第二百六十話 祖父から孫へ 後編
『唯一、儂と同じ気持ちを持てる孫よ』
映像の中の近衛天翔王光は表情も口調も冷静そのものだが、間違いなく怒り狂っている。近衛天翔王光は愛する娘を奪われた怒りに囚われていた。
『儂の娘を、お前の母親を奪った、神を殺す。そのために儂はお前を用意した』
「用意、ね。そもそもお前自身でやれば良いだろ」
当然ながら答えはない。
『儂はこの異世界でも準備を整えておくことにした。凡人のお前が勝ち抜けるよう、ツールは元より、亜人国の信仰心で権能は使い放題。儂の真の後継者として多くの協力者がいただろう。各地でお前の命令を聞く巨大な魔物に助けられただろう。言葉だけで行える無双は楽しかったろう? 感謝するのじゃな。儂のお陰だ。これから儂は現世へ戻り、VRMMOファーアースオンラインを乗っ取る。そして母なる星の女神と交渉し、神を殺す武器を準備するつもりだ。これをお前が見る頃には、お前の手元へ届いているじゃろうな。儂が交渉に失敗するはずがない』
「一つも心当たりがない。もちろん、そんな武器は届いてないぞ。チートツールみたいに、誰かに奪われたんじゃないだろうな―――いや待てよ………」
フォルティシモは理性が砕け始めていて、録画映像と分かっているのに文句を言わなければ我慢ができなくなっていた。
『最後に、儂らの怨敵を教える』
近衛天翔王光は明らかに表情を歪ませる。
『太陽の神』
ギリッと言う歯を強く噛む音が聞こえた気がした。
『数多の異世界を支配する太陽の権能を持つ神。太陽を思わぬ者はおらず、膨大な信仰心によりヨタを越え無量大数に至る神威を持つ大神。空を見上げろ。あの光が、儂らから最愛の娘と母を奪ったのじゃ』
動画はそこで終わった。
小さな隠し部屋に静寂が訪れる。
フォルティシモは己が冷静であるかを、心の中で何度も何度も問い掛けた。その間、手の中の毛の感触と、口の中に含んだ毛の感触を舌先で楽しんで心を落ち着ける。ついでに、あくまでついでに、キュウの頬に、フォルティシモの頬を当ててみる。キュウの体温が伝わった。大丈夫、フォルティシモは冷静になった。
「興味深い内容だった。いくつかの疑問が氷解したしな」
元々、あの祖父近衛天翔王光が何の理由もなく愛してもいない孫フォルティシモに、神戯の参加権、神に至る権利を譲るはずがないと思っていた。それが復讐のためだと言うなら、納得がいく。
「今の話で俺たちにとって重要なのは、神を殺す武器だけだな。それがマリアステラに通用するかどうかだ」
フォルティシモがそう言うと、従者たちと親友は何とも言えない顔をした。
「主、良いのか? 主の母を殺した主犯の話だ。主は罪を償わせたいと思わないのか?」
彼女たちを代表して、最も付き合いが長く信頼関係の厚いエンシェントが一切の誤魔化しのない質問を口にした。
「エン、ついこの間、キュウが言った。キュウは“キュウ”だと」
話題のキュウは何故かフォルティシモの腕の中でぐったりしている。フォルティシモのせいで耳が湿っていて、顔が若干赤いので、体調が悪いのかも知れない。これが終わったら、今日は部屋でゆっくり休むように言おうと思う。その前にもう一度耳の感触を楽しむつもりだが。
「俺は“フォルティシモ”だ」
祖父近衛天翔王光のことは、祖父にどんな理由があれど恨んでいた。けれどあの日、ファーアースオンラインで初めてプレイヤーを抹殺した日、近衛天翔王光と出会った時にある程度冷静に会話していたように、フォルティシモの中では一つの区切りが付いている、つもりだ。
罪を憎んで人を憎まず、とまでは言わない。だがあえて分類するならば、フォルティシモは誘拐人質事件を憎んでいるが、近衛天翔王光については嫌っている。どちらも感情的だが、その感情には根本的な違いがある。
「そもそもキュウの前で、家族を奪われた復讐を成し遂げるなんて格好悪すぎるしな」
