第二百八十一話 忍び寄る悪意
アクロシア王都の冒険者ギルドで、ギルドマスターガルバロスは苛立ちを隠さずに執務室の中をグルグルと歩き回っていた。
それも仕方がない。ガルバロスの娘ノーラが所属する<青翼の弓とオモダカ>が受注した、サンタ・エズレル神殿から聖職者を救出する依頼は、調べれば調べるほどきな臭い依頼だったからだ。
一見すれば各国から集まった軍人と一緒にサンタ・エズレル神殿を攻略するだけのように思える。何カ国もの混成部隊だから、部隊内に不和はあっても作戦自体に怪しいところはない、はずだった。
だが部隊編成を指示した各国の代表者は全員が行方不明になっている。
そして今、サンタ・エズレル神殿奪還部隊との連絡は途絶した。
極めつけに娘ノーラの友人フィーナの従魔だけが、死に体で戻って来たのだと言う。
「くそっ」
ガルバロスは自分を落ち着けるため、震える手でお茶を入れた。
黄金狐の少女キュウと<アスチルベ>のリーダーピアノが、あの常識外れの最強男に話しているはず。大陸のすべてを焼き尽くせる太陽を産み出す男だ。あの男に任せておけば、娘ノーラを救ってくれるに違いない。むしろあの男に不可能なら誰にもできやしない。
「ガルバロス様!」
ギルド職員がノックもなしに勢いよく執務室の扉を開ける。
「お嬢さん、いえ、冒険者ノーラが帰還しました!」
「そ、そうか! すぐに行く!」
ガルバロスは冒険者ギルドのギルドマスターで、特定の冒険者に肩入れするべきではない。肩入れするとしたら、あの男のように冒険者全体にとって余りにも有益な存在に限定するべきだった。
けれども今だけはギルドマスターガルバロスではなく、ノーラの父ガルバロスだ。冒険者ギルドの中にある医務室で、ベッドに座って診察を受けているノーラを見た時は思わず涙を流しそうになった。
「お父、さん」
冒険者ギルドの中では必ず「ギルドマスター」と呼ぶノーラが、不安そうな表情でガルバロスを父と呼んだ。
「無事、だったか。良かった」
「はい。フォルティシモさんが助けてくれました」
「また借りができてしまったか」
ノーラはガルバロスへ向けて笑みを作った。
「大丈夫です。もう、返す必要はありませんから」
◇
天空の国フォルテピアノの冒険者ギルドは、エルフの有志や元奴隷たちが集まって仕事をしている。まだまだギルド職員も所属冒険者も少ないギルドなので、それほどの忙しさはなかった。
実を言うと、その分給与は良くないのだけれど、出資したいと申し出る資産家や貴族、商人は数多くいるので、体制が整えば飛躍的に改善されることだろう。
それにフォルテピアノ冒険者ギルドの職員たちは、お金のためよりも恩返しのためにできることをしている感覚が強く、仕事を増やすためにそれぞれが積極的に動いているくらいだった。
そんな中で、エルフの受付嬢が一人の青年と談笑していた。仕事をサボっている訳ではない。こういう冒険者たちとの何気ない会話も、受付としての仕事の一環である。
「ああ、俺たち<青翼の弓とオモダカ>は、ずっとフォルティシモに世話になってるから、そろそろ所属を変更しようと思うんだ」
冒険者の地位は今でこそアクロシア大陸各地で確固たるものになっているものの、ならず者や荒くれ者、犯罪者一歩手前の暴力集団とさえ見られることもある。
しかしフォルテピアノ冒険者ギルド所属の冒険者は、まったく違った見方をされる。
天空の王フォルティシモの冒険者贔屓は有名で、フォルテピアノ冒険者ギルド立ち上げの際には、大勢の冒険者が移籍を希望した。
しかしそれでは困ると他国の冒険者ギルドから待ったが掛かったのか、政治的理由からの懇願か、鍵盤商会からの顧客喪失の苦情か、冒険者大量移住によるフォルテピアノ国内の混乱を恐れてか、あるいはそのすべてか。
フォルテピアノ冒険者ギルドへ所属するには身辺調査や実績が必要で、他国から見れば公僕に近い地位にあった。
