第三十四話 修練の迷宮 中編
「素晴らしいですっ! これが空の世界なのですね!」
天烏がロケットのように上昇し、雲の上までやってくる。
その光景を見たラナリアは、子供のようにはしゃいで上下左右をぐるぐると見回していた。今にも立ち上がって飛び上がりそうで、同じように思ったのかシャルロットの腕がラナリアが動く度に反応していた。
「すごいっ」
キュウも天烏の毛をしっかり掴みながらも、眼下に広がる景色を見て感動を漏らしている。
天烏は大空を高速で飛翔する。
キュウは天烏の毛を両手でしっかり掴んでいるが、掴む必要は無いはずだ。フォルティシモの従魔である天烏に乗る際は、フォルティシモの従者であるキュウやラナリアであれば騎乗システムが有効になるため意図せず落ちることはない。
実は最も危険なのはシャルロットで、彼女には騎乗するためのシステム的なアシストが働いていない。それでもシャルロットは自分よりもラナリアが心配な様で、景色そっちのけでラナリアの一挙手一投足を見守っている。
「しかし、風も気温も思ったほどではありませんね。これはフォルティシモ様のお力ですか? それとも天烏さんの?」
ラナリアがフォルティシモを振り返る。結っていた髪は解けてしまっており、強い風に靡いているので、本当に思ったほどではなかったのか疑問だ。
ゲームの仕様調査班の報告では、天烏は飛行機と同じ高度一万メートルを飛行する。この数字は人間が呼吸できるほぼ限界値なので問題ない―――わけがない。空気は薄いし、この高度での外気はマイナス三十度を超える。レベル補正によって尋常ならざる体力があるとは言え、その環境でマッハを超える天烏の飛翔に、背中に乗った人間が耐えられるはずがない。
物理学からのツッコミをファンタジー世界のゲーム運営に問い合わせるという行動に出たプレイヤーが居た。彼はなんと運営という神様から回答を得た。
「天烏だ。こいつの周囲に魔力による防護膜がある、らしい」
考察をぶった切るものだったが。
「確かに自分を守るために必要なものですね。しかし、風も気温も人間が心地良いと感じるものです。天烏さんの感覚は、私たち人間の感覚に近いということでしょうか?」
その答えは、ゲーム的にプレイヤーが最も心地良いと感じる設定にした、だ。
「それはこいつに聞いてくれ」
「では、後で尋ねてみます。意外と答えが返ってくるかも知れませんね」
ラナリアは天烏の人間味のある行動に対してフォルティシモがどう感じているのか察しているらしく、おかしそうに「鳥語とかあるのでしょうか」などと笑っていた。仮に鳥語などというものがあったとしたら、鳥が人間と同じ精神と頭脳を持っていればとっくの昔に鳥語は翻訳されているので、人間と鳥が同じコミュニケーションを取るなど有り得ない。この大陸の文明レベルでは知り得ないだろうが。
天烏で向かっているのは、絶海の孤島にある地下迷宮でアクロシア大陸のそれに比べて高難易度のダンジョンになる。全七層あり、一層ごとにレベルが格段に上がる特徴を持っており、第一層では五百程度だったものが、最下層である第七層に出現するモンスターは三千に到達する。そのためそれを知らずに攻略へ向かったパーティが、第一層の強さを基準にして進みよく全滅する場所だ。
「こちらでレベルを上げるのですね。キュウさんは良くいらっしゃるのですか?」
「いえ、私も初めてです」
今まで天烏は使わずに居たので四方を海に囲まれたこの島へ来るには時間を考えると効率が悪く、連れて来ようとは思わなかった。
「ご主人様、ここは?」
「『修練の迷宮』、レベル上げ専用ダンジョンだ。あの建物の地下にあり、今日は第一層を使う。平均レベルは五〇〇程度。リポップが他のダンジョンの五倍は早いから気を付けろ。俺も注意はするが、いきなり横にモンスターが現れたりもする」
「はい」
キュウはフォルティシモの言葉を受け止めて、気を引き締めた顔で頷く。
「ちょ、ちょっとお待ちください。キュウさんは四七〇ということで戦えるかも知れませんが、私のレベルは三二〇なのです」
ラナリアが焦ったように割り込んでくるが、フォルティシモの従者になった時点でラナリアのステータスは把握している。
「シャルロットも五五〇ですが、それほどの量の魔物が相手では」
「俺はラナリアのレベルどころかスキルやステータスも把握してるし、安全マージンができるまで戦わせたりしない」
「私は見学ということでしょうか?」
ラナリアは少し残念そうに言うが、そうではない。
「それだとレベルが上がらないだろ。俺がモンスターの動きを止めるから、お前らは動かないモンスターを叩いて倒す。最初はそれでいく」
「レベル五〇〇の魔物を拘束、なるほど私たちでは至れない発想ですね」
フォルティシモはインベントリから、六ミリ程度の真珠が付いたペンダントを八個取り出した。小さなペンダントとは言え、八個あると嵩張っていて持ちづらい。
「ラナリアと、………シャルロットも、これを付けてレベル上げをしろ。四個ずつだ。言っておくが帰りに返せよ。絶対に返せ」
経験値補正のアイテムを取り出す。ラナリアに渡すことは決めていたが、シャルロットの分も取り出したのは彼女が美人だからだ。こんな美人が戦闘で苦しんでいたり、死んだりしたら嫌すぎだ。それに地位や名誉を捨ててもラナリアへ尽くす姿は憧れる。もちろんされる側で。
「キュウさんの持っている時計のようなアイテムでしょうか?」
「私もですか?」
ラナリアはすぐに受け取り、ペンダントをまじまじと見つめている。
それに対してシャルロットは受け取るか迷っていた。
「これはキュウが付けている腕輪に近い効果がある。四個付けないとキュウの腕輪の効果に到達しない」
だから装備欄に制限のあるゲーム時代では不可能な付け方だ。
「腕輪ですか? 非常に珍しい魔法道具のようですが、どのような効果があるのでしょう?」
キュウには丁寧に説明したが、いちいち説明するのも面倒なので結果だけ伝える。
「レベルアップの速度が八百倍になる」
「………はい?」
ラナリアは口をぽかんと開けて絶句していた。
その表情にフォルティシモの自尊心がくすぐられる。
「そのペンダントは真珠の涙だ。元々特殊効果を持っていないSSRアイテムで、合成を使えば七枠に自由な効果が付けられる。そして今渡したのには、【取得経験値上昇・大】を十度限界突破させた効果が七枠付いている」
「私にはフォルティシモ様の御力をすべて理解するには至りませんが、それによってレベルを上げる速度が八百倍にも達するというのですね?」
「そうだ」
「そのような破格な魔法道具が存在していること自体、驚嘆で言葉もありません。それではフォルティシモ様の御力の一旦を拝借いたします」
効果を聞く前に受け取っていたラナリアは、遠慮なく四個を首から提げた。さすがに少々邪魔らしく、位置を調整して苦笑を見せる。
「シャルロットだったな。お前も付けろ」
ラナリアの護衛であるシャルロットに真珠の涙を持った腕を突き出す。
「そんな高価な魔法道具をお借りするわけには参りません。私はラナリア様の護衛で」
「和を乱すなって言っただろ。今日中にラナリアはお前の護衛なんて要らなくなる。今後も付いてくるつもりなら、最低限足手まといになるような行動はするな」
「っ、申し訳ありません」
シャルロットはすぐに受け取って首から提げた。
「美人で良かったですね、シャルロット」
「は、はぁ」
「ですよね、フォルティシモ様?」
「何? お前? 読心術とか使えるの?」