第二百三十話 魔王神の神威 前編
「ルナーリスさん! ご主人様の奴隷になってください!」
狐人族の少女が、ルナーリスに話し掛けていた。ただの少女ではない。天空の国フォルテピアノの王にして神の如き力を振るうフォルティシモ陛下の寵愛を受ける、誰よりも幸福な少女―――のはずだった。
その内容はちょっとその少女の頭が心配になりそうになったけれど、よく続きを聞いてみれば、思わず心が動いた。心が動けばルナーリスの思考が戻って来る。意識が混濁して混じり合っていったのに、それを揺さぶる声が聞こえる。迷いが生じたら、混じり合いに亀裂が走った。
ルナーリスは結局何がしたかったのか。出来損ないだと罵倒され続けた国への復讐か。認められない努力を誰かに認めて欲しいという承認か。誰も知らない場所でひっそりと暮らす平穏か。
どれも合っているようで、どれも間違っている気がした。
たぶんあの日、初代皇帝の力を使えなかったルナーリスに対して母親が泣き崩れた日から、ルナーリスは自分でも自分が分からなくなっていたのだろう。だから竜の女神の慟哭も、獅子の女神の憤怒も、ルナーリスにとって自分になった。
この狐人族の少女の言葉を信じて、彼女に付いていけば良いのか。そうすれば、こんなに苦しまなくて済むのだろうか。
彼女を信じてみても良い。ルナーリスがそう考え始めた時、ルナーリスの意識が再び混じっていく。女神たちの強い意識がルナーリスを侵食しようとしているのだ。ルナーリスを喰らって消し去ろうとしている。
逃げなければと思うのだが、意識の中で逃げる場所などない。例えるなら身体の中に入り込んでしまった寄生虫が、体内を暴れ回りルナーリスを殺そうとしている状態である。
嫌だ、死にたくない、と叫んだ。自分の口から白竜の咆吼が聞こえて来て、ルナーリスの意識は混濁する。
「遅延起動【隷従】、命令する、戦いを止めて大人しくしろ」
混濁した意識は、絶対者からの命令を受諾した。
◇
先ほどの命令によって通信の封鎖が解かれたのか、従者や知り合いからのメッセージが一斉にフォルティシモへやって来た。フォルティシモはそれらを流し読みして、大まかな状況を把握する。
竜神ディアナ・ルナーリスが召喚していた取り巻きドラゴンは大陸中に広がっていて、どこの都市も危機的状況なのだと言う。
『フォルのばーかばーか』
「聞こえてるぞ」
『………たまにそう思うこともある』
リースロッテの罵倒は今に始まったことではないので、むしろ安堵を覚えた。最大の懸念はフォルティシモが通信妨害されている間に、フォルティシモの【拠点】が墜とされてしまうことだったからだ。
最後に作った対人最強従者のリースロッテがフォルティシモの罵倒に時間を使っているのであれば、少なくともフォルティシモの従者たちが危機的状況ではないはずだ。
『主殿! 何があったのじゃ!?』
「イベント中だっただけだ」
アルティマへ安心するように声を掛けた後、フォルティシモはキュウをマリアステラから奪還したことと、竜神ディアナ・ルナーリスと戦闘になり、たった今動きを止めたことを伝える。
『フォルさん、こっちのドラゴンの群れは止まってねーです』
キャロルの報告を聞く。フォルティシモが産み出した太陽の効果範囲は、せいぜいが数キロメートルなので、ここからではカリオンドル皇国の首都さえもカバーできない。
「エルフと鍵盤商会の従業員を―――」
フォルティシモは急いで自らの勢力を助けるよう伝えようとして、それが無意味なことだと思い直した。その程度のことは、フォルティシモの信頼する従者たちがやってくれているはずだ。彼女たちはフォルティシモが何も言わなくても、エルフや鍵盤商会の従業員を助けただろう。
それに万が一に備えて、望郷の鍵を量産してできるだけ持ち歩くように伝えてある。フォルティシモの勢力の最低限の安全は確保されている。
ならば危機に瀕している大陸中の人々を、特に天空の国フォルテピアノへ戦争を仕掛けて来た大陸東部同盟を助けるかどうか。
フォルティシモは口許に笑みを浮かべる。
「最強を称える凡百がいなくなるのは、困るな」
そして同時に約束を思い出す。アクロシア王国で同盟各国に対して行った宣言を。
魔王の如く世界を支配すると。
「最強の力を振るう場面だ」
フォルティシモの生きる世界を救うために最強を使う。
上空へ、更に上空へ、天烏を最高高度まで上昇させる。
天烏には変わらずにキュウが乗っている。通信の封鎖が解けたのだから、望郷の鍵も使えるようになったはずで、キュウを【拠点】へ返すのは彼女の安全のためには最善の選択肢だった。しかしフォルティシモはその選択肢を排除したのだ。
ただ単にキュウの目の前でフォルティシモの力を見せたいからである。
「俺がキュウや従者たちのため以外で、最強の力を振るうことになるとはな」
「い、いえ、私はこの危機に、ご主人様はきっとその御力を振るわれると思っていました」
「………もしかして、大きな危機なら誰でも分け隔てなく助ける聖人だと思われてるか?」
フォルティシモは絶対に聖人ではないので、キュウを幻滅させてしまうという不安があった。
「いいえ。ご主人様が感情的になられるのは、私たち従者のことだけ、だと思います。ですが、その、これはエンさんの言葉を借りてしまうのですが」
「ああ」
「ご主人様は、理論的に救えるのであれば救ってしまう人、ではないかと。救いたいという気持ちがまずあって、検証し、それがご主人様の利益になる、いえ損害にならないのであれば手を差し伸べてくれる。だから、その検証に利益を上乗せするために取引を申し出ることが多いです。そして検証したら、ご主人様は今回の大陸の危機を救うのかな、と思いました」
フォルティシモは心底の驚きを覚えた。キュウの考えが、間違っていなかったからだ。
「その、私のこと以外は、みんなそんな感じでしたから。私は、ご主人様のお役に立てるか分からなかったですが―――」
「そうだな。キュウは助けたんじゃなくて、俺の欲望で、キュウが欲しかっただけだからな」
キュウの耳と尻尾が面白いように跳ねた。
「キュウ、今の話だが、賭けをしないか? キュウの言うところの、今回の利益を上乗せしたい」
「は、はい。賭け?」
「そうだ。俺が、この大陸を救ったら、メイド服を着てくれないか?」
「………えっと、メイド服を着れば良いのでしょうか?」
キュウが首を傾げているので、メイド服を着ることに嫌悪感は抱いていないらしい。
「それは、はい。分かりました」
天烏が大陸中を視界に収められるくらい高くまで飛翔した。
フォルティシモが天へ至り、異世界ファーアースの大陸を見下ろす。
フォルティシモは情報ウィンドウを起動した。
キュウのお陰で、もはや迷いはない。
フォルティシモの最強スキルを叩き込む。