そんなフォルテピアノ冒険者ギルドへ移籍したいと雑談する冒険者の青年は、<青翼の弓とオモダカ>のリーダーカイル。
ギルド職員にとって、調査するまでもなく“お上”から承認するよう命令が下っている冒険者チームだ。
「すぐに書類をお持ちしますね」
「ああ、よろしくお願いします。ところで、フォルテピアノの冒険者たちは、どんな人がいるのかな?」
◇
ドワーフの鍛冶師エイルギャヴァは、久々に槌を持たずに鍵盤商会の店舗へやって来ていた。
あの鍛冶神マグナに弟子入りしてからと言うもの、寝る間も惜しんで槌を振るってきたけれど、まさか工房の炉が壊れてしまうとは思わなかった。エイルギャヴァの父や工房の者たちも大慌てで、エイルギャヴァ本人は思わず白目を剥いて気絶してしまった。
すぐに鍵盤商会へ相談したら、工房の炉は明日までに新しい物に取り替えてくれると言うので一安心だったけれど、今日一日暇な時間ができてしまった。
そのためエイルギャヴァは、久々に鍵盤商会の店舗へ足を運んでいた。
自分たちが作った品々が売られている光景に、恥ずかしさを感じる。以前は工房の作品、先祖代々受け継がれた技による一品に自信を持っていたのに、今では未熟さばかりが際だってしまう。
特に鍛冶神マグナの神具の隣になんか並べられると、公開処刑かと叫び出したくなった。
現代リアルワールドの人間であれば、ノートの端に描いた落書きが名前入りでモナリザの隣に展示されているようなものだ。いっそ燃やしてくれと叫びたくなるだろう。
「こ、これはいけないのけ」
エイルギャヴァがそそくさと鍵盤商会の店舗から立ち去ろうとしていたところ、彼女の作った武具を使っている冒険者と鉢合わせた。
「<青翼の弓とオモダカ>のデニスとエイダなのけ。装備の調子はどうなのけ?」
◇
エルミアはアクロシア王都を歩いていた。熊のぬいぐるみであるテディベアを頭に乗せ、周囲に若干引かれながらも、油断なく警戒し続けている。
エルミアはフォルティシモがサンタ・エズレル神殿を攻撃することを聞かされていた。聖マリア教との関係に新たな諍いが起きるかも知れない。
『浮遊大陸』にある第二の故郷新エルディンへ戻る選択肢もあったけれど、あっちはフォルティシモの従者たちが守ってくれるはずだし、そもそも聖マリア教の威光は天空の国フォルテピアノには届かない。
だから警戒するべくは、フォルティシモが大切にしている王女様の国、アクロシア王国だ。エルフへの感情が良くないアクロシア王国だったけれど、最近はそれも僅かに改善されつつある。それに加えて積極的にアクロシア王国の仕事を受けていることもあり、愛着が湧かないでもない。
エルミアは<リョースアールヴァル>のパーティメンバーと相談して、フォルティシモのサンタ・エズレル神殿攻略が完了するまで、自主的にアクロシア王都を見回ることにした。
『神殿へ行ってもいつも通りだったね』
「ええ。でも、いつも通りって言うのが、怪しいかも知れないわ。もちろんエルフの私たちに本心を曝け出したりはしないでしょうけど、自分たちの聖地が占拠されているのに落ち着き過ぎている気がするし」
エルミアの頭の上に乗るテディベアと会話しながら巡回を続ける。最初は戦闘中、それも厳しい戦いが予測される場合だけ、テディベアを頭に乗せて戦ったエルミアだったのだが、今では何か色々なものを割り切って、仕事中のほとんどをテディベアを頭に乗せてこなしている。
「ま、まあ、あいつが負ける訳ないから、余計な行動でしょうし、何もなければないで別に」
「あ、エルミアさん! お久しぶりです! 今日はお一人なんですね!」
エルミアの前に現れたのは、<青翼の弓とオモダカ>で前衛を担当している剣士サリス。エルミアはフォルティシモを通して何度か会ったことがある。
正直、物怖じしないとは聞こえが良いが、敬意を持たない行動には眉を顰めていた。もちろん自分のことは目を背けて。
「あら、もう戻ったの? まったく、せめてテディさんには連絡して欲しいわね」




