天駆』。
キュウの身体は空中を高速で疾走した。
目標は、当然、エンジェルの男性だ。エンジェルの男性が高速で近付くキュウに気が付く。
「白光剣!」
キュウの刀が光を放つ。【剣術】と【光魔術】の複合魔技だが、アンデッド相手以外に大きな攻撃力はない。『修練の迷宮』でレベルを上げるために覚えさせて貰ったもの。
今のキュウのレベルで放てば、その光は目眩ましくらいにはなる。
エンジェルの男性が、次の雷を放とうとした動作を停止し、光から目を守るため瞼を閉じた。その間にキュウの空中疾走は、エンジェルの男性へ肉薄する。
「瞬間氷結!」
大型の魔物も瞬時に凍結させる冷気が、エンジェルの男性を襲う。エンジェルの男性の全身が、氷に包まれていくのが見て取れる。
エンジェルの男性の身体から、膨大な光と熱が発された。もちろんその光量と熱量は、つい先日感じた太陽の降臨には遠く及ばないものの、キュウの【氷魔術】を瞬時に打ち破ってしまった。
それでもキュウは、エンジェルの男性が凍結した僅かな時間を使って、別の魔術を撃ち出す。
「六連水晶碑!」
領域『超天空座』には複数の山頂がある。その位置関係から、六芒星を描くのに最適な山頂を選択し、その山頂へ六本のオベリスクを落とした。
最果ての黄金竜の魔術と同種で、かつてキュウが白き竜神ディアナ・ルナーリスへ向けて放ったそれ。あの時は、一本一本オベリスクを召喚しなければならなかったけれど、今では六本を同時召喚出来るようになった。
「空堕!」
そして、その末に使う魔術も高重力で拘束するだけだったけれど、今では超重力ですべてを押し潰すほどへ到った。