第二百六十九話 サンタ・エズレル神殿奪還作戦 後編
サンタ・エズレル神殿がテロリストに占拠された。それはアクロシア大陸の長い歴史において有り得なかった異常事態だ。
それにタイミングも最悪だと思われた。
大陸のすべての住人にとって最も警戒するべき災害、大氾濫が迫っている。
それなのに、まずはエルフの国エルディンが裏切った。それからアクロシア王国内では公爵がかき乱した。さらに大氾濫対策の国家連合に対して、大陸東部の国々が同盟を組んで戦争を仕掛けた。その戦争で大陸東部の国々は戦力だけでなく国力そのものを衰退させ、戦争中に現れたドラゴンたちによって大陸中が消耗した。
人類同士で自滅の道を探り合っているのかと疑うような出来事の数々の中、最後の拠り所の聖マリア教、大陸の医療を司る最大組織が、テロリストに襲われた。
大陸各国は電光石火の勢いでテロリスト殲滅へ舵を取った。各国から派遣される精鋭部隊によってサンタ・エズレル神殿奪還部隊が組織される。
サンタ・エズレル神殿奪還部隊は、数日の強行軍でサンタ・エズレル神殿の姿を捕らえた。姿形こそ何一つ代わりはないが、自由を標榜し常に開かれているはずの巨大な門扉が固く閉ざされている。
<青翼の弓とオモダカ>はその若さとレベルに驚かれながら、突入部隊の第一陣に加わることができたため、現在は近くの岩場に潜みながら様子を窺っている。
「すごい静か。見張りとかいないのかな?」
「それを言うなら道中でもだ。テロリストに邪魔されるのかと思ってたのに何もなかった」
サンタ・エズレル神殿の閉ざされた門扉の前には、人の姿は見られなかった。目の良いサリスが何度も身を乗り出して周囲を確認するが、やはり見張りの姿は見つけられない。
フィーナは友人キュウであれば、耳を使って中の様子を探れるのにと思い、自分の馬鹿な妄想を振り払う。もしもキュウがここに居たら“彼”も居るに決まっているので、こんなコソコソする意味はない。
大陸のすべてを焼き払うが如き太陽の魔術で、テロリストを制圧してくれるに違いないのだから。
「作戦に変わりはないって」
ノーラが事前に部隊間で決めていたサインを受け取り、パーティ全員に伝える。フィーナたちは視線を交わしてしっかりと頷いた。
「俺たちへの依頼は、フィーナのお母さんを含めた聖職者の人たちの安全確保。無理に戦う必要はない。もちろん、聖職者の人たち全員の安全確保が望ましい。けど、俺たち自身の命を最優先に考えてくれ。これは、パーティリーダーとしての指示だ」
カイルとサリスが部隊の先陣を切る。今のカイルやサリスを超える速度を持っているのは、アクロシア王女の親衛隊かエルフくらいなものだ。同じく前衛のデニスは【アクスマン】という職業上、速度はそれほどではない。
二人は巨大な門扉の片方ずつに手を掛けて、力を入れる。何らかの方法で施錠されていると思っていた扉だったが、その扉は彼らが力を入れるだけでゆっくりと開いていった。
これだけ巨大な門扉が開くのだから、敵側に部隊がやって来たことは筒抜けである。だからここからは隠密行動を考えず、時間との勝負となる。
カイルとサリスが開けた門扉から、部隊が神殿へ流れ込んだ。
フィーナも逸る気持ちを抑えながら、部隊の後衛として続く。フィーナがいつ行っても参拝者が後を絶たない、聖マリア教の総本山サンタ・エズレル神殿は、不気味なほどに静まり返っていた。
しかし人間の姿がないわけではない。むしろ大勢の人間がフィーナたち奪還部隊を出迎える。出迎えた人間たちは皆一様に表情を消して、まるで無表情の仮面を被っているかのようだった。
フィーナはその表情に見覚えがある。【隷従】を受けて奴隷となった者たちが見せる、絶対服従に支配された者たちだった。
「この方たちは、サンタ・エズレル神殿の聖職者の皆様です!」
フィーナの言葉に奪還部隊へ動揺が走る。動揺させてしまうのは分かっていたけれど、それでも言わなければならないことはある。目の前の者たちが救出対象だと知らずに攻撃を開始させる訳にはいかない。
フィーナは出迎えた奴隷聖職者たちを見回していく。中には顔に覚えのある者までいた。
この状況はまともな状況ではない。それは奪還部隊を任された隊長にも理解できたらしく、わずかな戸惑いの後に大声で指示を飛ばす。
