第二百二十九話 狐の説得と魔王の勅命
キュウは主人のことを凄いと思っていた。それこそこの世で最も信仰されている女神マリアステラよりも、主人は絶対に凄いのだと信じていた。キュウの考えは欠片も間違っていない。
それを証明するかのように、女神マリアステラが何もできずに逃げるしかなかった竜神ディアナ・ルナーリスも主人の前に下されようとしていた。
この世の終わりかと思える数のドラゴンを、主人は箒で埃を払うかのように消し去る。それだけに留まらず、第二の太陽を産み出したかと思ったら、その光はドラゴンたちの生存を許さなかった。主人はこのまま巨大な白竜となった竜神ディアナ・ルナーリスを制圧するだろう。
最強。これがキュウの主人の力だ。女神マリアステラも、大国カリオンドル皇国の兵たちも、ラナリアとアーサーでも、どうしようもなかった竜神ディアナ・ルナーリスを圧倒する。
「………え?」
主人に抱き寄せられ、腕と尻尾を主人に擦り付けていたキュウは、己の思考の異常を感じ取る。
女神マリアステラが竜神ディアナ・ルナーリスを前に逃走を選択したのは、キュウも一緒に影隼に乗っていたので知っている。カリオンドル皇国の兵たちが戦ったのは想像に難くない。
しかしキュウの思考にラナリアとアーサーが出て来るのは、おかしい。
キュウは知らないはずだ。キュウが到着する寸前、ラナリアとアーサーが虐殺を始めようとした白竜を首都から移動させ、この無人の空まで引き寄せたことを。ましてそのお陰で、カリオンドル皇国の首都は最低限の犠牲で済んだことなんて知るはずがなかった。
その方法は竜神ディアナ・ルナーリスの中にある第二皇女ルナーリスへ語り掛け、その意識によって白竜の肉体の制御を奪うという作戦だったことなど、【拠点】で主人の部屋の掃除をしようとしていたキュウが知っているはずがない。
「【座標移動】か、そのチートにも穴がある。VRMMOにも使われるVR空間の仕様として、移動先に物体があると移動できなくなる。つまりお前くらいの巨体だと、簡単に転移先を絞れる。気が付かなかったか? 俺が小さなアイテムを空中にバラ巻き続けていたことを」
キュウの意識は現実に引き戻された。
竜神ディアナ・ルナーリスが瞬間移動をして、天烏の眼前に現れたのだ。それに対して、主人は欠片も焦っていなかった。キュウの耳はむしろ、主人の余裕を聞き取っている。
そんな主人の元にいるキュウは、このまま主人がキュウの進言を聞いて竜神ディアナ・ルナーリスを制圧するのを待つ。主人と出会ったばかりの頃であれば、それだけで主人の役に立てたのだと思い、奴隷としての役割を果たせたと安堵した。しかし今は違う。
キュウが主人の役に立ちたいのは奴隷だからではない。主人を心より慕っているからである。
そう思ったら、キュウは大声をあげていた。
「ルナーリスさん! ご主人様の奴隷になってください!」
「………………………キュウ?」
主人が驚いてキュウを振り返った。
同じように瞬間移動で主人やキュウを攻撃しようとしていた竜神ディアナ・ルナーリスも動きを止め、キュウを見つめていた。
◇
無限湧きモンスターへの対処、チーターへの罠、すべてが上手くいっていた。最悪、失敗しても天烏にキュウを安全地帯へ運ばせれば、フォルティシモ的には勝ったも同然だったので成功率は高いと思っていた。
罠に嵌まった竜神ディアナ・ルナーリスは【座標移動】で、フォルティシモの予測通りの場所へ現れる。
プレイヤーだろうがチーターだろうが、容赦なく抹殺するための場所へ。
キュウの進言によって竜神ディアナ・ルナーリスは制圧に留めるつもりだった。しかし、それはなかなかに難しい。異世界ファーアースはゲームではないので、どこまでやったら制圧になるのか分からない。ひとまずは全力で攻撃して生きていたら説得でもしてみようと思っていた。
失敗するかも知れないが、その時はキュウに謝って、最強の力はまだまだ足りないからキュウの協力が必要だとか言おうと思う。上手く説き伏せる自信はまったくないけれど、キュウなら分かってくれるはずだ。
「ルナーリスさん! ご主人様の奴隷になってください!」
「………………………キュウ?」
そんなフォルティシモの考えを見透かしたかのように、キュウが声をあげた。そしてその内容は、フォルティシモさえも意味が分からずに首を傾げてしまう。
フォルティシモはキュウが叫んだ内容に驚いて、思わずキュウを見つめた。キュウは至極真面目な表情で、竜神ディアナ・ルナーリスに語り掛けている。
「あなたの願いは、ご主人様の奴隷になれば叶います!」
そうは思えないんだが、と誰よりもフォルティシモが口を挟みたい。しかしキュウの真剣な表情を見れば口を挟む気にはなれなかった。
ただ言えることは、竜神ディアナ・ルナーリスが攻撃を止めたという事実だ。
「あなたのことはラナリアさんから聞きました! この大陸でまだ十人もいない地位になれば、見返せます! あなたが頑張れば頑張っただけ、評価されます! ご主人様の下であれば、皇族なんかって笑い飛ばせます! 私たちと一緒に行きましょう! このままカリオンドル皇国で暴れるよりも、ずっと、ずっと、あなたの復讐になるはずです!」