フォルティシモはキュウに向かって笑みを作った。そのキュウは、変わらずぐったりしていたけれど。
キュウは血の繋がった実の家族に奴隷として売られて、その家族はキュウを売ったにも関わらずあっさりと故郷の里を捨てて移住したのだ。キュウの前で家族の絆とか復讐とか、言えるはずがない。キュウにとって、それほど薄ら寒い言葉もないだろう。
フォルティシモだって血の繋がった家族よりも、この目の前の従者たちが、本当の家族だと思っている。
「だが、その太陽神ってのが、最強のフォルティシモの道を阻むなら、容赦はしない」
◇
主人の【拠点】で開催されている夜会、というにはいささか小規模なお茶会。
つう、エンシェント、セフェール、ラナリアの四人が主な参加者で、稀に他の従者も同席することがある。
今日は初めて、キュウの姿があった。何せキュウは主人と同じ部屋で寝起きしていて、毎夜二人の歓談の時間を過ごしているので、なかなか参加する機会はない。
「さて、キュウとラナリアは気が付いていただろうが、ダアト、マグナ、アルティマ、キャロル、リースロッテの五人は、近衛天翔王光の件に興味がない。もう少し正確に言えば、近衛天翔王光が与える利益には興味があるが、主と近衛天翔王光の関係性には興味を持たない。主がそう望んで五人を産み出したからだ」
「エンさん、フォルティシモ様は、本当に母君を殺した太陽神に興味がないのでしょうか?」
エンシェントはラナリアの質問に思わず笑みを零した。
「興味はあるだろうな。目の前に現れたら怒り狂って殺しに掛かる可能性は、五分五分と言えるほどに」
エンシェントはただし、と続ける。
「今の主は、大切なものを分かっている。だからそのために私たちに黙って無茶をしたり、無理な命令を下すことはない。キュウのお陰だ」
「そうね。もしここでキュウに出会えてなかったら、フォルはきっと、異世界ファーアースで、太陽神への復讐のために戦ったと思うわ」
エンシェントとつうが二人揃ってキュウを褒める。しかしキュウの心情は素直に喜んで良いのか分からず、疑問を口に出していた。
「あの、エンさん、それは、私がご主人様の願いを、邪魔しているということでしょうか?」
主人の望むことがキュウの望むこと。
キュウは事あるごとにそう口にしてきて、その気持ちに嘘はない。
「キュウ、そうじゃない。人の願いというのは複雑だ。感情に流されて心にもない言葉も口にする。キュウは主の、本当の気持ちを思い出させてくれている。キュウが叶えたいのは、主が口にした要望ではなく、主が本当に願う想いだろう?」
たぶんキュウは、エンシェントが主人の妻だと紹介されたら、絶対に納得してしまったと思う。そして主人への気持ちを諦めただろう。この芸術品のような美貌、内政外交を取り仕切る知識と知性、戦闘能力と生産能力のすべてを持つ力、主人との絶対的な信頼関係。
何も持っていなかったから家族と里に奴隷として売られたキュウとは真逆の、すべてを持つ女性の姿がある。
「あぁー、あれですよぉ。フォルさんとエンさんはぁ、ずっと一緒に育った双子みたいなものですからぁ。キュウがエンさんに引け目を覚える必要はないですよぉ。エンさんにはぁ、フォルさんへの恋愛感情は一欠片もないですからぁ。ですよねぇ?」
セフェールもキュウの気持ちを的確に見抜いて来て、本当に凄い人たちなのだと思う。
「そうだな。私に主へ対する恋愛感情は一切ない。いいかキュウ、私はキュウが来てくれて本当に嬉しい。誰よりも、主よりもそう思っている。キュウだけが、主を変えられる。特に今は、祖父近衛天翔王光のことで不安定だ。キュウはできるだけ近くにいてくれ。そうしたら主は“フォルティシモ”でいられる」
キュウはエンシェントの頼みに、力強く頷いて見せた。主人に甘噛みされた耳をピンッと立てながら。




