第三百二十五話 ピアノvs暗黒光 攻撃開始
ピアノは単独でダンジョン『冥府』へ足を踏み入れた。
『冥府』は海の中にぽっかりと空いた直径十メートルほどの穴を降りることで行き着けるダンジョンである。現代リアルワールドの物理現象を考えれば、海に穴が空くなんてそれだけで異常事態だけれど、ここでは不思議に思うほどではない。
海の穴を降りていくと、徐々に波の音と水の落ちる音が消えていき、やがて地下世界の地面に到達する。
『冥府』は地下とは言え、『修練の迷宮』のような通路や部屋のある建物的な内部構造ではない。何万人も暮らせるような大きな島に、すっぽりとドーム状の天井を降ろしたようなダンジョンになっている。またこの場所は第一層であり、『冥府』は全八層からなる島々で構成されていた。『浮遊大陸』に対して『地下諸島』とでも呼べば良いだろうか。
情景は常に日食に晒されているように薄暗く、島の中にはいくつも建造物がある。
『冥府』はピアノの知るダンジョンと同じ様相をしていて、ダンジョンに足を踏み入れた段階から身体中を冷気が駆け巡った気がする。ファーアースオンラインの頃は、この冷気がプレイヤーのステータスをダウンさせていた。
「ここが異世界ファーアースの『冥府』か」
<フォルテピアノ>と<暗黒の光>の拠点攻防戦において、ピアノの役割は敵の本拠地である<暗黒の光>の【拠点】で暴れ回ることだった。
もちろん、ただ暴れ回るだけではない。可能な限り派手に、そして【蘇生】スキルが使えないデーモンを誰一人殺さずに、フォルティシモがデーモンたちを救う方法を見つけ出すまで戦い続ける。
唐突だが、廃課金フォルティシモと究極廃人ピアノは出会った当初こそピアノが上だったけれど、今では圧倒的にフォルティシモの強さが上である。
ゲームのアップデートがされればされるほど課金者が有利になっていき、その中でも廃課金者の頂点に立つフォルティシモは他プレイヤーの追随を許さない力を手に入れていった。
しかし、そんな中でも絶対的にピアノがフォルティシモに勝っている点がある。
それは他ならないプレイ時間。
異世界ファーアースへ来た頃、フォルティシモはキュウと一緒に野宿のテストをした。それで数日間、野宿と睡眠時間を削ったところ、それを長く続けることは不可能だと理解した経験があると言う。それこそ徹夜でゲームできたのは、あくまでゲームが死んでも許される世界だからで、徹夜による集中力不足でキュウが傷付いたら自分を許せないと思ったらしい。
だがピアノは違う。
究極廃人ピアノは一週間くらい一切ログアウトしないのが普通だった。フォルティシモの宣言した三日くらいなら、まったく集中力を切らさずに戦い続けることができる。
これから拠点攻防戦が終わるまで、フォルティシモに次ぐナンバーツープレイヤーピアノが、<暗黒の光>の【拠点】で暴れ続けるのだ。
チーム<暗黒の光>の【拠点】の存在するダンジョン『冥府』で暮らしているのは、<暗黒の光>に参加しているデーモンだけではない。約千年前、女神によって大地を奪われた時から、この地下へ逃げ延びたデーモンという種族全体がずっと暮らしている場所となる。
地下諸島『冥府』には、人口百万人を超えるデーモンが生活している。それは子供や老人など非戦闘員を含めた人数だけれど、<フォルテピアノ>の【拠点】である『浮遊大陸』の人口よりも多い。
それでもフォルティシモたちが『冥府』を突破してチーム<暗黒の光>の【拠点】を攻略するのに割けて通れないのが、<暗黒の光>に所属していない『冥府』で暮らしているデーモンたちだった。
百万人全員が<フォルテピアノ>と<暗黒の光>の拠点攻防戦に賛成で、積極的に<暗黒の光>に協力している訳ではない。<暗黒の光>とは、あくまでもこの『冥府』で暮らすデーモンたちの代表であり戦士だとも言える。
それでも百人に一人が賛成していれば、それだけで一万人の邪魔者が生まれるのだ。そして積極的に賛成していなくても、同胞を殺しに来る者から同胞を守ろうと思う者はそれ以上の人数だろう。
同時に<暗黒の光>は『冥府』に暮らすデーモンたちを攻撃されたら、防衛に回らざる得ない。
<暗黒の光>は『冥府』を守ることが至上命題となる。仮に女神から母なる大地を取り戻せたとしても、先住民たるデーモンたちが全滅していたら意味がない。
これは平和に暮らすデーモンたちを攻撃する、人質を取るような時間稼ぎ戦術とも取れるが、<フォルテピアノ>がフォルティシモの最も嫌う戦術を採るはずがない。どちらかが人質を取るなんて言い出したら容赦なく殴るくらいには、二人にとって人の命を軽んじる戦術はタブーだ。
『冥府』に降り立ったピアノは、フォルティシモから貰ったマップ全体に声を届かせる課金アイテムを使う。
「あー、あー、私は<フォルテピアノ>のピアノだ」
初めて使うアイテムなので、ちゃんと声が届いているのか不安になりながら続けた。
「今から<暗黒の光>の【拠点】を攻撃する。邪魔しない者には手を出さない。防衛する者も誰も殺さないと約束する。だから好きなだけ戦士たちを呼び戻してくれ。<暗黒の光>の【拠点】が攻撃されてるって伝えて良いし、彼らを助けるために【調合】や【アイテム精製】を使って支援しても良い。支援するだけなら攻撃しない」
ピアノは『冥府』に住むデーモンたちへ一方的に宣言する。
「私はお前たちを説得させられるような言葉は思い浮かばない。だけど私たちは、お前たちの全力を受け止めた上で救ってやる」
◇
「その<暗黒の光>の【拠点】で時間を稼ぐ役目、私に任せてくれないか?」
フォルティシモたちと拠点攻防戦の作戦を話し合っている時、ピアノはその戦いに志願した。
「言ってる意味が分かってるのか? 誰も殺さずにデーモンの注意を引く。下手したら三日三晩戦い続けるんだぞ。こんな役目ができるのはエンとセフェだけだ」
フォルティシモはエンシェントとセフェールをデーモンたちの時間稼ぎと、ある重要な作戦に使おうとしていた。
たしかにエンシェントとセフェールの二人であれば、時間稼ぎをしつつ作戦を全うできるだろう。
「その役割なら、私のが適任だ。エンとセフェの二人なら、他にいくらでも欲しい戦場がある。けど、私には、そこ以上の戦いはない」
すべてのクラスのスキルを使いこなす【影法師】にして、強力な現代AIの知性を持つエンシェント。傷を癒やすだけでなく蘇生まで可能な【救世主】で、知識を溜め込んでいるセフェール。
二人の有用性は疑う余地はない。それに対して、ピアノは戦うことしかできない。異世界ファーアースへやって来て自由に身体を動かせるようになり、色々なことに挑戦しているものの、戦闘以外はどうしても劣る。
「デーモンたちの気を引き続ければ良いんだろ? 何なら、<暗黒の光>のクリスタルの前で戦い抜いてやる」