「外へお連れしろ!」
奪還部隊の目的はサンタ・エズレル神殿その物ではあるが、聖マリア教の聖職者たちを蔑ろにして良い訳ではない。
「随分と我々も舐められたものだ。この程度の手勢で、我らを制圧できると本気で思ったのか?」
無表情で呆然と立ち尽くす聖職者たちの間から現れたのは、何かの動物の角を持つ男性だった。フィーナが亜人族ではなく“男性”と考えたのは、亜人族には必ずあるはずの耳と尻尾がなく、角以外の特徴が純人族と変わらなかったからである。
それはフィーナも文献でしか読んだことがない、千年近く前に絶滅したと言われるデーモン族の特徴に他ならなかった。
「誰もプレイヤーが居ないのが拍子抜けだな。まあ、我らに正面から挑もうと思うプレイヤーなど存在しない。クレシェンドもプレストも警戒しすぎなだけだってのが証明された訳だ」
デーモンの男性の登場で奪還部隊が動きを止めたのは、彼が恐ろしいほどの魔力量を宿しているせいである。しかし、この程度の魔力、天井知らずと思える男性を知っているフィーナたちにとって立ち止まる理由にはならない。
「あなたたちは何者ですか!? プレイヤー、それがサンタ・エズレル神殿を占拠した目的ですか!?」
「お前たちみたいなのは知る必要もない。何も知らず、母なる星の女神を信仰し、大地を汚した愚者ども」
「母なる星の女神? 女神マリアステラ様のことですか? 私たちは―――」
「黙れよ。我々は貴様らを絶対に許さない」
偉大なる女神マリアステラへの信仰を許さない。
それはもう、アクロシア大陸の住民にとって相容れない存在に等しい。少なくともフィーナの常識からすれば、アクロシア大陸で女神マリアステラを信じない者は生きていけない。医療も洗礼具も疫病が蔓延しないのも気候が安定しているのも自然災害が止まるのも人々が心の支えにしているのも女神マリアステラあってこそだからだ。
「どんな理由があろうと、君たちは罪の無いサンタ・エズレル神殿の人々を苦しめている。今すぐそれを止めるんだ!」
カイルがデーモンの男性へ向けて語り掛けるが、彼はカイルを見て嘲笑を浮かべた。
「罪の無い? ふざけるな、聖マリア教こそ、最も罪深き者たちだと言うのに!」
「もうどうでも良いよ! フィーナのお母さんを返して!」
サリスが我慢の限界に達したのか、デーモンの男性以上の大声を上げる。
サリスの叫びに対するデーモンの男性の反応は、サリスへの容赦のない攻撃だった。虚空から取り出した槍を居合いのように抜き放つ。神速の突きが、サリスを突き殺さんばかりに迫っていた。
「サリス!」
「はぁ!」
その槍の進行方向に、サリスの剣が立ち塞がった。サリスの剣は弾かれてしまうが、同時にサリスの身体も槍の攻撃から逃れ床を転がる。受け身を取りながら起き上がったサリスの表情には、恐怖が浮かんでいた。
サリスはレベル一〇〇〇を超える【ソードマン】の上位クラス【グラディエーター】だ。サリスの天賦の才を加えたら大陸でも上位の実力者と言える。そのサリスが反撃も防御もできずに回避が手一杯となった。
デーモンの男性の力は、まるで別次元にある。天空の王フォルティシモの重臣たちのような強さ。
「かわした? なるほど、プレイヤーと関わりのある者か」
デーモンの男性から殺気が溢れ出る。槍を構え、発声と共に強大な魔力を繰り出した。
「閃光四連突き!」
五、六メートルほどに巨大化した光の槍が四つ、フィーナたち奪還部隊を貫いた。
カイルは咄嗟に幼馴染みの女性エイダを庇い、デニスは二人の盾として立ち塞がる。サリスは最も近くに居たせいで、逃げ切るのがやっと。警戒していたフィーナとノーラは、後衛ながらも高レベルの身体能力に物を言わせて光の槍から逃げ切った。
デーモンの男性が放った光の槍から逃げ切れたのは、たったの六人。
一瞬、ほんの一瞬で、<青翼の弓とオモダカ>以外の者は全滅してしまった。
サンタ・エズレル神殿奪還作戦が失敗した瞬間だった。
「残ったのは六人か。従者でもない者でこの質であれば、かなりの強者と見た。どのプレイヤーの差し金か、吐いて貰おうとしよう」
そして<青翼の弓とオモダカ>の命も風前の灯火である。




