第二百六十八話 サンタ・エズレル神殿奪還作戦 前編
大司教の娘である立場のフィーナが冒険者を始めたのは、聖マリア教の教えに疑問を感じたとか、親への反抗心などではない。まして偉大なる女神マリアステラへの背神でもない。
十年前の大氾濫で、フィーナの父親は帰らぬ人となった。
魔物によって大切な家族を奪われる、アクロシア大陸においてのそれは珍しい話ではない。フィーナの父親も【プリースト】で、彼は大氾濫で最前線に従軍していたのだ。帰れる、と思うほうがどうにかしている。
あの日、幼かったフィーナは父親が自分の頭を撫でる意味も、掛けてくれた言葉の裏側も、母親が泣き崩れていた理由も分からなかった。けれども、その日から父親が帰って来なくなって、物心付いたフィーナは理解できるようになった。
その頃には神官としての修行をするようになっていたが、フィーナの心にはずっとあの日の事柄が残っている。
父親を止められなかったのか。父が行かなければ、もっと大変なことになっていたかも知れない。今頃はフィーナたちが暮らしていた街がなくなっていたかも知れない。誇るべきであり、悲しみはあっても憤るべきではない。
何度も何度も己に言い聞かせた。でもそんなフィーナが思うのは、どうすれば父親も生きて帰ってこられたか、だ。
その答えはとても単純で、レベルを上げれば良いだった。誰にも負けないくらい。戦場で誰も彼も救えて、自分も死なず、大切な家族の元に無事に帰れるくらい強くなる。
フィーナが望むそれは、もう“最強”の力に近い。
<青翼の弓とオモダカ>はいくつもの指名依頼が入るほどの冒険者パーティだけれど、いつもいつも仕事をしてる訳ではない。特にリーダーであるカイルは、報酬や評判よりもメンバーの安全を優先する傾向にあり、一つの仕事が終わると必ず休息を取るようにしていた。
フィーナはそんな休息日に、洗濯を片付けようといつものように水場へ向かうと、水場に居る者たちを何気なく見回す。居るはずのないあの少女の姿を、無意識に探してしまった。フィーナはここで黄金色の狐人族の少女と出会ったのだ。
初めて出会った時の黄金色の狐人族の少女は、水場の使い方が分からずに戸惑っていた。しかし純人族の権威が強いアクロシア王都において、亜人族である彼女に積極的に話し掛けようとする者はほとんど居ない。あっちへ行ったり、こっちへ行ったり、ふらふらしている彼女に思わず助け船を出していた。
それ以来、ここで一緒になる度に色々な話をした。彼女がフィーナを助けてくれた強大な力を持つ冒険者フォルティシモのパーティメンバーだというのにも驚いたし、羨ましいと思わなかったと言えば嘘になる。
「早く洗って、教会の奉仕活動を手伝わないと」
フィーナは休息日にはアクロシア王都の奉仕活動に参加している。それは冒険者としての活動の傍らであり、依頼遂行時以外にも様々な自己研鑽をするべき冒険者からすれば、二足のわらじを履いているに他ならない。
フィーナは思わず、<青翼の弓とオモダカ>に渡されている緑色の襷を強く握り締めた。魔物と戦う時は必ず身に着けるように言われているそれは、すっかりくたびれてしまっている。けれども、その驚異の魔法道具としての性能は色褪せることはない。
これまでアクロシア大陸で流通してきた魔法道具とは、明らかに一線を画する性能を持つ緑色の襷。
このままで良いのか、漠然とした不安感を覚えずにはいられない。
天空の国が現れてから、いやフォルティシモという男が姿を現してから、この世界が変わってしまったような。それに付いていかなければ、フィーナの願う場所へ辿り着けないような、そんな感覚。
「フィーナ様!」
真っ白な式服に身を包んだ者たちが、大慌てで水場へ入って来た。周囲の者たちから白い目で見られているにも関わらず、彼らはそれを気にする余裕がないらしい。
「お答えは、昨日した通りです」
「い、いえ! それよりも、た、大変なことが!」
これまでの彼らは、フィーナを利用するための人形か何かのように扱って来た。だから態度は横柄なものだったし、フィーナが何を言っても無駄だと思えていた。
しかし今の彼らは、まるでフィーナに縋るように跪いている。それだけで、嫌な予感が胸の内に広がった。
「サンタ・エズレル神殿が、テロリストに占拠されました!」
フィーナがアクロシア王都の教会へ入ると、司祭や神官たちが一斉に視線を向けてきた。
