第三百六十九話 エンジェル 後編
「あのご主人様、この世界にはエンジェル、天使様もいらっしゃるのですか?」
天使は聖マリア教においても女神の遣いとして神聖視されている。聖マリア教の教えが浸透していた狐人族の里でもそれは同じで、キュウも天使の絵画や童話をいくつも見聞きしていた。
だからテディベアから、テディベアと同じ最初の神戯参加者の中にエンジェルがいると聞いて、その日の夜に主人へ尋ねてみたことがある。
主人とキュウの寝る前の雑談はずっと続いているので、気になったことをなんでも聞けるようになっていた。慣れとは恐ろしい。
ちなみに二人でゲームをやったりすることもあり、ラナリアが得意だと言うチェスもやった。やってみた感じ、とてもではないが主人やラナリアと互角の勝負をしたり、ましてエンシェントへ挑めるような腕前にはなれないだろう。
「居るかどうかって言うか。そうか。ノーラに指摘されてから種族特性をOFFにしっぱなしだったな」
「ノーラさんですか?」
ギルドマスターの娘ノーラはキュウの友人フィーナたちと共に、キュウよりも前に主人と出会っている。その時に何かを言われたらしい。ちょっとだけその内容を聞いてみたくて、尻尾がうずうずする。
「このフォルティシモは、天使と堕天使のハーフだ。白い翼と黒い翼を持っていて、持っていて………持っていたんだ。あれだ。あのな、すごく、面白いゲームがあって、そのラスボスがだな。めちゃくちゃ格好良かったんだ。決して中二病とかじゃない」
「ご主人様が天使様ではないと分かっています。もっとすごい御方ですから」
「キュウ、あんまり誘うな。我慢できなくなるぞ」
「はい? はい、誘いません」
「いや、やっぱり誘ってくれ」
「え? はい、えっと、誘います」
キュウはよく分からなかったので、耳をピクピク尻尾をくるくると動かしてアピールしてみる。主人が真顔になったので、ますますよく分からなくなった。
「キュウはもう分かってると思うが、天使と言っても、このアバターって身体は俺が創造したもので、実際に両親がいる訳じゃない。けど、天使、種族名エンジェルは、エルフやドワーフ、デーモンと同じようにいるはずだ」
◇
「天使、様?」
サンタ・エズレル神殿で『神前の間』の手前に立っていたエンジェルを見て、<青翼の弓とオモダカ>の誰かがそう呟く。
その声でエンジェルがキュウたちへ振り向いた。金髪碧眼の美しい顔立ちをした男性、真っ白な衣と翼を持ち、手には金色の弓を携えている。
「菴戊??□?」
この世のものとは思えない音声がキュウたちへ浴びせられた。見るとフィーナやカイルたちが一斉に耳を塞いでいる。
しかしキュウにはエンジェルの言葉がはっきりと聞こえた。エンジェルの男性は「何者だ?」と問いかけたのだ。
「マリアステラ様の御使いでしょうか!? 私はマリアステラ様へお会いしたくて参りました! キュウが来た、と伝えて頂けないでしょうか!」
「縺ェ繧薙□縲√%繧後? (なんだ、これは)」
「あの、私の言葉は分からないでしょうか?」
「蠑輔″鞫コ繧峨l繧具シ?シ溘??菴輔′襍キ縺阪※縺?k??シ (引き摺られる!? 何が起きている!?)」
驚きの表情を見せたエンジェルの男性は、弓を構え、何の警告もなしにキュウへ向けて撃ち出した。
リースロッテがキュウの目の前に立つ。
そのリースロッテの内側から撃鉄を引くような音がしたと思った時には、エンジェルの男性が放った矢がリースロッテの放った弾丸と空中でぶつかり合って弾け飛んだ。
「あ、ありがとうございます。リースさん」
「ん」
「我らと同じ存在か? なるほど、大きな力を持つ神に成ったことで、驕ったようだな」
その攻防がきっかけとなったのか、エンジェルの男性の言葉は、ようやく普通の声として耳へ届くようになった。
「私はマリアステラ様にお目に掛かりたくて、『神前の間』ならできると考えて来ました。戦うつもりはありません!」
「偉大なる星の女神への拝謁を望む。人はそこまで愚かになれるのか。天罰を受けよ」
