第三百三十話 狐の戦入り 前編
フォルティシモは『浮遊大陸』にある実験区画の建物の一室で、情報ウィンドウを十枚以上表示させ、それらを俯瞰していた。
デスクの上には幾何学模様の描かれた紙やどこにでもありそうな葉っぱ、尖った石や綺麗な宝石、ビーカーに入った砂や水が置かれていて、それらのいくつかは破れたり砕かれたりしていた。
上体を反らして手を伸ばせば触れるくらいの近場にはソファが置かれていて、そこではキュウがタブレット端末を手にしながら座っている。
フォルティシモはシステムチェアに体重を預け、腕を組み、表情に笑みを作る。
「良くやった、ピアノ。想定以上の戦果だ」
無数の情報ウィンドウの中の一枚には、ピアノの状況がリアルタイムで表示されていた。これはVRMMOファーアースオンラインにあるシステム【配信】である。
あるプレイヤーの状況をアラウンドビューで大勢が視聴できるシステム。VR空間生配信である。かつてフォルティシモが脅し文句に使ったものの、異世界ファーアースだと気付いてからは考えることもなかった機能だ。
このシステムを使ってフォルティシモはいつでもピアノを救出できるように、またピアノとクレシェンドの戦いを一秒も見逃すことなく見届けていた。
『クレシェンドを倒す目途は立ったんだよな? これで分からなかったとか言ったら、私が格好悪いぞ』
「そっちは想定通りだ。クレシェンドは最強のフォルティシモの前に、敗北する」
『そうか。私はクリスタルを確保して戦い続ける。デーモンは私が引き付けてみせる。だから、後は頼む』
あまり無理はするな、とだけ伝えてピアノとの通信を終える。【配信】はそのままにしているので、万が一のことがあれば救援へ向かうつもりだ。
フォルティシモはシステムチェアから立ち上がる。
拠点攻防戦のシステムの解析も大切だが、まずは邪魔なクレシェンドを排除しなければならない。見知らぬ他人を奴隷にしようが、プレイヤーを抹殺しようが知ったことではないが、カイルやフィーナたちへ手を出したのは、許しがたい。
「キュウ、クレシェンドを倒しに行く」
「はい」
キュウはタブレット端末をソファの上に置き、掛けてあったコートを羽織り刀を腰に下げた。フォルティシモが戦いに出ている間、キュウが狙われる可能性があるのでキュウも連れて行くことにしている。
キュウが装備を身に着けて、フォルティシモの下へ駆け寄ろうとして歩みを止めた。
「ご主人様!」
建物の入り口から大きな音がした。システム上<フォルテピアノ>しか入れないはずの課金建造物アイテムの中へ、入り口を破壊することで侵入して来た者がいる。
数は八人。オフィスを模した建物であるため、入って来た八人の敵はすぐにフォルティシモとキュウと鉢合わせる。
「建葉槌さん、六鴈さん!?」
八人の中でも橙狐と緑狐には見覚えがあった。名前を覚えるのが苦手なフォルティシモは、どちらが橙で緑なのかは忘れたが、キュウの故郷の狐人族でありながら、キュウのことを覚えていなかった建葉槌と六鴈だ。
他の六人には見覚えがない。見覚えがないけれど、全員が狐人族で歳若い女性だった。事前に狐の神タマと出会っているのだから、狐人族がフォルティシモを攻撃してくることは想定内である。
「随分と乱暴だな。俺に何か用か? 尻尾を差し出しに来たなら、触り比べを楽しんでやっても良いぞ」
フォルティシモは片手でキュウを抱き寄せて守る態勢を取りながら、真正面に立つ紫狐へ言葉を発する。
「我らは神の眷属だ。神意により汝を討滅する」
「神意ね」
「戦う前に一つ聞きたいんですけど、フォルツァンドさんはどこに配置しましたか?」
紫狐がフォルティシモに応えた後、緑狐がフォルティシモを指差して大声を出した。そこでなんとか思い出したが、緑狐は六鴈だ。
フォルツァンド、それはフォルティシモがアバター変更アイテムを使って、黄金色の狐人族に変装した姿である。緑狐六鴈はフォルツァンドの居場所を知りたいらしい。
「あいつは、この世に居ない」
フォルティシモは嘘を吐かず真実を伝えた。フォルツァンドはフォルティシモなのだから、この世に居ないのは当然である。
「うわっ!? クレシェンドの言うように、親も殺す悪魔のような男なんだ!?」
緑狐六鴈が怒りからか全身の毛を逆立てた。フォルティシモは本当のことを話したのに、何故怒っているのか分からない。
「あ、あの、六鴈さん、わ、私、なんです、がっ」
「誰!? フォルツァンドさんの子供!?」
「二軒、隣で、その、畑仕事で役に立たなくて、六鴈さんには、いつも文句を言われてて………」
キュウの言葉が徐々に小さくなっていく。キュウの目線の動かし方や手足や耳、尻尾の挙動は、初めて出会った頃の彼女に戻ってしまっていた。
フォルティシモはキュウを少し強めに抱き寄せる。何があってもキュウはキュウ、フォルティシモの大切な相手だと気持ちを込めた。
「あっ。六鴈さん、私に見覚えはありませんか?」
緑狐六鴈は自分の質問も忘れてキュウを凝視し、他の狐人族へ確認を取った。
「知らないけど、そいつに囲われているなら、狐人族のよしみで助けてあげる」
「本当に、覚えていないんですか?」
キュウの質問に答えたのは橙狐建葉槌だ。
「里長と同じ黄金色。私のことも知っているみたい」
「建葉槌さん………」
「戦う前に、これだけは伝えておく。私と六鴈は、あなたとは初対面。あなたが知っているのは、おそらく、先代だ」
橙狐建葉槌が発した先代という言葉。キュウが勘違いするほどの似通った容姿。
竜神ディアナと瓜二つの容姿を持つカリオンドル女皇ルナーリスを嫌でも連想させる。
「え? 先代?」
キュウが見るから―――聞くからに動揺した声をあげた。考えもしなかった事実を突き付けられたのだろう。
「まさか、たった八人で最強のフォルティシモへ挑むとはな。覚悟はできているか?」
狐の神タマは戦いが終わったら、すべてを語ると約束してくれたのだ。キュウの知りたい“事実”は彼女たち八人から聞くよりも、狐の神タマから聞くべきだろう。
フォルティシモの言葉に応えるように、八人の狐人族たちはそれぞれの武器を構えた。