第三十話 懐中時計の行方 キュウ編
キュウは主人の一緒に探してくれるという言葉を丁重にお断りした。無くした場所は覚えているので、すぐに見つかると伝えると、主人はどこか気落ちしていたように見えた。もちろん失せ物探しを断ったくらいで主人が気落ちするなんて、キュウの願望に違いない。
キュウが時計を無くした、正確に表現するなら奪われたのは、主人が助けに来てくれる直前にヴォーダンに奪われたのであり、主人が助けに入った瞬間にはヴォーダンは時計を手放して両手槍を構えていた。そのため時計は王城の王座の間に放置されたはずだ。
簡単に見つかるだろうと思っていたが、王城は厳戒態勢で立ち入りは完全に禁止されており、探すこともできず途方に暮れてしまった。かつては話し掛けることも恐れ多かった王国騎士たちが厳しく立ち入りを制限し、キュウのような冒険者は入ることが許されていない。
もしも見つからなかったと言って宿へ帰ったら、主人が何をするだろうか。何故か、王城を爆破した魔術を使って時計を探す主人の姿が思い浮かぶ。ヴォーダン以上の脅威がアクロシアを襲おうとしているのかも知れない。
「あの、ラナリアさんに、聞いて貰えないでしょうか。時計を知りませんかって」
王城を封鎖している騎士は怪訝な顔をした。アクロシア王国の王女を「ラナリアさん」などとさん付けで呼ぶ人は少ないだろう。しかも用件は時計という失せ物探し。無視したいがもしも王女の個人的な知り合いであったなら事務的な対応は印象がよくない、そんな兵士たちの感情が伝わってくるようだった。
「もし。そこの狐人族の方は、キュウという名前ですか?」
周囲の騎士よりも強い魔力を持つ装備に身を包んだ女性騎士が通り掛かり、門番をしている騎士とキュウに声を掛けた。兜の間から見える顔と声からは、綺麗な大人の女性という印象を受ける。
「シャルロット様」
警備の騎士が敬礼の姿勢を取ったので、女性騎士は階級の高い騎士なのだろう。
「はい、私はキュウです」
キュウはポーチからギルドカードを取り出す。主人に言われるがままに作ったギルドカードだったが、身分を証明するのにこれほど便利なものはなく、さすがは主人だと思った。
シャルロットと呼ばれた女性騎士はキュウのギルドカードを確認すると、笑みを作って応対した。
「やはり。ラナリア様にご用事でしょうか? 少しお待ち頂ければご案内できますが」
「い、いえ、その、時計を無くしてしまって。ラナリアさんなら、知っているかと」
今更ながら、落とし物をしたから一国の王女にその場所を聞こうとしている自分が恥ずかしくなってきて、なんて馬鹿なことを言っているのだろうと自覚した。
「時計ですか。それはこの程度の大きさの、美しい彫刻の金の時計でしょうか?」
「は、はい、そうです!」
「それであればラナリア様がお預かりしています。キュウ様の物であると伺っていますが、ラナリア様がご自身で持たれていますので、お待ち頂いてもよろしいですか?」
「はい。ではここで」
「こちらへどうぞ」
外で待とうと思っていたのに、いきなり豪華な一室へ通されてしまった。
普段宿泊している宿の一室の十倍以上の広さがある四角い部屋の中央に、真っ白いテーブルクロスの掛けられた長方形のテーブルが置かれ、いくつもの椅子が並べられている。見上げれば花を連想させるシャンデリアが輝いており、案内をしてくれた女性騎士シャルロットが真紅のカーテンを開けると、彼女の身長よりも大きな硝子窓から明るい日光が入って来た。
「こちらでお寛ぎください。すぐにお飲み物をお持ちします」
「い、いぇ! おきゃまいなく!」
シャルロットが礼をして退出した後、給仕と思われる女性が紅茶を運んできた。ぺこぺこと頭を下げてお礼を言っていたら、女性は笑顔でお茶を飲むように勧めてくれる。言われるがままに紅茶を飲んだが、緊張で味が分からなかった。
「おはようございます、キュウさん」
「おはようございます、ラナリアさん」
シャルロットを連れてラナリアがやって来た。本来であれば更に緊張しそうな状況にも関わらず、自分と同じ主人がいる立場ということで少し緊張が和らいだ。
ラナリアは昨日よりも装飾の少ない格好をしており、動きやすさを考えた服装をしているのだと思われた。よく見ると全体的に覇気がなく、疲れを悟られないためか目元を中心に化粧をしている。
