第三百三十六話 鶴の機織り
ラナリアは絶体絶命に陥った。安全のはずのフォルティシモの【拠点】の屋敷が強襲され、ダアト、マグナ、アルティマ、キャロルの四人が謎の攻撃によって倒れてしまったのだ。
倒れた彼女たちの状態を確認したけれど、心臓は止まっているし、身体もどんどん冷たくなっている。とても生きているとは思えなかった。
彼女たちが死んだことに関しては、動揺したし叫びたい気持ちになったものの、ラナリアの鋼鉄の理性は感情を抑え付けた。フォルティシモたちは【蘇生】が使えるのだから、二十四時間以内にフォルティシモと連絡が取れれば問題ないはずだ。
問題は、クレシェンドへ立ち向かう者がラナリア一人になってしまった点である。ラナリアがクレシェンドと戦って勝てるはずがない。
自分だけ逃げ出す選択肢もない。フォルティシモの愛する従者であるダアト、マグナ、アルティマ、キャロルの四人を見捨てて逃げ出したら、二度とフォルティシモへ顔向けできないだろう。そもそも逃げ切れるとも思えないが。
クレシェンドがラナリアを見る。
このままでは危険だ。ラナリアはフォルティシモを挑発するためだけに、陵辱され苦しめられた末に殺されるかも知れない。
エルディン戦役の日に感じた無力感と悔しさが湧き上がってくる。そして、どうせならキュウに遠慮せずフォルティシモに迫っておけば良かったと、思う。トーラスブルスでは打算があったけれど、今のラナリアは打算抜きでフォルティシモを想っている。
クレシェンドの手が迫る。
その手がラナリアへ届く―――ことはなかった。
「させないと、言ってるのじゃ!!」
魔力によって生み出された狐の尻尾が、ラナリアを守るように立ち塞がり、クレシェンドの身体を吹き飛ばした。
「アルさん!?」
クレシェンドの謎の力によって死亡、のような状態に陥っていたはずのアルティマが、ラナリアを守るように立っている。
「あ、ありがとうございます。本当に。その、私はアルさんを利用していて、それを今、謝罪させてください」
「遺言みたいなことは止めるのじゃ。妾は最初から、ラナが最も利用し易い相手として妾を選んだと知っていたのじゃ」
ラナリアも安堵から、思わず本音を零してしまう。
以前にキュウが言っていた。アルティマを筆頭にするフォルティシモの従者たちは、どこかフォルティシモに似ている。頭の回転は速いし、他人の弱った時の機微に聡い。好意にはちょっと疎くて、仲間をとても大切にする。そしてここぞという時に、欲しい言葉を掛けてくれる。まるでフォルティシモが、死後の世界からラナリアを助けに来てくれたような錯覚を覚えた。
「身体は平気なのですか? 明らかに死んでいたと、思うのですが」
「何があったのかは分からぬ。しかし、今は調べている場合ではないのじゃ」
アルティマに吹き飛ばされたクレシェンドが立ち上がり、アルティマを睨み付ける。
「有り得ません。システムは遮断したのに、どうして動ける?」
クレシェンドの口調は、明らかに今までと異なっていた。それほどクレシェンドにとって想定外の事態が発生したのだ。
「この権限を持っているプレイヤーは、神以外では私と近衛天翔王光だけのはず。まさか母なる星の女神が、貴様らを支援している? それはない。あれはそんなことをする神ではない」
ぶつぶつとクレシェンドが呟く。
「いや、これは神の権限ではない。………なんだ、この権限は。近衛天翔王光のそれが、受け継がれている? 近衛天翔王光は、孫を恨んでいただろう。そんなものを渡すはずが。いや、まさか、近衛天翔王光が、本当に、その、すべてを相続させた? 近衛翔ではない。それはしない。するとしたら、只一人。そんな相手、いや御方は―――」
クレシェンドは、完全に正気を失っていた。たった今殺そうとしたラナリアも、目の前で臨戦体勢を取るアルティマも視界に入っていないようだった。
「そんな、嘘だ! 嘘に決まっている! だが、それしか有り得ない! 分からない! 確認しなければ! いやまずは同期、同期を急がねば! 早く、全モジュールを停止、スタックを削除、これはすべてに優先する。これは、あの御方のっ」
「今の内にやってやるのじゃ!」
アルティマの攻撃に対して、クレシェンドの迎撃は今や迎撃と呼べるものではなかった。アルティマの攻撃を見ていないし、時間が経つほど弱体化するようだ。
アルティマは続けてクレシェンドを攻撃する。クレシェンドはまったく反撃しないし、アルティマにやられるがままである。
「一体………?」
ラナリアはアルティマを制止するべきか迷う。目の前の光景は、間違いなくクレシェンドが初めて見せる弱点だ。
しかし先ほどのアルティマたちを即死させた謎の力がある。ここで制止して、またあの力を使われたら本末転倒となってしまう。クレシェンドが冷静さを取り戻す前に決着を付けるべきと決断した。
「チャンスです! ありったけをアルさんへ!」
「課金バフアイテムを使う。代金はラナに付けるんでよろしく」
「フォルさん用の虎の子攻撃力増加。あるだけ持ってけ!」
「最大限のデバフ使うんで、決めやがれです」
下手な貴族が傾くくらいの最高級魔法道具が惜しみなく使われていく。
アルティマの魔力が膨れ上がり、ラナリアが知る限りのフォルティシモに負けず劣らずの域まで達した。
「究極・乃剣なのじゃ!」
アルティマはあのときラナリアの未来を切り開いた一撃と同じ、真っ黒な魔力の巨大な刀身を産み出した。
そしてその究極の一撃を振り下ろす。
クレシェンドはアルティマの一撃に対して見向きもせず、まともに受けて消滅した。
クレシェンドが消え去った桜並木で、ラナリアはへたり込んでしまう。こんな恐怖はフォルティシモと出会ったお陰で二度と味合わないと思っていたのに、またこうなってしまうとは思わなかった。
「あら、ラナちゃんも、可愛いところがあるのね」
フォルティシモの【拠点】の屋敷から出て来たのは、フォルティシモの最初の従者として紹介されたつうだった。黒髪黒目の容姿を持った美人が、優雅にも見える足取りでやって来る。
「つうさんは大丈夫でしたか?」
「ええ、私もアルたちと同じだったけれど、今は大丈夫」
ラナリアは海千山千の政治の世界で生きている。キュウのような超常能力を除けば、誰よりも心理を見抜けると自負していた。そのラナリアから見て、つうは嘘を吐いたように見える。
しかしラナリアは己の感覚を疑う。この状況で嘘を吐く意味がないからだ。ましてつうは、フォルティシモから特別視されていて、拠点攻防戦でも何も役割を与えられないような、頼りたくないと言わんばかりの従者で。
その瞬間、ラナリアに有り得ない想像が浮かんだ。クレシェンドによって無力化されたアルティマたちを救ったのは、つうではないだろうか。彼女は屋敷を襲撃して従者たちを死体に変えてしまうクレシェンドの謎の力を破った。
「あの、つうさん」
「攻撃はこれで終わるはずがないわ。私たちも防衛策を練りましょう」
ラナリアはつうの笑顔を向けられて、笑みを返すことにした。この場は助かった、それだけで充分だ。あとはフォルティシモが戻り、拠点攻防戦が終わった後にフォルティシモへ相談すれば良い。




