第二百五十四話 ルナーリスの戴冠と約束
「今こそ、初代皇帝陛下や初代皇妃陛下たちが思い描いた、すべての種族に分け隔ての無い、真の平等な国家を実現する時なのです!」
フォルティシモが異世界ファーアースのカリオンドル皇国に大々的に入国してから約一週間。それまでの下地はあったものの、電光石火に勢力を拡大させたルナーリスは戦勝国フォルテピアノと竜人族、虫型の亜人族の後援を受けて、新しいカリオンドル皇帝を戴冠した。
フォルティシモはどんな手を使ってでも、初代皇帝の墓を調べるつもりで、そのためには仲間内に害がない限り、あらゆる手段を尽くして良いと従者たちに命じてあった。そのせいでフォルティシモもいくつかの会合に出たり、裏取引を持ちかけたり、それでも従わない者には力を行使した。
フィクションの世界では戴冠式と言えば暗殺や襲撃の標的にされることが多いが、現実の歴史では就任式や戴冠式など警備が厳重になり人が多く集まり警戒される場で殺されることはほとんどない。暗殺は最も警戒が薄れる場所で行われるべきだし、厳重警備を上回る襲撃戦力を用意できるなら式典を待つ必要はない。
それでもフォルティシモに油断はない。ここまで苦労したのにルナーリスを殺されたら堪らないからだ。国内外の過激派組織は容赦なく踏み潰し、反対派と思われる勢力は突き放し監視を付け、ルナーリスの周囲を補佐する者たちには人知れず【隷従】を掛けてある。式典にはフォルティシモの従者たちにエルフ、元奴隷たちを参列させ、大量の隠密系従魔を放った。内部の警備と進行役はすべてフォルティシモの息が掛かっている。万全どころか億全の準備をしたつもりだ。
こうして演説しているルナーリスは堂々としたもので、ラナリアに原稿を手渡されて震えていたとは思えないほどに堂々としたものだった。
フォルティシモは式典用の仰々しい衣服と装飾品に身を包み、同じように着飾ったキュウを連れている。いつもの素朴な格好のキュウが好みだが、たまには高級品で着飾るのも悪くない。
ルナーリスの戴冠式は滞りなく進んでいく。フォルティシモは最高の貴賓席でその様子を見つめていた。カリオンドル皇国の他の皇族よりも上位の座席順であり、これは事実上、カリオンドル皇国よりも天空の国フォルテピアノが上位に位置したという意味だ。
そのくせにルナーリスは戴冠式で平等を謳うのだから、茶番この上ない。とは言え、フォルティシモにカリオンドル皇国を属国として冷遇するつもりはないので、ルナーリスの言葉のすべてが嘘という訳ではない。何よりダアトの仕掛ける資本主義の荒波が、カリオンドル皇国を飲み込むことだろう。そこに種族差別はないかも知れないが、能力による格差が生まれるに違いない。あの祖父の望む国家体制になる。
「ご主人様?」
フォルティシモはキュウに声を掛けられて、顔をしかめていたと気が付く。ルナーリスの戴冠式で不満な様子を見せていたら、潜在的にはまだまだいる反対勢力を調子に乗らせてしまう。
フォルティシモはキュウを抱き寄せて、彼女の耳の感触を頬で楽しむ。心地の良い毛並みの感覚がフォルティシモの頬を撫でていた。フォルティシモは亜人族に好意的だと見せ付けるため、今日はいつもよりキュウを近くに置いている。
「あ、あの?」
「ルナーリスが無事に即位できた。キュウのお陰だ」
「え? い、いえ、私は何もっ」
「キュウが言ってくれなかったら、俺はあの白竜を許さなかった。いや話をする前に討伐しただろう。だからこれは、キュウのお陰だ」
何日も経った今ならば、あの白竜が狙ったのは女神マリアステラであってキュウではないと理性的に考えられる。けれども、あの瞬間だけは駄目だった。
キュウを殺そうとした相手を、絶対に許さなかっただろう。つう、エンシェント、セフェールに止められたとしても、決して止まれなかったに違いない。キュウだけが、フォルティシモを止められた。
「ご主人様の望みが私の望みです。ご主人様が本当にお望みになることを、私もお手伝いさせてください」
ここが式典会場でなかったら、今すぐにキュウを押し倒したい。この瞬間のフォルティシモの本当の望みは、キュウを抱くことである。そう言ったら、どう返答されるかは、妄想の中でだけ楽しむ。
カリオンドル皇国の戴冠式はとにかく長かった。フォルティシモが参加した主たる式だけでも数時間は座りっぱなし、ここから七日七晩かけて様々な亜人族がルナーリスへ挨拶をするのだと言う。