シャルロットが椅子を引き、自然な動作でラナリアが着席する。給仕の女性も流れるように紅茶を準備した。シャルロットはそのままラナリアの背後に立ち、給仕の女性は部屋を出て行く。
「昨夜はよく眠れましたか?」
「はい」
本当はあまり眠れなかったのだが、とても個人的な事情なので省いておく。それよりは見るからに疲れているラナリアに、聞き返して良いのかどうか分からない。
「それは良かった」
「あの、ラナリアさんは、お疲れ様、です」
「ふふっ、ありがとうございます。私も仮眠は取りましたし、お父様も目覚めましたのでもう大丈夫です」
キュウの言葉に対して機嫌を悪くしなかったことに安堵する。
「この魔法道具をお探しだったのですよね。お返しします」
ラナリアが懐から取り出した時計をシャルロットが受け取り、テーブルの向かい側のキュウの元まで持ってきた。
手に取り、動いていることを確認してほっと一息がつけた。
「それはフォルティシモ様がキュウさんに下賜されたのですか?」
「はい。その、ご主人様と初めて会った翌日に寝過ごしてしまって、それで目覚ましに使えって」
言葉にしてみると恥ずかしい話だったが、貰った日から毎日目覚まし時計として使っているのだ。この時計を見て思い起こされるのは、自分の恥といつも起こしてくれる道具に対する感謝だった。
「め、目覚まし? それは、死者の蘇生ができる魔法道具なのですよね?」
ヴォーダンという男がキュウの時計を見た時にそう言っていたが、それについては主人しか知らない。
「分かりません………。ご主人様は目覚ましに使えとしか言われなくて」
「わ、分からないのですか。なんとも常識外れなお話ですね」
ラナリアは驚きながらも楽しそうに笑っている。
「キュウさん、よろしければ昼食をご一緒しませんか? もっとキュウさんとお話がしたいのです」
王女からの会食の誘いなんて、少し前のキュウだったら考えられないことだったが、今は主人との約束があるので断らなければならない。迷う必要もなく主人を優先する。
「あの、凄く、嬉しいのですが、ご主人様に昼食までには戻ると言ってしまったので」
「もしかして、キュウさんが作っているのですか? それでしたら是非私もご馳走して頂きたいです」
「い、いえっ、練習中です」
「では、フォルティシモ様のお食事中に、キュウさんは?」
「え? 一緒に食べてます………あ、ご主人様が一緒にって」
主人と奴隷が一緒に食事をするなんて、常識では考えられないことだろう。それを言ってしまったら、一緒の部屋で寝たり、冒険者ギルドの仕事をしたり、レベルやスキルの面倒を見て貰うなんてもっと有り得ない話だ。
「そうですか。しかし残念です。私もご一緒したいのですが、お父様が目を覚ましたと言え、私はまだ王城を離れられません。フォルティシモ様に命令されれば別ですけどね」
「命令は、されたことがないので、分からないです」
キュウは主人の言葉であれば何でもこなそうとしているからかも知れないが、主人から命令をされたことはない。
「それは嬉しいですね。何事も自分の意思で判断したいですし」
ラナリアの傍に直立不動で立っているシャルロットの鎧から音が鳴ったようだが、大きく動いた様子はなかった。
「キュウさん、まだお時間はありますか? 私もこれからフォルティシモ様とお付き合いしていくことになりますので、あの方のことを知りたいのです。よろしければ、少しだけお話して行きませんか?」
キュウは返して貰った時計を見て、まだ主人がいつも昼食を取る時間までに余裕があることを確認する。主人は約束の時間に間に合えば、不機嫌になったり理不尽に怒鳴ったりはしない。
「あと少しなら」
「それは良かったです! では早速、キュウさんは普段、何をされているのですか?」
ラナリアに問われるがまま、キュウが主人に出会ってからこれまでしていたことを話していく。ラナリアはキュウが話しづらいことは雰囲気を察して止めてくれるし、むしろ話しやすいように相槌や質問を挟んでくれたので、話すことが苦手なキュウでも上手く伝えることができた。
口数の多くない主人なので、こういう相手が話しやすいよう会話を展開する技術が欲しいなと思うキュウだった。