第三百十三話 邂逅、狐の神 後編
フォルティシモは狐人族の里へ訪問しようとした時から、ずっと考えていた。
キュウを奴隷として“売って”苦しめた連中に、文句の一つくらい言ってやろうと。
キュウを奴隷として“買った”フォルティシモがというのを棚上げして。
そう思って向かってみれば、狐人族の里はとっくに誰も住んでいない廃村ならぬ廃里になっていた。
あの時、キュウの気持ちを考えたら苦しかった。キュウにとって自分が売られたことで家族が助かったことは、奴隷となり尊厳を失った彼女に残った最後の矜恃だったはず。
だから狐人族の里長タマが、本当に狐の神で、キュウを売ったのが仲間たちを助けるためではなく、何かに利用するためだと言うのであれば。
フォルティシモは里長タマを絶対に許さない。
フォルティシモは自分に冷静になるように言い、苦手だと自覚している話し合いをする。苦手なことは他人に任せるのが心情だけれど、これはフォルティシモが問いかけなければならない。
「もう一度だけ、聞くぞ。お前こそ本当に理解しているのか? キュウは、キュウ以外の誰でもない」
抽象的な問いかけだった。ただ、抽象的であるがゆえに多くの意味が含まれている問いかけでもあった。そしてその中心にはキュウへの想いがある。
そうして里長タマからの返答は。
「どうやらわての負けだな。今の言葉は全面的に撤回しよう」
「勝ち負けの問題じゃない。俺が聞きたいのは」
フォルティシモが言い終わらない内に、里長タマが扇子でフォルティシモを扇いだ。太陽の届かない地下の冷たい空気がフォルティシモへ流れてくる。
「わての言葉に嘘偽りなどない。お前は、わて以上にキュウを想っている。だからわての負けだ」
「そんな言葉で、俺が納得するとでも思ったか?」
「ならば、わてのがキュウを想っているから、お前は引き下がって、わてへ返せと言えば良いのかえ?」
「ふざけんな、PKするぞ」
「かかか!」
フォルティシモは自分で言っていて支離滅裂だと思ったので、咳払いをして誤魔化した。
「さて、ここであれば“太陽”にも漏れまい」
> チャットが切断されました
神戯の管理者としての力か、女神マリアステラが現れた時と同じ通信途絶か、繋ぎっぱなしだったフォルティシモの従者たちへの音声チャットが勝手に切断された。
フォルティシモ、キュウ、ラナリア、里長タマ、四人だけが知る密談が始まる。
「ではお前の聞きたいことに答えよう。飢饉はあった。そのままでは、多くの餓死者が出るほどに大きな飢饉が。その中で、わては里の者たちを救うため、狐人族の中でも才能豊かな者を奴隷として売る決意をした」
そこまでの話は細部が違うものの、キュウから聞いた過去と同じと言って良いだろう。問題なのは里長タマが狐の神で、神戯の管理者だと言うこと。曲がりなりにも神戯の管理者が、飢饉の一つも救えなかったということになる。
「キュウはその中の一人だ。高い価値で売れた。そして、それによって里は、一人の餓死者も出さずに飢饉を乗り越えられた」
キュウの耳と尻尾が、見るからに安堵をみせた。キュウはもう家族に会いたくないと言ったけれど、その耳と尻尾だけで口から出た言葉以上の本音を見た気がする。
里長タマが神戯の管理者なのが問題だと思ったのだけれど、キュウの様子を見たら問いかける気が失せた。
「そう、か。なら、あれだ。今後も文句は言うかも知れないが、俺からは、何もない」
フォルティシモにとって重要なのは、キュウの気持ちだ。キュウの矜恃が守られたのであれば、フォルティシモからは口で文句を言うだけである。
「文句くらいであれば、いくらでも受け止めよう」
「その言葉を忘れるなよ。とにかく、お前がキュウを意図的に苦しめたんじゃないなら、もうお前の用件は後回しだ。あとでしっかり聞いてやるから、お前は待ってろ。クレシェンドとの拠点攻防戦は、俺が絶対に勝つから心配する必要はない」
