第三百十二話 邂逅、狐の神 前編
キュウを奴隷として売ったのは、キュウの両親である。狐人族の里を飢饉が襲い、そこに住む狐人族たちが生き抜くだけの食糧が確保できなかった。そしてキュウや他の何人かの狐人族が、奴隷として売られた。
飢饉が起こるなんて誰も予想できないはずだ。だから里長タマには責任はない。頭では理解している。でも里長タマが狐の神なら、主人みたいに天候を操作できたのではないか。いやでも、それをされたらこうして主人と出会えなかった。
そんなキュウの目の前に、狐人族の里長タマが現れた。
同時に考える。今、キュウの家族はどうしているのか。里長タマなら知っているはずで、それを尋ねるか。しかし主人の手前、もう家族に会いたくないと言ったのに、それを覆すように尋ねることなど。
キュウは自分の気持ちがぐちゃぐちゃになりながら、主人を見つめた。
主人はいつものようにキュウを見て、力強く頷いてくれた。それだけでキュウの心は強くなれる。
キュウは“キュウ”だ。
狐人族の里にいた容姿だけで無能な少女ではなく、最強の主人を支える従者の一人である。
キュウはそう決心して、勢いよく里長タマへ詰め寄った。
「俺を誘惑しようとしても無駄だ。成る程、お前の尻尾は立派だと認めざる得ない。だが俺はキュウの尻尾が何よりも―――」
「ご主人様が望むことが私の望むことです! ご主人様は、タマさん、あなたの情報を望んでおられます! 私のことはどうでも良いです。タマさん、あなたは、本当は、何者なんですか!?」
キュウの質問を受けた里長タマは、扇子を開きパタパタと振っていた。その微笑から感情は読み取れない。
キュウは全力で耳に意識を集中させてみたけれど、里長タマからは何も感じ取ることができなかった。
主人に信頼され、自信を持っているキュウの耳が、里長タマの音を何一つ聞き取れない。ここまで聞き取れないのは、女神マリアステラとエンシェントくらいである。
「わての役割は、もうお前に伝えたはずだ。しかし、問われたのであれば答えようかえ」
里長タマは扇子を閉じ、一拍の時間を置く。この場の誰もが飲まれていると感じつつ、それでも里長タマの返答を待っていた。
「わては、この神戯の管理者だ」
キュウは急いで主人の表情と音を確認する。
主人は驚いていた。いや主人の音から、ある程度は推測していたものの、その推測の中で当たって欲しくなかったものが当たった、と言う感じだろうか。
「管理者だと? お前は、クレシェンドやテディベアを呼び寄せた狐の神なんじゃないのか?」
「テディベア? 管理用情報ウィンドウを確認したが、そんな名前のプレイヤーは居ないが」
「エルディンを作ったプレイヤーだ。名前は聞いたかも知れないが忘れた」
「ああ、セルヴァンスのことかえ? それならばクレシェンドもセルヴァンスも、わてが神戯に参加させ、ファーアースへ召喚した者に相違ない」
主人が情報ウィンドウと呼ばれる神の力で、テディベアへ本名がセルヴァンスなのかと確認を取っている。キュウの耳はその遣り取りも聞こえているので、テディベアからの返答が肯定であることを知った。
エルディンを建国したエルフの始祖、御神木だったテディベアの本名はセルヴァンスらしい。エルミアは知っているのかな、と場違いな感想を抱く。
「神戯の管理者が狐の神で、最初の神戯参加者たちを召喚した神で、キュウの里長で、キュウ並に美しい毛並みで、名前がタマで、俺に会いに来たってことか? 情報量が多すぎて、何から検討したら良いのかまったく分からん」
主人の言葉は混乱しているようでいて、主人から聞こえる音はとても静かだった。少なくともアクロシア王都が狐の大群に襲われて、主人の目の前で狐が腹を見せて転がった時よりは冷静だ。
「まず、このタイミングで俺に会いに来た理由は何だ?」
主人が里長タマを睨み付けたので、キュウも一緒になって里長タマを睨んだ。主人に睨み付けられたら誰でも竦み上がりそうなものだけれど、里長タマは緊張した様子もなく笑みすら浮かべていた。
里長タマの態度は、まるで里長タマが主人より上の地位にいるかのようだ。キュウはそれが少し不満に感じてしまい、自分の気持ちを振り払う。