「まだあと一週間待てって意味か?」
フォルティシモはカリオンドル皇城の一室で、従者たちとルナーリスに向かって質問を投げ掛けた。フォルティシモたちが宿泊しているのは貴賓室であり、目が痛くなりそうなほどに煌びやかである。
システム的に必要なフラグを網羅するため、ルナーリスに戴冠のための儀式はすべてやらせたし、それは今日ですべて終わったと思っていた。
件のルナーリスはビクリと身体を震わせる。フォルティシモに何かを言おうとしているが、言葉にならないらしい。代わりに答えるのはエンシェントだった。
「儀礼的なものは今日で終わり、残るは慣例的なものになる。ルナーリスが初代皇帝の墓の所有者になっているかどうかは、これから確認しに行く手筈だ」
「そうか。すぐに行くぞ」
「だがその前に、ルナーリスがどうしても主に尋ねたいことがあるらしい」
ルナーリスが先ほどから震えているのは、聞きたいことがあるからのようで、彼女は嫌なことを後回しにするきらいがある。
「なんだ? 頼みじゃなくて質問ならいくらでも答えてやる」
ルナーリスは何度かフォルティシモとエンシェントを見比べてから、観念したように口を開いた。
「も、もし、初代皇帝陛下の墓所に上手く入れましたら」
考えてみれば、ルナーリスは己の目的をフォルティシモへ話したことがなかった。命を救ったのだから協力するのは当たり前だと考えるタイプでないことは、ディアナとして出会った時から知っている。彼女には彼女の目的があって、それを叶えるために行動しているはず。
しかし、この目標が達成しそうなタイミングで取引を持ちかけるとは、なかなかにやり手だ。フォルティシモは心して続きを待つ。
「いつ退位してもよろしいでしょうか?」
フォルティシモは用意されたブラックコーヒーを飲んで目を瞑った。コーヒーの味が口の中に広がる。
「気のせいか。お前は、地位だか権力だかが欲しいようなことを言っていたと、キュウから聞いたんだが」
「はい。いいえ、私は権力が欲しい訳ではございません。私の望みは、私の力で叶えます。でも、その前に、カリオンドル皇国の皇族制度を廃止して、民主制にしたいと考えているのです」
その時のフォルティシモの心情を一言で表すならば、俺に聞くな、だった。
君主制から民主制、軍事政権や独裁国家、国家の形態には様々なものがある。しかしどの体制が最善なのかどうかは、究極までにAIが進化した現代リアルワールドでも結論が出ていない。
ルナーリスが期待に満ちた瞳をフォルティシモへ向けているのが分かる。まるで初代皇帝の思いを叶えようとするルナーリスを、フォルティシモが喜んでくれるのを期待しているかのようだった。
ルナーリスは初代皇帝、つまり近衛天翔王光を尊敬しているらしいと報告を受けていた。あの爺さんが要らない知識を吹き込んだのかも知れない。そして孫であるフォルティシモに協力を期待している可能性は充分にある。
フォルティシモは考えを振り払った。近衛天翔王光の思いも、ルナーリスの思いも、フォルティシモには関係無い。
「役割を果たした後は、好きにしろ。俺がお前を見逃したのは、役に立つからだ」
正確にはキュウに役に立つと言われたから。
「その役割を全うしたなら、後のことは自由で良い」
「ありがとうございます! 感謝いたします!」
ルナーリスは大袈裟なくらい頭を下げていた。
◇
カリオンドル皇国初代皇帝の墓所と呼ばれる地下遺跡。
その最奥に消えることのない灯りが輝いている。灯りは永くの間その場所を照らし続けていて、主を失っても主からの命令を遂行するべく待ち続けている。
そこに文字列が流れる。
> 【拠点】の権限が『ルナーリス』へ譲渡されました
主が設定した主の子孫たちの中で選ばれた者が、この場所を“育てる”ために渡した権限。しかしながら数代もしない内に、主の子孫たちは育てることを辞め、この場所の時は凍り付いた。
だから今となっては、その文字列は何の意味もないもの。所詮、人間なんて約束の一つも果たせない生物。主の子孫たちでさえ変わらない、はずだった。
> 脳波解析
人間と同じ思考パターンを持たないはずの灯りは、“予感”がする。
> 合致率九十九パーセント
約束が果たされる。
> 個人名『近衛翔』
主の子孫が彼を連れて来る。
待ち続けた人間がやって来て、もうすぐその使命が終わる。