里長タマがキュウを心配して来たのであれば、杞憂だと伝えたつもりだ。<フォルテピアノ>の拠点攻防戦敗北によってキュウが死ぬことはない。フォルティシモが絶対に勝つからだ。
フォルティシモは里長タマがキュウを心配してやって来たことに安堵していた。里長タマが狐の神で神戯の管理者である点は、後々問い詰めれば良い。
しかし里長タマは、ここからが本題だと言わんばかりに扇子をくるりと回した。同時に耳と尻尾が鮮やかに動き、フォルティシモを黙らせる効果がある。
「わてはクレシェンドに、<フォルテピアノ>との拠点攻防戦への協力を要請された」
「何? 管理者に協力を仰ぐなんて有りなのか?」
「ルール違反にはならん」
「ゲームを題材にした創作物の中には、都合良く管理者に勝つのもあるが、技術者の立場から言わせて貰えば管理者に勝つなんて荒唐無稽この上ないぞ。極端な話、お前が勝たせたい奴以外、アカウント停止すれば終わりだ」
「その点は安心して良い。神戯はお前たちの考えるコンピュータゲームとは違う。スポーツの世界大会やオリンピックに近い。管理者と言えど、そこまで逸脱した介入は不可能だ」
フォルティシモは里長タマの例えに眉をひそめる。神戯を世界大会やオリンピックに例えたのは、近衛天翔王光だけ。
里長タマは相変わらず余裕の表情で扇子を使っている。
「まさかとは思うが、<暗黒の光>、クレシェンドとの拠点攻防戦で、狐人族を殺すなって言うつもりか? そっち、お前の配下の狐人族は全力でこっちを殺しに掛かるが、こっちは全員を殺さずに終わらせろと」
「話が早い」
フォルティシモは腕を組んで、呆れて里長タマを見た。
「なら最初から参加するな。クレシェンドの要請を拒め」
「わてが太陽の届かぬ地下へ導いたとまで当てたのに、その理由までは察せないのかえ?」
「お前も太陽の神には逆らえず、クレシェンドに協力するしかないってことか?」
里長タマの微笑みが答えだろう。
元々、フォルティシモはデーモンたちの被害を最小限にして拠点攻防戦を終わらせると宣言している。それに狐人族が加わったところで、作戦に大きな変更はないと思われた。むしろ事前に狐人族たちの参戦が分かっている分だけ、対応も取りやすい。
何よりキュウの故郷の狐人族たちが襲って来たからと言って、キュウの目の前で狐人族を虐殺するなんて、フォルティシモにできるはずがない。
それでもただで相手の要求を呑むのは、フォルティシモの嫌いな行為だ。
「俺のメリットは?」
「クレシェンド、デーモン、<暗黒の光>、本来であれば、どんなプレイヤーでも勝てるはずのない戦力。しかし、お前がそれを、わてからの縛りを受けた上で、それでも上回るのであれば」
「最強のフォルティシモは勝つ」
「………約束しよう。わてたちの誰も殺さず、この拠点攻防戦を終えられたのであれば、お前を近衛天翔王光やクレシェンド以上の存在と認め、わての知る限りのことを伝えると」
里長タマ、狐の神タマは、フォルティシモが求める最高の対価を約束した。
異世界ファーアースに来てから、ずっと調べ続けて来た異世界ファーアースの仕様。
それを、管理者自ら説明してくれる。
フォルティシモは逸る気持ちを抑えられなくなって、思わず感情に任せた質問を口にした。
「良いだろう。狐人族は一人も殺さないよう厳命する。ただ、その前に一つ聞きたい」
「何かえ?」
「残りの二十五点は何だ?」
「………かかか、それも勝ったら教えてやろう」
フォルティシモは笑ってみせた。
最初の神戯参加者クレシェンド、原住民デーモンたち、神戯の管理者タマ、その配下の狐人族、それらがフォルティシモの敵として立ちはだかる。
デーモン、狐人族が死なないことを前提条件にして。
三日以内に終わらせると、従者へ約束した。
すべてを達成するのが最強のフォルティシモだ。