竜神ディアナ・ルナーリスは攻撃だけではなく、動きそのものを止めて首を動かしてキュウを見つめている。キュウの言葉は間違いなく第二皇女ルナーリスへ届いているのだ。
キュウを褒めちぎろうとして、キュウが顔を青くしたのが分かった。続く言葉はフォルティシモも聞き取れる。
『邪魔を、するなっ………私はあの御方の復讐をする!』
キュウは戸惑ったようだが、言葉を告げるのを止めなかった。
「あなたはディアナさんでしたが、ディアナ皇妃ではありません! ルナーリスさんの復讐は、それでは達成されません!」
キュウの叫びに竜神ディアナ・ルナーリスは狼狽えたのか、大きな目玉を忙しなく動かした。
「今の自分が余りにも辛いから、初代皇妃と同一視してしまうのは仕方ありません! 私も家族に奴隷として売られたから、少しだけ分かります! 自分は役立たずなんかじゃないって証明したい! 私もです! だって私は王后でも何でもありません! 奴隷なんです! 何の役にも立たない、捨てられたのが私です!」
何故かフォルティシモの心にクリティカルのダメージが入った気がする。胸を抑えて、帰ったら今日の夕食はキュウの好きな物を用意して貰おうと思う。あと何かキュウにプレゼントを買おうと決めた。
『キュウ陛下が奴隷? 人を、奴隷に、するなんて、あの御方の目指した理想は、やはり砕かれた。キュウ陛下の言葉は、本当? この国を興されたのは人の権利を守り平等を目指して、私は子供の頃から感銘を受けて。でもそれは本で読んだだけで、本当の皇族は誰も、アクロシアよりも、私を奴隷どころか人とも思ってなくて。こんな世界だからあの御方が、元の世界へ帰ってしまったのも、全部、全部っ』
「この胸の痛みは黄金竜のブレスを受けた時並に―――元の世界に帰っただと? それはマリアステラが帰したのか?」
『マリアステラぁぁぁ! あああああああああ!』
竜神ディアナ・ルナーリスの激昂に反応する。しかし先ほどまでのように、執拗にフォルティシモへ向かってくる様子はない。戸惑い混乱しているような印象を受ける。
「………キュウの言う通りだ。キュウはいつも俺のために進言をしてくれる。こいつは、殺さずに情報を引き出す必要があると、今理解した。あと、キュウって宝石とかドレスとか欲しいと思ったりするか?」
「はい。きっとご主人様に必要な情報を持っています。………えっと、宝石とかドレスは、別に。つうさんが作ってくれる服がすごく素敵なので、嬉しいなって言うのは思いますけど」
「もう一つ、確認なんだが」
フォルティシモは“ディアナ”の名前は珍しく覚えている。カリオンドル皇国の大使館が襲撃された日、アルティマを傷付けたデーモンの女武者を捜し回っていた時に助けた竜人族の少女だ。そして覚えている理由は、彼女が偽キュウの情報を提供してくれたからである。
そしてフォルティシモはキャロルの要望を聞いて、ディアナを課金アイテムのアバター変更を使用して虎人族の姿へ変えた。
「キュウ、あの時鍵盤商会にいた虎人族のディアナが、第二皇女なのか?」
「はい。間違いありません。声が全く同じです」
キュウはフォルティシモの目を見て、揺らぐことのない自信を以て頷いた。キュウの声紋照合はDNA鑑定を超えているのではなかろうか。
「あの竜人族は第二皇女ルナーリスだったのか。会った時と【隠蔽】を使う時にちゃんと【解析】も使ったんだが」
フォルティシモは竜人族の少女ディアナと出会った晩と鍵盤商会で再会した時、【解析】を使って彼女の情報を得ている。その時に情報ウィンドウに表示された名前はディアナだった。一緒にいたキャロルも使ったはずなので、間違いないはずだ。
説得に成功しそうなキュウには申し訳ないが。
「しかし、まあ、だったら、この戦いは終わりだ」
「ご主人様?」
フォルティシモはただ馬鹿みたいに大勢にスキル設定を配ったり、貴重な課金アイテムで姿を変えてやったりしていた訳ではない。フォルティシモがそんな善人であるはずがなかった。
スキル設定や課金アイテムアバター変更を使うには、一瞬だけでもフォルティシモの従者になる必要がある。この異世界ファーアースにおいて従者とは【隷従】を受けることを意味する。
その瞬間に、トロイの木馬を仕掛けている。
個人の従者は人数の限界があり、だからこそエルフ王ヴォーダンはネズミ講という戦術で大勢を奴隷にすることに成功した。
フォルティシモは、その先を行く。
スキルの発動は時限式にすることが可能だ。これはトラップ系のスキルからすれば当然の事柄で、ある条件を満たした時に発動するスキル設定は作成できる。
だからフォルティシモは、フォルティシモが作ったスキルを習得するためのスペルスクロールを使ったり、アバター変更を貰ったり、一度でも【隷従】が必要な事柄を受けた相手に対して、条件が達成された時に発動するスキルを仕掛けていた。
「遅延起動【隷従】、命令する、戦いを止めて大人しくしろ」
それは魔王の勅命だ。