「かかか、拠点攻防戦に敗北したチームは消える。従者ごと全員だ。それがファーアースにおける法則。そしてわてがクレシェンドとフォルティシモの戦いの前に会いに来たのは他でも無い」
里長タマはキュウを見つめた。
「キュウをわてに返して貰いたい」
「断る」
キュウが驚く前に主人が即答する。
「そもそも返すという言葉が気に食わない。キュウはとっくに俺のモノで、誰にも渡すつもりはない」
『フォルティシモ、そこは、彼女は誰のモノでもなく、キュウはキュウ自身のモノだと言うべきところだよ』
先ほど主人がテディベアと音声チャットを繋いだため、テディベアにもこちらの言葉が届いている。そのためテディベアから主人への小言が入った。
でもキュウは、テディベアの言葉よりも主人の言葉が嬉しい。キュウは主人のモノだ。
「ふむ。しかしキュウが何者か、本当に理解しているのかえ?」
「お前こそ本当に理解しているのか?」
「わては理解している。分かるかえ? この力、あの母なる星の女神にも比類する、圧倒的な才覚、真なる天へと至る才―――」
「この尻尾の肌触りを分かっていないだろう? 触ったことがあるか? 俺は触るだけじゃなくて、トリミングやブラシもしてるぞ。それから、これは言いたくなかった切り札だが、頬ずりもしたことがある」
主人が里長タマの言葉に被せるように、変なことを言い出した。
こういう時の主人は感情に任せていて、今はつう、エンシェント、セフェール、ピアノの誰もが居ないので、キュウが主人に冷静になるよう忠言しなければ―――。
違う。
主人は表情を引き締めて、真剣に里長タマと向かい合っていた。
キュウの耳で主人の感情を聞き取っても、先ほどまでとはまるで違う。捕まえられた狐が運ばれてくる度に依頼者として確認すると言って、狐たちを撫で回していた時とは違い、欠片の興奮もなかった。
主人は巫山戯ているのでもなく、冗談を言っているのでもない。
「それが、お前にとってのキュウなのか?」
「その質問の意図は?」
「俺は、お前とは初めて会う。ずっと、できるだけ偏見を持たないようにしようと考えていた」
主人と里長タマの間に流れる空気が変わった気がする。
「お前が、俺にとって倒すべき敵なのか、冷静に見極めたかったからだ」
「ふむ」
「お前がキュウを苦しめた奴なら………。俺はどんな手を使ってでも神を滅ぼす方法を探し出して、お前を倒す覚悟を決める」
主人はこれまで、何柱かの神と出会った。その中で、主人のものを傷付けた神が二柱だけいる。
一柱は言うまでもなく、主人の両親を殺したという太陽の神。
もう一柱は。
里長タマ、狐の神。
狐の神が傷付けた対象は、キュウだ。
思えば、アクロシア王都が黄金狐に占拠された時も、いつもの主人ではなかった。主人は従者たちが懸命に拠点攻防戦の準備を頑張っているのに、自分の楽しみを優先させるような人ではない。
必要以上に狐に執着したのは―――狐の神、キュウを傷付けた神が現れると思ったから。主人にとって狐の神がクレシェンド以上の仇敵になるかも知れないと考えたのだ。
それはつまり、主人はキュウのことが、それだけ大切だと言うことで。
キュウは自分の尻尾がパタパタと五月蠅く動いていると気付いたのだが、キュウの尻尾はなかなか止まってくれなかった。
「俺はお前のお、せいで、キュウと出会えた。俺がキュウと会う以前のことで、お前を責めるのは筋違いだ。しかし今、お前がキュウのことを利用するって言うなら、それは俺がお前を倒す理由になる」
主人の威光を受けてなお、里長タマは涼しい顔をしていた。
「もう一度だけ、聞くぞ。お前こそ本当に理解しているのか? キュウは、キュウ以外の誰でもない」
キュウは主人の言葉にドキリとした。キュウがかつての自分を思い出させる出来事がある度に、自分へ言い聞かせている言葉。
キュウは“キュウ”。それを誰よりも愛する主人が肯定してくれた。
「どうやらわての負けだな。今の言葉は全面的に撤回しよう」
里長タマは、主人に対して白旗を揚げた。




