第三百四十一話 狐、その尾を濡らす
フォルティシモがクレシェンドと決着をつけるべく相対する少し前、フォルティシモとキュウは狐の神の策略により、狐の里に囚われてしまった。
フォルティシモは襲い掛かって来た八人の狐人族の娘たちを制圧したけれど、彼女たちを殺す気は最初からなかった。人殺しを忌避する、のではなく、可愛い女の子、それももふもふな少女たちを殺すなんてフォルティシモの信念に反するからだ。フォルティシモは異世界ファーアースにやって来てから、一貫して可愛い女の子には優しい。下心満載で。
………モウオ嫁ニ行ケナイ
………ヒッ、見タ、マタ尻尾ヲ見テル
何人かはフォルティシモが見つめるだけで泣き出すようになったのは、とても遺憾である。
「キュウ、理斬りの対象になりそうな音は聞き取れないか?」
「申し訳ありません。システム音声、というものは何も」
フォルティシモの問いかけに、キュウが心の底から申し訳なさそうに耳を萎れさせた。欲望のままに狐人族の娘たちを弄んだので、いつもよりもキュウの誘惑に耐えられる気がする。
だから右腕がうずくのは気のせいだ。今キュウを思う存分に触って、狐人族の娘たちよりもキュウが良いと言ったら喜んでくれるだろうかと思う。
「そうか。キュウのせいじゃない。気に食わないがマリアステラの言った通り、理斬りの欠陥だ。発想が間違ってた」
キュウの耳と【神殺し】の力はシステムを破壊することができる。それを利用してフォルティシモが造り出したのが合体スキル『理斬り』だ。
異世界ファーアースでログインログアウトを使う対マリアステラ用として試作したものだけれど、マリアステラ本人から欠陥スキルだと指摘されてしまっていた。
その理由は極単純な話である。『理斬り』は効果対象をキュウの耳で聞こえた音を起点にしているため、音が聞こえなければ使うことも出来ない。
そして何よりも、ログインログアウトのように音が聞こえたら既に効果が終わっているものには意味がない。キュウが聞くシステム音声『ログアウトしました』を攻撃しても、ログアウトした後でしかなく、ログアウトそのものを防ぐことは出来ないという欠陥がある。
ちなみに【隷従】は『他人の従者です』という状態がシステム音声の後も、ずっと【隷従】の状態が続いているため攻撃出来る。
「タマの奴、完璧にこっちの性格から能力まで把握しているな。管理者としての手出しは出来ないが、こっちの情報は筒抜けと思ったほうが良さそうだ。ルール違反にならないのか。神戯のルール違反を誰が咎めるのか知らないが」
「里長が神戯のルールを犯すなど有り得ん!」
「ほう? 尻尾がどうなっても良いのか?」
「すいませんでした」
狐人族たちが怯えてしまった。フォルティシモはつい感情的になったと反省する。
「………クリア条件は、狐人族八人の撃破。撃破、か」
ゲームでイベントクエストのクリア条件が『○○の撃破』となれば、出現するモンスターを倒すことだ。このイベントクエストを現実に置き換えたら、狐人族八人を皆殺しにすること、になるのだろうか。
少し前の話になるが、フォルティシモは望まずに異世界ファーアースへ来てしまったプレイヤーたちと出会った。彼らは本気でフォルティシモに恐怖を感じていて、フォルティシモを倒そうとしたらしいのだが、余りにも弱かったので見逃した経緯がある。
その時、異世界ファーアースのシステムは、フォルティシモが彼らに勝利したと認めた。
つまりこの狐人族の娘たち全員を、フォルティシモへ完全に屈服させれば良いのではないだろうか。先ほどの言葉からも、未だに折れていない娘がいるのは確実。
ならば最強のフォルティシモはこのもふもふな狐人族の年頃の娘たちの心を、魔王の如く徹底的に折る。
………アアア!!
> クエストを達成しました!
