第三百二十六話 ピアノvs暗黒光 単騎駆け
カリオンドル皇国を攻めていたデーモンの槍使いは、サンタ・エズレル神殿での汚名を返上するため、NPCたちに“大氾濫の英雄”なんて呼ばれて天狗になっているプレイヤーアーサーと矛を交えていた。
大氾濫の英雄アーサーは、これまで現れたプレイヤーの中では抜きん出た才能―――権能を持つ神戯参加者である。
【伝説再現】演じることにより、現実を虚構で塗り替える権能。女神によって上書きされたデーモンたちの母なる大地を想起させる強力な神の力だ。
デーモンたちは十年前に彼を打倒しようと考え、策を謀ったことがある。その時は、アーサーの友人のNPCに邪魔されて叶わなかった。ここで大氾濫の英雄アーサーを倒せば、デーモンの槍使いは名誉挽回できるだけでなく、十年前の雪辱を果たしたと言われるに違いない。
「やるじゃねぇかよ。女神に踊らされた愚者の分際で!」
「ふっ、勝利の女神は僕に微笑んでくれている。そして僕のライバルを倒すため、無関係な人々を襲おうなんて悪魔たちには、決して微笑まない!」
「偽善者が! どうせ消えるNPCを殺したところで、何が悪い!」
デーモンの槍使いが更なる気合いを入れた時、情報ウィンドウから激しい通知音が鳴った。<暗黒の光>内で決められた緊急時のパターンで、何か緊急事態が発生したことを示している。
しかしデーモンの槍使いは戦闘中で、アーサーから目を離すこともできず焦りを覚えた。それに気が付いたのか、アーサーが剣を下げる。
「何かあったのかい? 出て構わないよ。仕事の電話は時知らずと決まっているからね。もちろん、電話中を狙うような卑怯な真似は、僕の誇りに掛けてしない」
何故髪の毛をふさっと触ったのかは理解できないが、このままだとアーサーとの戦闘に集中できないため、アーサーと距離を取った後に情報ウィンドウを開いた。
そして『冥府』が攻撃されている事実を知る。少し前にピアノという戦士が現れて、一方的に侵略を宣言した。デーモンの街ホーンディアンに残った戦士たちが、街を守るために応戦したけれど、瞬く間に全員が大怪我を負わされて治療中になったのだと言う。
デーモンの槍使いは怒りに震えた。ホーンディアンには戦えない子供や老人、レベルを上げていない者たちが大勢暮らしているのだ。
「非戦闘員を、平和に暮らしている者たちを狙うだと? 天空の王フォルティシモっ、卑怯者め!」
余談だが、<暗黒の光>はフォルティシモと少々の関係があるというだけで、アクロシア王国とカリオンドル皇国で平和に暮らしている者たちを襲撃しようとしていて、現在進行形でそれらの守備隊と戦っている。
「………………………そんなことをしているのか!? くそっ、見損なったぞ、僕のライバル!」
「い、いや、お前、天空の王フォルティシモの命令で、カリオンドル皇国を守ってるんじゃないのか?」
「ふざけないで貰おう! 何故、僕が僕のライバルの命令を聞かなければならないんだ! ここを守っているのは、ルナを守るためだ!」
これも余談だが、ルナことカリオンドル皇国の女皇ルナーリスは、<フォルテピアノ>の【拠点】にある専用コテージでゴロゴロしながら余暇を満喫している。デーモンの槍使いと大氾濫の英雄アーサー二人の戦っている地には居ない。
デーモンの槍使いは情報ウィンドウで逐一報告される現状、戻って防衛を手伝って欲しいという要請、そして目の前で戦っていた大氾濫の英雄アーサーを見比べる。
「お前が本当に天空の王フォルティシモの命令で動いてなくて、非戦闘員への攻撃を憎むなら、俺に付いて一緒に<フォルテピアノ>を止めろ!」
「良いだろう。その代わり、ルナの国であるカリオンドル皇国への攻撃を止めて貰おう!」
「むっ。当然の要求だな。分かった。今はそれどころじゃないから現場への連絡に留めるが、後で皆には連絡しておく。どうせ優先度の低い場所だった。大氾濫の英雄の助力を得られるなら、放棄しても構わないだろう」
<暗黒の光>は戦士たちの集まりであるが軍隊ではない。言ってしまえばVRMMOファーアースオンラインのチームシステムのように、同じ目的の者が集まったサークルに過ぎない。だから勝手に判断する者も現れる。
「アーサー、俺と来てくれ。天空の王フォルティシモの虐殺を止める」
「君が約束を守ってカリオンドル皇国から手を引くなら、僕も約束を守ろう。一緒に僕のライバルの暴挙を止める!」
◇
人間の集中力は一般的に九十分が限界と言われている。
その時間には十五分周期、四十五分、八秒など諸説あるが、どれも科学的な証明がなされた訳ではない。しかし、それを元に学校の授業時間やテレビドラマの放映時間が考えられているため、それらの時間に統計学的な信頼があると言って良いだろう。
