第三百六十八話 エンジェル 前編
キュウたちは正門が開け放たれたサンタ・エズレル神殿の前に立っていた。
アクロシア大陸では人の住まなくなった地域は、あっという間に魔物が入り込んでしまう。そういった場所は魔物の支配領域となってしまい、魔物が自然発生する地域に変化する。
サンタ・エズレル神殿は聖職者たちが植物にされ、デーモンたちが撤退した。主人が奪還したものの、主人はその後サンタ・エズレル神殿へ人員を派遣しなかった。
怨敵クレシェンドに挑まれた<暗黒の光>との拠点攻防戦に注力するため、派遣する余裕がなかったのだ。エンシェントやラナリアなどはサンタ・エズレル神殿を放っておけばどうなるかどうか分かっていただろうけれど、それで拠点攻防戦の戦力を削る提案はしなかった。
「見たこともない魔物が闊歩してるみたいだ」
「【解析】を打った感じ、かなり強い」
「今の俺たちでも囲まれたら危険だ。ただ正面から迎え撃てるなら問題ない。できるだけ慎重に進もう」
「まあでも、従魔もいるし、大丈夫だよ!」
<青翼の弓とオモダカ>が斥候の結果を教えてくれる。
キュウは女神マリアステラと太陽の女神が仲間である可能性が高いこと、そしてそれを確かめるべく女神マリアステラと会うためにサンタ・エズレル神殿を調査すると主人へ伝えた。
主人はすぐに自分も一緒に行くと言ってくれたのだけれど、それは何とか説得して断った。主人に労力を使わせたら、主人へ無理を言っている意味がない。
大丈夫だ。まだ危険になるような音は聞こえてこない。
キュウは<青翼の弓とオモダカ>の皆を見回す。
「今の私たちは魔物なんかには負けません。それに、何があってもセフェさんがいますので、はうっ!?」
キュウは突然リースロッテに尻尾を引っ張られて、変な声を出してしまった。里に居た頃は同年代以下の子供から、黄金色を珍しがられて強く引っ張られたり、毛を毟られたりしたのに比べれば、リースロッテのそれは優しいものだったけれど、驚いてしまうのは止められない。
「私よりアルを信じてる?」
「私はリースさんもアルさんも信じています」
リースロッテの行動へ、意外な人物が口を挟む。
「対魔物はアルの役割で、ビルド的にアルのが優れているわ。ここにアルがいたら、みんなアルを先頭にすれば大丈夫だろうって思ったでしょう? リースはそれが不満みたいね」
「つうはうるさい」
主人の最初の従者、つうだ。
つうは【拠点】の管理を任された従者だと思っているけれど、こうして外出することもある。食材の仕入れでよく外出しているし、キュウも付き合ったことがあるので外出自体は珍しい話ではない。しかし戦場へ出て来ることは初めてだ。
つうは【料理】【裁縫】【調合】などのスキルがカンストしており、どちらかと言えばダアトやマグナと同じ非戦闘員だと思っていた。
「あの、つうさん」
「何かしら?」
「えっと、その、戦える、のでしょうか? も、もちろん! 私よりも強いのは分かっています!」
「ああ、私の心配はしなくても大丈夫よ。私はキュウの頑張りをすぐ傍で見たいと思ってるだけだから」
キュウの負担にならないよう、そう言ってくれていることは分かる。キュウを心配してくれた主人の密命なのかも知れない。だとしたらこれ以上は追及するべきではない。
「キュウさん、どうしますか?」
つうのことは心配だけれど、もしつうが危険ならば主人が止めたはず。ならばキュウにとって今重要なのは、サンタ・エズレル神殿で女神マリアステラへの連絡手段を手に入れることだ。
「行きましょう!」
たぶん、サンタ・エズレル神殿に出現した魔物は強いのだと思う。
それこそ一年程前は冒険者ギルドによって討伐不可能指定されていたベンヌを代表格として、主人たちがフィールドボスとかダンジョンボスとか呼ぶ強大な魔物に匹敵する力を持つ魔物が闊歩していた。
しかし今のキュウと<青翼の弓とオモダカ>は、レベル数千にも及ぶ魔物たちを正面から撃破して進んでいく。
前衛のリーダーカイル、斧使いデニス、剣士サリスが柔、剛、速の変幻自在なコンビネーションを見せれば、後衛のフィーナ、ノーラ、エイダは回復と属性魔術や妨害魔術を組み合わせサポートする。
キュウも前衛気味の中距離を選び、魔物の種類に合わせて前衛に加わったり、後衛で共に攻撃魔術を使ったりした。
つうはいつものように見守ってくれていて、時折つうへ向かう魔物を柔術のような投げ技で飛ばしていた。よく分からないけれど、手助けの必要はないらしい。
セフェールは魔物の弱点を含む特徴を教えてくれるし、主人やピアノと共に最前線を戦っているだけあって回復役としての完璧な立ち回りをしている。
リースロッテはキュウの発言でいじけてしまい、付いて来るだけで何もしない。それでもキュウを守ると言う使命は破るつもりはないようで、キュウのすぐ後ろを背後霊のように付いて来るものだから、視線が気になって仕方がなかった。
「さすがキュウさんです。ここまで私たちの連携に合わせられるなんて」
「一年前に冒険者登録した初心者だとは思えない。フォルティシモさんに厳しく鍛えられた?」
「ほんと凄いよ! カイルさんとデニスさんと私が合わせられるようになるまで、けっこう時間が掛かったのに、キュウはあっという間! ううん、それ以上! まるで未来が見えてるの、ってくらい完璧!」
フィーナ、ノーラ、サリスと同い年くらいの少女たちと、友達のような会話をしながら進んでいく。もしもキュウが主人のキュウでなかったら、彼女たちのような友達を得られたのだろうかと、益体もないことを考えた。
余談だがサリスからキュウって呼んでも良いか、と聞かれて頷いたら、距離感を詰められて戸惑いを隠せないキュウだ。
「いえ、ご主人様と一緒の時は、ご主人様がみんな氷漬けにしてしまうので。私こそ、皆さんの邪魔をしていないか心配です」
「邪魔どころかエースだよ。偵察段階ではもっと時間が掛かると思っていたけど、キュウちゃんの突破力が俺たちの誰よりも高い」
「それに怪我はセフェールさんが治してくれるから、楽なもんだしな!」
「あのね。私たちは護衛依頼で来ているのよ。護衛対象に活躍されたら恥ずかしいと思うところでしょうに」
カイル、デニス、エイダも前と同じように話している。
怨敵クレシェンドによってバラバラにされた<青翼の弓とオモダカ>は、また元へ戻るかも知れない。
キュウはもう少しだけ、彼らのやりとりを聞いていたいと思った。
そうして『神前の間』の手前までやって来る。
そこには宗教画の中でしか見たことのない存在が、門番のように立ち塞がっていた。
真っ白な翼を持つ、デーモンと対極にある人種。
エンジェル。