第二百四十一話 狐が二人 前編
『浮遊大陸』にある、エルフが移り住んだ都市エルディン。当初から主人が食糧や魔法道具を惜しみなく与え、植物をエルフたちが望むように作り替えていたから、エルフたちの生活が劇的に良くなったのは知っていた。
それが奴隷を受け入れ、移民を受け入れ、ドワーフや騎士たちを受け入れ、ゴーレム技師志望者や各国からの使者を受け入れ、最近では冒険者や観光客まで受け入れるようになった。
天空の都市エルディンは、あっという間に人口十万人を越す大都市になったのだ。アクロシア王都やカリオンドル皇国首都には劣るものの、人々の往来がそこかしこに目に入る。
もちろん急激な人口増加で問題が起きないはずがない。大小様々な問題は起きているものの、ほとんどはエルフや元奴隷たちを始めとした者たちの間で解決されている。
それは主人がすべてを失ったエルフたちや商品である奴隷たちに与えている自由で、彼らの中には主人への確固たる敬意がある。だからどんな問題も、彼ら自身の手で解決するのだ。まるで神に与えられた“意思”という名の自由を手放さないために。
と、キュウは思っている。
そんな天空の都市エルディンを、キュウとリースロッテが二人で歩いていた。
「フォルはまったく。キュウは、まったく」
主人の従者の中でキュウに遠慮ないもの言いをしているリースロッテ。彼女と出掛けるのは、意外とよくあることだった。
信じられないほどレベルが上昇したキュウは、およそ巨大なドラゴンに襲われても返り討ちにできてしまうほどなのだが、やはり主人の他の従者と比べれば、戦闘特化クラスでない者にさえ足下にも及ばない。
そしてこれが重要なのだが、何故かキュウは、主人と離れている時に限って誰かに襲われる。
この間なんて、絶対安全だと思っていた主人の【拠点】の屋敷で意気揚々と掃除をしようとしていたら、女神マリアステラに襲撃されてしまった。まあ襲撃と言うには大分穏やかで、むしろ女神マリアステラの情報を得られて結果的には良かったとは思ったけれど。
そんなキュウが外出するから、対人最強と称されるリースロッテが護衛に就くのはやむなしと言えた。
キュウは程良く整備された道を歩きながら、リースロッテから目を逸らすため周囲へ目を向けた。この区画はほとんどが主人の魔法道具―――課金建築アイテムの建造物が立ち並んでいる。
外観こそ色以外一定なのだけれど、魔法道具の建築物なので内装はまったく異なる。中には外観が二階建てなのに、家の中へ入ると四階建てなんてことも有り得る。
そんな空間を操作する大魔術、大魔術であるはずだし、大魔術のような気がするが、主人たちにとっては普通の魔術だ。
「あのリースさん、今朝は、そのご主人様が寝ぼけていただけでして」
「こっちを見ろ」
「ひゃうっ」
キュウはリースロッテの目を見られず、おずおずと彼女の言葉に言い訳する。リースロッテは容赦なくキュウの尻尾をぎゅっと握って引き寄せた。
主人に触られた時と違ってドキドキしないし、乱暴に握られたので痛いくらいである。とは言え、妹みたいな年齢の容姿をしたリースロッテに文句も言い辛い。狐人族の里では、年下の子供に引っ張られるなんてよくあることだ。力は段違いだが。
それに何より今朝のキュウには後ろ暗いことがある。今朝だけは、キュウから主人の寝床に近付いて、自分から主人に触れたのだ。すべてを主人の行動だと言うのには無理があるだろう。朝起きたら主人が主人の布団ではなくキュウの布団で寝ていた、というのとは次元の違う話だ。
キュウとリースロッテが道端を歩いていると、同じように歩いていたエルフから声を掛けられた。
「もしかして、あなた様はキュウ様ですか!?」
「え? は、はい。私がキュウです」
話し掛けて来たエルフは見覚えのない相手だったので、戸惑いながら肯定を返す。害意の可能性に身構えて、リースロッテを盾にするような位置取りをしてしまった。
