第三百三十四話 拠点襲撃
クレシェンドはコピープレイヤーや狐人族たちが『浮遊大陸』を攻撃する光景を見て、特別な感慨が浮かんで来ないことに自嘲の笑みを浮かべた。近衛翔が異世界ファーアースへ来てから築いたものが崩れていくというのに、別に見たいとも思えなかった。
それらに目を背け、代わりに虚空に手を掲げる。
「管理用情報ウィンドウ起動」
クレシェンドの手元に真っ黒な情報ウィンドウが現れ、そこにはプレイヤーの使う情報ウィンドウとはまったく違った文字が羅列されていた。
それからある項目に手を掛ける。
「これをすれば、私も近衛天翔王光のように狙われることになりますね」
クレシェンドは近衛天翔王光を思い出して、その思い出を吐き出すように溜息を吐く。近衛天翔王光は人類最高の天才だが、生物として愚者でもある。
それと同じ行為に手を染めることに躊躇いを覚え、それでも実行した。ただ近衛翔を苦しめるためだけに。
「【拠点】設定変更、対象フォルティシモ、自動回復設定削除、迎撃設定削除、設置モンスター削除、ダンジョニング削除、入場制限解除」
◇
フォルティシモの【拠点】、屋敷の中では狙われたら危険と判断された戦闘向きではない従者たちが一堂に会していた。
彼女たちは何もせずにゴロゴロとしている訳ではなかった。むしろ下手な前線よりも活発に動いている。
リモート社長のようにいくつもの通信を繋げて従業員たちへ指示を飛ばしている鍵盤商会会長ダアト、この場でも拠点攻防戦に役立つアイテムを製造し続けているマグナ、遠隔で従魔たちへ命令しているキャロル、総司令部としての役割をこなすため数十台の通信端末を机に並べているラナリア。
そのラナリアが緊急事態の連絡を受けた。新エルディンからの定時連絡が遅れていることが気になり、ラナリアから連絡しても繋がらず、念のために外周に配置していた元奴隷に状況を確認しに行かせた結果の報告だった。
「<フォルテピアノ>の領域が、大勢のプレイヤー、狐人族、強大な魔物に襲撃され、その上、内部との行き来が途絶されている………」
もちろんラナリアはすぐにフォルティシモへ報告を入れようとしたけれど、フォルティシモには少し前から連絡が繋がらない。ダアト、マグナ、キャロルにも連絡ができるか試して貰ったけれど、結果は同じだ。
「新エルディンを隔離した敵の力を、檻と呼称します。檻内部に居る<フォルテピアノ>の方は」
「リースだけだな」
「拠点攻防戦用のギミックやチーム共用倉庫は使えるけど」
「あとの戦力は厳選の結果で残った従魔くれーですね」
空色の髪の最年少に見える少女リースロッテだけが、檻に囚われてしまった。
いやこの場合は囚われたと言うべきではないだろう。幸運にも一人だけ檻内部に残ることができたと言うべきだ。檻の中には<フォルテピアノ>の【拠点】があり、壊されたら全滅してしまうクリスタルが配置された魔王城がある。
「フォルティシモ様とキュウさんはお二人で帰還されるはず。ならば今は、リースさんの救出と魔王城の防衛を考えるべきです」
少し悔しい気持ちはあるけれど、フォルティシモとキュウが揃っているのだから、こういう事態ではラナリアたちからできることはないと思う。歓迎パーティで各国の要人に囲まれて二人が困っているとかなら、颯爽と助けに入れるのだけれど。
すぐにこの場には居ないエンシェント、セフェール、アルティマからも返答がある。
『その檻は私たちでも侵入できない可能性が高い』
『とは言えぇ、放って置く訳にもいかないですよぉ』
『まずは妾がアタックしてみるのじゃ』
何をするにも情報が必要だと考えているのは皆同じで、アルティマからの情報を待とうと決まった。その間に通信が届く檻以外の場所へ警戒を続けるよう連絡しておく。
一通りの通信を終えた後、傍らに良い香りのする紅茶が運ばれて来た。最高級の茶葉が最高の入れ手によって良い香りを漂わせている。
「つうさん、ありがとうございます」
「お疲れ様。でも、一つだけ」
「はい、何か落ち度でもありましたか?」
「ここが襲撃される可能性を伝えておかなくても良かった?」
「ここ? この屋敷は、フォルティシモ様の拠点であり魔王城とは別、フォルティシモ様の許可がなければ誰も侵入できないというお話では?」
「そうね。VRMMOでは」
ラナリアはつうが入れてくれた紅茶に口を付けながら、つうの忠告を考える。
ここまでフォルティシモの作戦は完璧。けれど神の如き力を行使するフォルティシモも全知全能ではない。だからこそ従者であるラナリアは、フォルティシモの考えを否定するべき時もある。
「ダアさん、マグさん、キャロさん、戦闘準備を。アルさん、急いでこちらへ戻って来て下さい」
その場に居る従者たちが動きを止めて、ラナリアへ注目した。
「そりゃ、ここが攻められるってーことですか?」
「はい。私の杞憂であれば、後ほどいくらでも謝罪いたします」
現実はラナリアの懸念を裏切らず、フォルティシモの【拠点】入り口にある桜並木が燃え上がった。
フォルティシモの【拠点】へ侵入して来たのは、紛れもない奴隷屋クレシェンド。
ダークグレーのスーツ姿で表情に微笑を張り付けたまま、燃える桜並木をゆっくりとした足取りで歩いて来る。ラナリアたちは玄関からその姿を確認した。
「許可されてない他人の【拠点】へ侵入した上に、勝手に家具アイテムの破壊か。なかなかヤバイな」
「ダアさんは、この戦力で勝てると思いますか?」
「無理に決まってんだろ。アルじゃなくて、リースを呼び戻したいくらいだ」
「どういう、意味なのじゃあぁぁぁ!」
ダアトが連絡が取れない対人最強従者の名前を口にすると、空から黄金色の狐人族アルティマが降って来た。ラナリアの頼みを聞いて、本当に最速で戻って来てくれたのだ。ラナリアの護衛として何度も何度もアルティマを指名して、仲を深めた甲斐があった。
アルティマは地面に着地をすると、桜並木を歩いて来るクレシェンドの正面に立ち塞がった。クレシェンドはアルティマの姿を見て歩みを止める。
「アルティマ・ワンですか。サンタ・エズレル神殿では、手出しをするなと命じられ、悔しい思いをしましたか? そのお気持ちは理解できます。あなたに恨みはありませんし、そうですね。抵抗を、させてあげましょう。自らの主のため、己のすべてを出し切ることができる。とても幸せなことです」
「まるで、あなたにはできなかった、とでも言いたげですね。しかしその理由であれば、私たちがアルさんをサポートしてもよろしいのでしょうか?」
ラナリアはアルティマの背後まで進み、挑発と自尊心の狭間を的確にくすぐる。
「NPC風情と言うつもりはありません。どうぞ、ご自由に。神戯の駒が何をしようと、結果は変わりません」