それらの学説に共通することは、人間の集中力が数時間に渡って続くことはない点だ。
それにも関わらずピアノというプレイヤーは、『冥府』に侵入してから十二時間。たった一人で次々に襲い掛かるデーモンたちを、ただの一人も殺さずに追い返し続けていた。
ピアノは宣言通り怪我をさせるだけで誰一人殺さない。ピアノに中途半端に怪我をさせられたデーモンの戦士たちは、後方に下がってしばらくすると回復して戻って来て戦線に加わった。
既に引退したデーモンの老戦士も、若者たちが無残にやられていくのを黙っていられなくなり腰を上げて立ち向かった。
小さな怪我を負った者たちは前線から下がって、怪我を治す魔法薬や【治癒】スキルを受けてすぐに戦線へ復帰する。こちらを殺すつもりがないのであればと、我武者羅に立ち向かってくる者もいる。
一千を超えるデーモンたちが舐めているのかと憤った。
一万を超えるデーモンたちが現実を前にして青ざめた。
十万を超えるデーモンたちが異様と威容を感じ取った。
<フォルテピアノ>の底知れない力。
もし攻め込んできたのが、天空の王フォルティシモ本人であれば、デーモンたちはとっくに絶滅しただろう。十二時間もたった一人で、誰も殺さず戦い続けるピアノでなければ。
天空の王フォルティシモとその盟友ピアノ、どちらの所業が上かどうかは、各々の価値観による。
それでも感じられることがある。
<フォルテピアノ>は、デーモンたちの千年を受け止めるほどの存在なのかも知れない。そしてその言葉の通り、デーモンたちを―――。
◇
『冥府』は広い地下世界とは言え、平地ばかりの世界ではない。むしろ高低差が大きく、VRMMOファーアースオンラインのダンジョンに相応しい入り組んだ地形をしていた。
ピアノはそんな『冥府』の谷の一つを駆け巡る。
「き、来たぞ! 攻撃!」
両側の山から挟み込んだデーモンたちが、谷の底を走るピアノへ向けて一斉に魔術を解き放つ。ピアノは身体を加速させ、降り注ぐ魔術を回避。重力に逆らって谷を駆け上がり、デーモンたちの眼前に姿を現した。
汗や返り血で汚れた姿は、悪鬼羅刹のような印象を与える。デーモンたちはピアノの姿を見ただけで震え上がっているようだった。
「お前たちの勇気は覚えておく」
ピアノは圧倒的な力でデーモンたちを薙ぎ払う。もちろん致命傷を与えないよう、細心の注意を払って。
デーモンたち全員を気絶や怪我をさせた後、ピアノは再び谷に降りて走り出した。
ピアノの居場所は拠点攻防戦のシステムにより筒抜けになってしまう。高所に待機して待ち構えるのが定石に思えるが、VRMMOファーアースオンラインには意外と対空戦法が多い。スキルもほとんどが重力の制約を受けないので、高所が必ずしも有利とはならない。
ピアノは走りながら、かつては感じることのなかった疲労を覚えた。VRMMOファーアースオンラインでは感じられなかった肉体的な疲労だ。身体を動かせば疲れる。そんな当たり前のことを思い出して、なんだか嬉しかった。
だがピアノはフォルティシモと約束した。“作戦”を完遂するまで止まるつもりはない。
「止まりたまえ、黒髪の君! 何をしているのか分かっているのか!? 君は、平和に暮らしている街を侵略しているんだぞ!」
「………なんだ、あいつ」
異世界ファーアースで、大氾濫の英雄アーサーと呼ばれる男。フォルティシモに協力して、カリオンドル皇国を守ると請け負ったアーサーは、何故か『冥府』でデーモンたちと一緒にピアノの前に立ち塞がろうとしていた。
フォルティシモは認めているようなのだが、ピアノから見てアーサーは好きになれない。
リアルワールドで天才役者と言われて大成功して、暇つぶしにVRMMOファーアースオンラインをプレイして、神に認められて神戯に参加したアーサー。
フォルティシモが勝つなら良い。だがこんな奴が勝つなんて、こいつを推した勝利の女神は、どこまで見る目がないのだろうか、そう考えてしまう。
ピアノはアーサーへ向かってさらに加速した。
「抜光!」
光輝く剣を解き放ち、一撃でアーサーを気絶させる。
ピアノはフォルティシモとは違う。見せてやれる余裕はない。だから誰も死なない拠点攻防戦のため、一切の容赦をするつもりはなかった。
残ったデーモンたちは、大氾濫の英雄アーサーが一撃で昏倒させられたのを見てか恐怖が広がっている。
「ピアノ殿!」
そんな中、聞き覚えのある声がピアノを呼んだ。ピアノにデーモンの真実を伝えてくれた老人のデーモン、グラーヴェがピアノの前に立っていた。