第三百六十一話 到達者
主人の屋敷には、茶室と名付けられている部屋がある。その部屋は広くはないのだけれど、温かみのある照明や木材に囲まれていて、飾り気は最低限の穏やかな場所だった。
キュウはつうに茶室へ呼ばれて、お茶やお茶菓子をご馳走して貰ったことがある。そのお茶は美味しかったし、このどこか故郷を思い出す安らぎを覚える空間が好きになった。
そんな茶室が、ちょっと騒がしい。
お茶会の主催者つう、里長タマと狐人族の少女たち八人、リースロッテにキュウが集まっているためだ。
お茶には手順や礼節があるらしいのだけれど、それを理解しているのはつうと里長タマだけで、他の者たちは目も当てられない。狐人族の少女たちはお茶よりもお茶菓子ばかり食べてお替わりをするし、リースロッテなんてオレンジジュースを持ち込んでいた。
「あの、タマさん、これは」
「せっかくだからお茶をしようと思ったら、彼女が点ててくれると言うのでな」
一通り抹茶を楽しんだ里長タマは、虚空へ手を入れて瓶を取り出す。瓶の中には蜂蜜がたっぷりと入っていて、それをキュウへ手渡して来た。
「そうそう。これはお土産かえ」
「お土産ですか?」
主人に好物を聞かれた時に蜂蜜が好きだと答えたように、これは狐人族の里に居た頃のキュウの好物だった。
ただそれは、他に食べるものがなかったからだ。狐人族の里に居た頃は、その日食べる物に困ることがあるような生活だったし、食べられることに感謝しなければならなかった。美味しいという意味では、主人と出会ってから食べた数々の料理と比べるべくもない。
それでも懐かしさを感じて、里長タマが持ってきてくれた瓶を握り締めた。たぶん、食べても美味しいとは思わない。けれど、美味しかったとは思うだろう。
「ありがとうございます」
「さて、キュウがフォルティシモから許可を貰うくらい、わてとこうして話したいとは思わなかった。全員が集まっていた場で尋ねなかったということは、他の者、フォルティシモに聞かせたくない話かえ?」
キュウは里長タマと話をしたかった。だから里長タマを呼び出したのは他ならないキュウ自身である。主人に話して許可をもらっているし、許可する条件としてつうとリースロッテが同席している。主人の表情と心音は、苦渋の決断と言った音だったが。
「私は、ご主人様に秘密にするようなことは何もありません」
「かかか、言葉と行動が矛盾している」
「いいえ、矛盾していません。だってタマさんは、ご主人様へ伝えられないことも、私には教えてくれる、と思っています」
上機嫌だった里長タマの雰囲気が変わった。キュウには里長タマの心情の変化が手に取るように聞こえる。
キュウと里長タマの間に流れる空気を察してか、お茶菓子に喜んでいた狐人族の少女たちは一斉に黙ってしまった。つうは何も言わずにキュウを見守ってくれているし、リースロッテはおそらく臨戦態勢に入った。
「どうしてそう思うのかえ? ………いや、今のは取り消す。何を聞きたいのかえ?」
キュウはまずは自分のことを尋ねようと決めていた。主人が里長タマの交渉を受け入れた理由は、自惚れで無ければキュウのことが理由の一端にある。
主人はキュウが里長タマへ、故郷の里の話を尋ねることを望んでいる。
キュウは聞いた上で、それでも主人の傍に居たいと言うつもりだ。
「里は捨ててしまったんですか?」
主人とアルティマが狐人族の里を訪れたところ、そこは既に廃棄され人っ子一人住んでいなかったのだと言う。狐人族の里はキュウたちを奴隷として売ったことで飢饉を乗り越えられたはずなのに、誰も住んでいなかった。
里長タマが目をパチパチと動かした。キュウの耳で聞き取る限り、里長タマは驚いているらしい。
「神戯や太陽神への質問かと思ったが。そうくるかえ。ふむ。わてが言うとすれば“里は捨てていない”」
「ご主人様とアルさんが行った里には、誰も居なかったそうです」
「“里は捨てていない”。これは、神戯にも、フォルティシモにも無関係な事柄だ」