エンジェルの男性はキュウたちへ襲い掛かって来た。
実を言うと、この魔物に溢れたサンタ・エズレル神殿の攻略におけるキュウの勝利条件は、<青翼の弓とオモダカ>たちとはまったく異なっていた。
その勝利条件とは、キュウが一切の傷を負わないことである。
おそらく主人は、キュウのHPと呼ばれるものが一ポイントでも減れば、神戯の勝利者へ到った超絶能力で、信仰心エネルギーを消費しても飛んで来るに違いない。
自分の役割を果たしたいキュウにとって、それはもう敗北だ。だからこの戦い、キュウはほんの僅かな傷も負うつもりはない。
いや絶対に負ってはならないのだ。負った瞬間、キュウは主人からの信頼を失い、二度とこういう役割を任せて貰えないだろう。
主人は多くの制約を受けながら、拠点攻防戦で完全なる勝利を得た。
だったらキュウは、一切の傷を負うことなく役割を全うする。
「リースさん! ご主人様への連絡は不要です!」
キュウは何よりも先にリースロッテを静止した。案の定、リースロッテがピクリと動いたのが分かる。
その隙を見逃さず、エンジェルの男性が弓を構え、キュウへ向かって再び矢を放った。
膨大な魔力の込められた矢だ。まともに受ければ、当たった箇所が吹き飛ぶだろう。キュウでそれなのだから、<青翼の弓とオモダカ>の誰かが被弾したら一撃で命を奪うに違いない。
軌道は直線だ。ただ真っ直ぐにキュウへ向かっている。直線とは言え、その速度は瞬く間であり、放たれてから回避するのは困難。
だがキュウはエンジェルの男性が矢を放つ少し前に、身体を数センチメートルほど横へずらしている。
矢はキュウの薄皮一枚に触れるか触れないかの場所を通り過ぎた。
通り過ぎた時には、キュウが腰の刀を抜き放って駆け出している。
エンジェルの男性の動揺を聞き取った。
いける、と思ったキュウは新しい魔技を放つ。自分の中にある力の中で、魔力などとは違った異物のような力を引き出す。
神殺しの力を。
「遡行斬り!」
エンジェルの男性は動揺しながらも、キュウの新しい魔技『遡行斬り』を回避しようとした。しかしキュウの狙いは最初から、彼ではない。
キュウの刀が、エンジェルの男性の弓を真っ二つにした。
主人と相談して作って貰った魔技『遡行斬り』は、クラス『神殺し』の力へ一つの指向性を持たせたものである。クラス『神殺し』は権能を無効化することは分かっているものの、その攻撃対象を選ぶのが困難な面もある―――というのが主人の見解だ。
その問題を解決する一つの手段が、キュウの耳を起点とした『理斬り』。キュウの耳が聞き取ったシステム音声へ攻撃を仕掛ける魔技。
それに対して『遡行斬り』は、キュウを攻撃した対象へ反撃するための魔技だ。
当初の予定では、太陽神の攻撃を主人が防ぎ、キュウが反撃を行うはずだった。いや太陽神に限らないが。
ただし、この魔技『遡行斬り』も『理斬り』と同じく未完成である。あくまで“攻撃した対象”への反撃であるため、今のように弓で攻撃されたら弓にしか効果がない。
余談だが、『遡行斬り』のためにアーサーが本当に協力してくれた。アーサーは多彩な力を発揮する権能を持つため、これ以上ない練習相手だったのだ。キュウは何度も何度もアーサーを斬り付けてしまい、申し訳なく思っている。アーサーは主人へ文句を言っていたけれど、キュウが謝罪すると「気にしなくて良い。花は美しく咲き誇るのが仕事だよ。僕が大輪に咲かせてあげよう!」という、よく意味の分からないことを言っていた。その後、主人に殴られてたけど。
「話を聞いて貰えませんか? 私は本当にマリアステラ様とお話させて頂きたいだけなんです」
エンジェルの男性は折れた弓を捨てる。弓は雪が溶けるように床に消えてしまった。
「口を閉じよ、背神者め。偉大なる星の女神への不敬、万死に値する」
エンジェルの男性は白い翼を大きく開き、全身へ魔力ならぬ神力と呼べるものを漲らせた。
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