ちなみにフォルティシモにも罪悪感はあった。
少しだけ。
キュウに対してだけ。
周囲の光景が見慣れた『浮遊大陸』となったため、戻って来たことを知る。狐人族八人は顔を赤や青にしながら床で倒れているけれど、今は彼女たちを介抱している場合ではない。
何せ天空のエルディンと実験区画がミサイル爆撃でも受けたかのように破壊されているのだ。戻って来るのが遅かったのかと不安に駆られてしまう。防衛の切り札として配置した肉―――最果ての黄金竜が狐人族八人を相手している僅かな時間で敗北したとは思えないので、何か想定外があったのかも知れない。
急いで総司令部を任せたラナリアへ音声チャットを繋ごうとして、繋がらないことに気が付く。今は情報が重要だと判断して、FPを消費して権能【領域制御】を使ってエルディンを覆っている檻のような何かを破壊、無理矢理音声チャットを繋いだ。
「ラナリア、戦況を教えろ。なんでエルディンと実験区画がやられてるんだ? 防衛はどうなってる? あの肉盾は役に立たなかったのか?」
『フォルティシモ様!』
ラナリアには珍しい感情が乗った涙声のようだった。普通の令嬢や王女だったらここでフォルティシモの帰還を喜んだり、自分の状況を優先して話すだろうけれど、彼女は違う。
『<暗黒の光>のデーモンはピアノ様が引き付けてくれています。しかしクレシェンドが造り出したと思われるコピープレイヤー及び、狐人族が連れたレイドボスモンスターなる強大な魔物の襲撃を受けてしまいました。狐人族とレイドボスモンスターはテディベアさんへ渡した切り札により隔離が成功。コピープレイヤーについては情報がありませんが、リースさんとの交戦に入ったと思われます。また、クレシェンドは謎の力により、屋敷を強襲。アルさんの助力もあり事なきを得ましたが、次も防ぎ切れる保証は………ありません』
最後だけは言い淀んだものの、ラナリアからのほぼ淀みの無い報告に安堵を覚えた。
「よし。時間があったお陰で、拠点攻防戦のシステムを破る手筈も整った。ピアノ、リース、聞こえているな。お前たちの動きが重要だ。俺はクレシェンドをPKしてくるから、それまで絶対にそれぞれのクリスタルを守り切れ」
『正直、冷や冷やしたぞ。こっちのことは心配するな』
『私はここを守るのが仕事。なんか来たけど、全部殺った』
フォルティシモは情報ウィンドウから拠点攻防戦のウィンドウを開いた。その中でお互いのプレイヤーの居場所が表示されている項目を確認し、クレシェンドの居場所を特定する。
「よし、キュウ、行くぞ」
フォルティシモは当然のようにキュウを連れていこうとした。キュウも当然のように頷いてくれると思ったけれど、フォルティシモの予想に反してじっと見つめ返して来る。
「ご主人様、私は、ご主人様の戦いに邪魔になると思います」
「い、いや」
フォルティシモは咄嗟に否定しようとして、言葉に詰まってしまった。キュウの耳に嘘は通用しない。
事実として、フォルティシモはずっとソロで戦って来たから誰かを護りながらの戦闘の経験は少ない。キュウの聴力による感知能力は絶対でありマイナスばかりとは言えないけれど、強敵と戦う中でキュウを庇うのが難しいのは事実だった。
キュウは出会った頃に比べたら圧倒的に強くなった。しかしまだ、フォルティシモの戦場に連れて行けるほどの強さではない。
それでもフォルティシモがキュウを連れて行こうと考えたのは、キュウがクレシェンドや狐の神タマに連れ去られて人質にされる可能性があるからだ。フィーナを人質に取られて戦えなくなってしまったフォルティシモだ。もしキュウの命が懸かってしまったら、何をするか自分でも分からない。
「ご主人様、私は大丈夫です」
キュウがフォルティシモの目をじっと見つめていた。
「だからご主人様は、ご主人様の望むがままに御力を振るってください」
キュウの言葉には根拠は何も無い。
だが、キュウの耳を見て、未来を見通すらしい目を持つ女神マリアステラが頭に過ぎった。
だからキュウの確信を信じることにする。
「安心して待ってろ。俺がクレシェンドごときに負けるとは思わないだろ?」
「はい、思っておりません。ご主人様、お願いいたします」
笑顔で見送ろうとするキュウを抱き締めて、尻尾をもふもふした後に、優しく口付けした。