アクロシア王都は大陸で最大の都市であって、聖マリア教も特別に財源を注いだ教会を建てている。王都という場所にあって、広い敷地に数千人の集会は開催できる礼拝堂、人々を癒やすための冒険者ギルドよりも大きな五階建ての病院、無駄遣いの極みである黄金の女神像。
フィーナはそれらを無視して、この教会を預かる司祭へ詰め寄った。
立場は背神者一歩手前の冒険者になったフィーナのが圧倒的に下だけれど、大司教の娘で女神に認められた【ハイプリースト】にして未来の聖マリア教を担うと噂されるフィーナに司祭は気後れしている。
「どういうことですか!?」
「ふぃ、フィーナ様! その、大氾濫のための対策に各地の御方が集まっておりまして」
「フォルテピアノへの対応だとは分かっています! テロリストに占拠されたというのは、どういうことですか!?」
司祭は聖マリア教の高位聖職者たちが集まっていた理由を濁したが、その理由は分かっている。それはフィーナとキュウの友人関係にあった。
フィーナとキュウの蜜月は、聖マリア教の上層部はおろか大陸中の権力者に知れ渡っている。二人はアクロシア王国では仲良く洗濯したり、冒険者ギルドで世間話をしたり、買い物や食事を楽しんだりしていたのだから、仕方のないことだ。
だから周囲が勝手に勘違いをした。
女神マリアステラが認めた次代の聖マリア教を担うフィーナと、天空神フォルティシモの妃キュウが仲良くしていると。
もしキュウが仲良くしていたのが、何の後ろ盾もない単なる冒険者フィーナであったら、とっくに消されているかも知れない。しかしフィーナは大陸最大宗教聖マリア教の次代。だから大陸のどの勢力も手を出せなかったのだ。
「サンタ・エズレル神殿が、どうして!?」
「分かりません………。ですが、サンタ・エズレル神殿を占拠したと、テロリストから発表がありました。聖印が押された文書による通達でしたので、間違いはないかと」
司祭は言いにくそうにしながらも続ける。
「その、テロリストは、司教様方を、処刑すると」
フィーナの母親、聖マリア教の大司教テレーズもその中に含まれている。
フィーナはサンタ・エズレル神殿がテロリストに占拠された日から、ずっとアクロシア王都の教会で寝泊まりをしていた。
この数日で伝書鳩や早馬を使ってコンタクトを取ろうとしていたが、サンタ・エズレル神殿からの返答は一切無い。フィーナの母親へ直接手紙を送ってもそれは同じだった。
「「フィーナ!」」
フィーナが教会の一室で何度目かの手紙をしたためていると、サリスとノーラ、そしてカイルたちが入って来た。この教会を管理している司祭はサリスとノーラを知っているので、フィーナに気を遣って中まで通してくれたのだろう。
「みんな、どうしたの?」
「どうしたのじゃないよ! フィーナのお母さんたちが!」
「俺たちに何かできることはないか?」
仲間は口々にフィーナを気遣って声を掛けてくれる。その気遣いが嬉しく、フィーナは笑顔を見せた。
「今のところ大きな動きはないみたい。でも目的が分からないから」
聖マリア教の高位の聖職者たちを処刑して、テロリストたちが得られるものなど何もない。
何度も確認するが、聖マリア教の教えが強固なのは、女神マリアステラが実在しているからだ。どれだけ聖職者たちを殺害しようとも、女神マリアステラが実在している限り何度でもその勢力を取り戻す。
もし有り得るとしたら、一時的にその勢力を削ぎ落とすことが目的の場合。さすがの聖マリア教でも、高位の聖職者が皆殺しにされてしまえば混乱は免れない。組織の混乱は数年にも及ぶ可能性もある。
しかし聖マリア教の勢力を抑えて、テロリストは何がしたいのか。まったく未来に繋がらない行動に思えた。
「けど、母親がいるんだろ?」
「はい。ですが、母は大司教です。レベルもその分高いですし、強い護衛も」
「俺たちよりも高いのか?」
<青翼の弓とオモダカ>の六人のレベルは一〇〇〇越え、六匹の従魔はそれを越えている。この強さは、結成されるサンタ・エズレル神殿奪還部隊よりも上だろう。<青翼の弓とオモダカ>が参加すれば、奪還部隊の大きな戦力になれるはずだ。
「実は、ギルドから俺たちへ指名依頼を出して貰えることになった。奪還部隊へ参加し、囚われた聖マリア教の聖職者たちを救うって依頼だ」
そんな都合の良い依頼が、おいそれと発行されるはずがない。彼らが懸命に交渉してくれたに違いなかった。幼馴染みであるサリスやノーラは元より、カイルたちが協力してくれたことに感動を覚える。
「ありがとうございます。行きましょう、サンタ・エズレル神殿へ」
フィーナは立ち上がって真新しい杖を手に取る。