里長タマは答えをはぐらかした。追及しても答えてくれないだろうと思い、別の質問へ切り替える。
「私が、クレシェンドというプレイヤーに売られたのは、偶然でしょうか?」
「それは本当に偶然だ。いや、必然かも知れない。わては、ファーアースの情報を収集するため、わての作ったNPCをクレシェンドに奴隷として売らせていた」
クレシェンドが奴隷をどこから仕入れてくるか。人間同士ではなく対魔物が主なアクロシア大陸で、そこまで奴隷を集められるのか、ダアトが不思議がっていた。他では手に入らない独占市場だったから、ダアトは何度も奴隷屋へ足を運んでいたのだ。その理由の一端を聞いた気がする。
「それでは、先代と言うのは」
“先代”という言葉は、狐人族の少女の一人、橙色の毛並みの建葉槌から聞いたものだ。キュウが建葉槌たちと主人との戦いを止めるべく説得しようとした際、彼女からキュウとの面識を否定された。
キュウの知る狐人族の里で世話になった建葉槌は、この場の建葉槌の先代だと言う。
「この建葉槌が言った意味であれば、わての作ったNPCの世代、順番と言える。キュウもセルヴァンス、今はあのテディベアと会っているから理解できるだろう。わての作ったNPCは、わてらの里に生きていた皆を魂のアルゴリズムでコピーした存在だ」
主人はクレシェンドがキュウの記憶を操作していると疑っていたけれど、それは違った。
キュウは、キュウには―――――――――。
キュウはそれ以上深く考えないように、頭と耳と尻尾をぶんぶんと振り回す。
キュウはキュウだ。それは主人も認めてくれた真実である。キュウが主人と出会ったあの日に産まれ、主人と一緒に生きている。だから主人のために行動するだけだ。
「あれ? でも、だったらどうして、拠点攻防戦の前に、私だけ迎えに来たんですか? 私もNPCなら、神戯が終わったら消えてしまうのに」
「かかか」
里長タマが狐の神タマの表情をした。
「キュウは“到達者”を聞いているだろう?」
「はい。でも、名前だけで、ほとんど何も知りません。ご主人様も調べていましたが、今のところ情報がなくて」
ああ、これが主人の前で尋ねなかった理由だ、と思った。
何故そう思ったのか。
それはきっと、キュウには里長タマの答えが分かっていたから。
決定的な言葉がキュウへ降り掛かる。
「キュウ、お前が“到達者”だ」
初めて聞いたのは最果ての黄金竜だった。その後、主人は“到達者”を倒す必要があると考えて情報収集をしていた。怨敵クレシェンドも“到達者”を神の試練と呼び、主人と協力することで倒そうとする強敵だ。
そんな“到達者”がキュウであるはずがない。
「でも、私は彼らと会っています。その時は何も」
「かかか、見分け方を聞いたのかえ?」
「いえ、聞いて、いません」
「容姿だ。其奴らは、それで分かると思っていた。特に竜神は記録から記憶を取り出せるゆえ、自分は“到達者”の容姿を知っている、だから見れば分かると思ったのだろう」
記憶に関しては、テディベアもおかしな表現を使ったことがある。自分が知らないことも知っているみたいな言い方だ。
「気付いていなかったかえ? いや、気付いていて、あえて目を逸らしていたか? その力、神戯はおろかファーアースの法則だけでなく時間、次元さえも超え、母なる星の女神へも届き、呼び寄せた。神戯参加者たちが持つ、神々に至る可能性の才能どころではない」
里長タマはキュウの戸惑いを無視して続ける。
「キュウ、お前は違う。選別するまでもなく、神戯という儀式も必要とせず神へ到り達する者、“到達者”は、お前だ」
キュウは里長タマの真剣な言葉を聞いて、その黄金の耳をピクリと動かすことしかできなかった。
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これで第七章は完結いたしました。
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