「誰だお前」
リースロッテは主人のように心強い返答をする。その睨み付け方は、主人が創造した、主人が望んだ従者と言うに相応しい。
リースロッテの力があの主人やその従者たちから信頼されるほどだと考えれば、彼女に睨まれたら竦み上がることしかできないだろう。しかし話し掛けて来たエルフはそんなことは知らないので、人の良い笑みを浮かべていた。
「フォルティシモ様やエルミアが、キュウ様が来たら最大限もてなすようにと。どうぞ、私の店に寄っていってくださいませ!」
「キュウ様がいらっしゃったのか!」
「キュウ様、あなた様に似合う伝統衣装を作りたいのです。寸法を測らせてください!」
「キュウ様、こちら我らエルフが作っている秘薬でございます。どうぞお納めください」
「キュウ様、お食事はお済みでしょうか? 今からうちの店を貸し切りに致しますので、いかがでしょうか?」
キュウとリースロッテの元へ、次々とエルフが集まって来た。キュウは集まったエルフたちの顔ぶれに見覚えはない。エルフたちが難民キャンプとして使っていたバルデラバーノ公爵領に行った時に見たかもしれないが、あの時は何万人も居たのだから、一人一人の顔を覚えていられるはずがない。
キュウは状況に付いていけず、耳を動かして周囲を確認しようと試みる。集まって来るエルフたちの中へ、キュウたちを害そうという鼓動や武器を準備するような音は一切聞こえてこなかった。
エルフたちは善意、好意、好奇心、感謝などの気持ちで集まっている。
盾にしていたリースロッテが肩越しに振り向いてキュウを見る。
「キュウ、エルフたちに貢がせてる?」
「してません!」
なんとかエルフの包囲網を突破し、天空の都市エルディンの中でも森ではなく平原に面している地域までやって来た。天空の都市エルディンは、大まかに森区画と平原区画があり、森区画はエルフが比較的多く平原区画は元奴隷が多い。
主人が広場に設置した“課金アイテム”水源がないのに無限に水が湧き続ける噴水の近くのベンチに腰掛けて、先ほどまでの状況に辟易した気持ちを落ち着ける。
噴水を見ながら、冒険には湧水石が必須だと思って市場へ買いに行ったことを思い出す。この無限の水を噴出し続ける魔法道具を、主人はインベントリを使ってどこでもいつでも設置可能。今なら湧水石こそ必須魔法道具だと思った過去のキュウを笑い飛ばすだろう。
「キュウのせいで疲れた」
「申し訳ありません」
誓ってキュウは何もしていないけれど、リースロッテに文句を言われてしまったので反射的に謝った。
「えっと、その、アイスクリームでも食べますか?」
キュウとリースロッテが逃げて来た噴水広場には、アイスクリームの屋台が出ていた。
「バニラ、チョコ、キャラメルの三段重ね」
「はい」
リースロッテは指を三本見せ付けてキュウへ要求する。
今のキュウは冒険者の報酬を貯めているし、スキルレベル上げを兼ねているマグナから習った【鍛冶】スキルで造った魔法武具の売り上げも少し受け取っている。それに日用品などを購入する名目で、お小遣いまで貰っていた。だから以前よりもずっとお金持ちなのだ。アイスクリームくらい、お腹が冷えて大変なことになるまで奢れる。
「―――」
「―――」
キュウは鞄から財布を取り出して、アイスクリームの屋台に近付いて、思わず動きを止めてしまった。
「え?」
耳を動かして、聞こえた声が気のせいでないことを確認する。それから広場の外側を歩いている女性へ目を向けた。女性は二人組で、二人共が狐の耳に狐の尻尾を振りながら道を歩いている。
狐人族の里で、飢饉を越えるために奴隷として売られたのはキュウ一人ではない。キュウ以外にも何人かが奴隷になった。その中の二人が、天空の都市エルディンを歩いていた。




