第三百六十二話 郷愁
天空の国フォルテピアノとの戦争が終わり、角付きの街ホーンディアンには過去類を見ない空気が流れていた。
多くの角付きたちは自分たちが挑んでしまった“最強”を前に絶望を覚え、戦争に敗北して<暗黒の光>の戦士たちは全滅、残ったホーンディアンでは陵辱と虐殺が行われると覚悟した。
しかし終わってみれば犠牲は非常に少なく、重鎮グラーヴェ翁は天空の国が味方だと公言し、狐の神タマはもう安全だと太鼓判を押す始末。
しかもホーンディアンを絶望に叩き落とした女狂戦士ピアノは、これからホーンディアンは天空の国や地上の国と交流をしていこうと提案していた。
それはつまり、千年間決して作られなかった、誰も作ろうともしなかった、世界大連合を想起させた。
先住民角付き、大陸に住む大勢のNPC、プレイヤー、神戯参加者、狐の神、そして最強の男が協力しようと言っている。
この世界に住む人々、全員が一つになって太陽の女神へ、神戯へ挑む。
角付きたちは英雄クレシェンドを失って、あと頼れるのは戦士プレスト一人しかいないと思っていたところに、この話を聞いたのだ。
聞けば角付きたちの大地を奪った女神は、天空の王の母親を殺した仇敵でもあると言う。
あの日、太陽の女神は角付きたちから故郷を奪い、世界の法則まで書き換えてしまった。それに抵抗して来たけれど、一向に太陽の女神を殺す未来は見えなかった。もう故郷を取り戻す気持ちが薄れる中、新しく、そして大きな希望が目の前に表れたのだ。
角付きたちは緊急会合を招集したものの、その論調は一つの方向に傾いていた。それでも角付きたちは、まともに天空の王フォルティシモと会話したことがない。どんな性格なのか、信じるに値するのか。それなら一度会って話してみれば良い。少なくとも話し合いの場には行くべきだろう。
角付きたちは英雄クレシェンドを殺されたことも忘れ、これから共に戦うことになる天空の王フォルティシモへ期待を寄せていた。
その様子に『反吐が出る』、と思っている角付きがいる。サンタ・エズレル神殿で重要な箱を持ち運ぶ役割を担い、アクロシア王国の攻撃部隊を率いていた、クレシェンドを慕う女性である。
英雄クレシェンドは角付きたちが母なる大地を失ってから、千年もの時間ずっと協力してくれたのだ。地上の情報を積極的に集めて来てくれたし、食糧や生活に必要なものも地上から集めて来てくれた。そのために大勢のNPCを奴隷として使っていたけれど、NPCの尊厳など本物の人類である角付きたちの生活に比べるはずがない。
そんな英雄クレシェンドへの裏切り行為を嬉々として語る同胞が、唾棄すべき醜悪な存在にしか見えなかった。
角付きの女性は会議を退席して、ホーンディアンの街中を歩いて行く。その表情は怒りに支配されている。
彼女は拠点攻防戦の開始直前、クレシェンドと狐の神タマを見掛けて、二人の間に流れる微妙な空気を察していた。
クレシェンドは裏切られたのだ。
狐の神タマに。
そうでなければ、あの英雄クレシェンドが敗北するはずがない。
狐の神タマが唐突に特定のプレイヤーを支持するのも怪しい。最初から天空の王フォルティシモと繋がっていたに違いない。おそらく二人は何百年も前から結託して、英雄クレシェンドを殺す計画を立てていた。
英雄クレシェンドは無敵だけれど、天空の王フォルティシモと狐の神タマの二人が汚い手段を用いたら、その限りではない。
英雄クレシェンドは信じていた狐の神タマに裏切られて、天空の王フォルティシモに嵌められて殺されたのだ。それが角付きの女性の結論である。
角付きの女性が誰にも会いたくなくて人気の無い方向へ進んでいると、同じく人目を避けた相手と出くわした。
「プレスト!? あなたは、この戦いで、何をしていたのですか!?」
グラーヴェ翁以上の年齢にも関わらず、今でも若々しさを保っている特殊な角付きの女性プレスト。
彼女の実力は、認めたくはないけれど英雄クレシェンドにも勝るとも劣らない。天空の王フォルティシモの配下である魔王狐と戦っても、相手に大怪我をさせて自分は無傷という戦果だ。
「あなたがいながら、みすみすクレシェンド様を!」
「質問の答えならば、某はディアナの写し身を案じていた」
「それは、敵を、守っていた、と言うの?」
「某たちの敵は、太陽の女神のみ」
角付きの女性がプレストを批難しながら詰め寄ったものの、当のプレストは涼しい顔をしたままだった。その冷静さが角付きの女性の怒りに油を注ぐ。
「クレシェンドが他プレイヤーに敗北したのは、某にも予想外だった。あの権能を学習し、膨大なFPを貯め込んだ上で勝利者へ到達できたはず。それでプレイヤーに敗北したのは、天空の王フォルティシモかその周囲の何かが、クレシェンドや某の想像を超えていたのだろう」
「何を、意味の分からないことを! クレシェンド様を、見殺しにした。狐の畜生の裏切りを見過ごしたくせに! これで私たちの願いは!」
プレストは狐の神タマとも近しい。だから狐の神タマの裏切りも知っていたに違いない。もしかしたら協力した可能性もある。
「何を言っている? 千年の悲願は達成される。クレシェンドはオウコーの被造物だ。オウコーが目的とする太陽の女神を倒せないのは必然。最初からクレシェンドに最後までは期待していない」
「クレシェンド、様に、なに?」
角付きの女性は、プレストへ殴り掛かった。本気でプレストを殺す気で。しかしプレストは角付きの女性の拳を軽々と受け止める。
レベルが違うのだ。どれだけ攻撃しても、忌まわしき女神の法則では、角付きの女性はプレストを傷付けることができない。
「某はクレシェンドの事情も把握している。クレシェンドは、我ら角付きのことを欠片も考えていなかった。あれにあったのは、被造物としての矜恃。その想いは本物で神々に認められるほどではあるが、我ら角付きには向いていない」
「クレシェンド様への侮辱は許しません!」
「侮辱ではない。被造物という意味では人間も変わりない。その中で己の願いへ殉じた誇りは何よりも尊い。無意味に生きて死ぬ輩に比べれば、クレシェンドは―――」
「黙れ!」
角付きの女性はプレストの言葉を拒絶して走り出した。
◇
プレストは走り去るデーモンの女性を見ながら、腰に下げた刀を強く握り締める。
「クレシェンド、安心しろ。お前はオウコーの被造物として役割を果たした」
プレストは思わず自嘲の笑みを零した。
クレシェンドは役割を期待されて機能を実装されたAI、道具だ。消滅理由は予想外だったけれど、クレシェンドが消えることなど、ずっと分かっていたことだ。
それでもクレシェンドへの情が湧いていたらしい。
プレストは情報ウィンドウを操作し、その中のスクリーンショットフォルダを開いた。フォルダの中に並んだスクリーンショットには、今はここに居ない者たちで溢れている。
オウコー、ディアナ、プレスト。約千年前、天才オウコーと竜神ディアナと共に神戯を、異世界ファーアースを駆け抜けたプレストの思い出がそこに詰まっていた。
「計画と状況は違うが、もうすぐオウコーが戻って来る。太陽の女神、必ず貴様を倒す」