第二十二話 フォルティシモの得たもの
男の消滅を確認し、思ったよりも人殺しの罪悪感に苛まれないことに安堵と少しの疑問を感じる。しかし、現時点で大切なことはキュウのことなので頭の隅に追いやっておく。
「ご主人様っ!」
キュウの顔に浮かんでいるのは驚きだけではない、そこには尊敬や憧憬が入り交じっており、フォルティシモのポジティブな見立てでは思慕も入っている気がする。
ここで格好良いことを言えば、今日はキュウと一緒に宿でお楽しみかも知れない。強さをアピールよりも、キュウのためを強調したほうが受けがいいはず、否、キュウのことを考えていたことを言うべきだ。「キュウが無事で良かった。キュウに何かあったか心配したんだぞ。あとで俺を心配させたお仕置きだからな」これだろう。下手に飾らず、夜のことも言外に含めた完璧な言葉だ。
「ギュウ………」
噛んだ。
「ご主人様、申し訳ございません! ご主人様のお力を疑っていました! 凄い、本当に、凄いです!」
スルーしてくれた。ありがとう、キュウと心の中で唱える。そんな打算がキュウの安堵の表情を見るだけで消えていく。駆け寄ってきたキュウをそのまま抱きしめた。
「心配、したぞ」
「っ」
「ほんと、心配、させるな」
「………も、申し訳………いえ………ありがとう、ございます」
驚いたことに、キュウもフォルティシモを抱きしめ返してくれた。人の体温、こんな温かさを感じるなんて、いつ以来だろうか。しばらくそうしてから、力を抜くとキュウはゆっくりと離れた。
「フォルティシモ様」
先ほど上着をあげたキュウの友達が、上着の前を締めて立っていた。キュウの代わりにこんな大勢の前で下着姿にされたのだから、トラウマものだろう。しかし、そのまま行けば裸だけでは済まなかった状況だと思われるので、フォルティシモは堂々としていればいいはずだ。
「ああ、君もありがとう」
「いえ、私は謝罪をしなければなりません。キュウさんを巻き込んでしまいました。そして、フォルティシモ様にお礼を申し上げさせてください。心から感謝をいたしますフォルティシモ様、あなた様のお力で、この国は救われました」
なんと直球で英雄視してくれる少女だろうか。しかも超がつく美少女。この子が奴隷だったら、全力で取りに行くレベルだ。だがキュウの友達に【隷従】を掛けてお持ち帰りするわけにはいかない。
「こんなことがあっても、キュウと仲良くしてやってくれ」
キュウがフォルティシモの奴隷という身分であることが、友人であるこの子に露見してしまったが、それでも友達で居て欲しいものだ。もちろんフォルティシモがキュウを解放するという選択肢は端から除外している。
フォルティシモの言葉にキュウの友達は呆けた顔をした後、形の良い唇に微笑を浮かべる。
「キュウさん、こんなことになってしまいましたが、これからお友達で居て頂けますか?」
「え!? わ、私で、よければ」
「嬉しいです」
キュウの友達は、優雅で花の咲いたように笑う少女だった。少女たちの友情に満足しながら、フォルティシモは頭上の天烏を見る。暇だったのか、くるくると空中を回っている。
「おい、天烏、降りて来い」
命令すると巨鳥は器用に絨毯の上に着地した。こいつの飛翔は魔力を翼から放出しているという設定だったので、威力を調整した白い光がキラキラと舞い降りてくるのはなかなかに綺麗だ。
「キュウ、帰るぞ、乗れ」
「えっ!?」
「はっ!?」
キュウとキュウの友達が一緒に声を上げた。こんな状況で放っていくというフォルティシモに驚いているのだろう。
「気持ちは分かるが、俺は事後処理だの何やらは面倒だから関わりたくない。ここにはキュウを―――あと、あれだ、カイルの仲間か」
名前を忘れた。
「まあ、頭を倒したしカイルの仲間も大丈夫だろう。とにかく国やら王族やらに関わる前に帰るぞ」
「お待ち下さい、フォルティシモ様! 厚かましい願いだとは承知しております。ですが、どうかあと少しだけお力を貸して頂きたいのです!」
キュウの友達が駆け寄ってくる。美少女の上着だけの姿というのは扇情的でいけない。思わず身体と引き替えに力を貸してやりたくなるが、我慢だ。交換条件に肉体関係を要求するなんて、印象が最悪になってしまう。
「安心してくれ。君を送るくらいの寄り道はする」
咄嗟に口から出た紳士的な対応に自分を褒めてやりたい。
「いえ、そうではありません。【隷従】は前の主人の命令がそのまま有効なのです。フォルティシモ様に、彼らの解放をお願いできませんか?」
「何人居ると思ってんだ………」
この場だけならまだしも、城壁の近くだって戦っていたし、他にも大勢居るだろう。
「騎士団上位の者やギルドマスターだけで構いません。どうか!」
「断る。慈善事業はしない」
キュウの友達は必死な表情だった。このままだと両手槍の男の掛けた命令は一生解けないので、アクロシア王国が目茶苦茶になるのは自明。キュウの友達の愛国精神には感心するが、だからと言ってフォルティシモが骨を折るつもりはない。キュウの前で格好付けたくても、万人に尽くす正義のヒーローになりたいとは思わないし、便利屋として使われるのは虫酸が走る。
「報酬をご用意すればやって頂けますか?」
おどおどしながらフォルティシモと友人の間で視線を彷徨わせているキュウが可愛い。キュウは優しいから、キュウにやって欲しいと頼まれる前に話を打ち切るべきだ。
「君が用意できそうなものなんか、君の全てを俺に差し出すくらいじゃないと無理だぞ」
「ご、ご主人様!?」
「それは、私にフォルティシモ様の奴隷になれということでしょうか?」
「世界すら滅ぼせる最強の俺に力を貸してくれと頼むんだ。釣り合いが取れないくらいだ」
ここまで言って「それでもやって欲しい」と言う人間はいないだろう。自分の暮らす国を守るために、自分の人としての尊厳を投げ出すなんて戦時中の発想だ。しかしキュウの友達は、考える素振りをした。
「………条件を出せるような立場ではないのですが、三点ほど事前のお願いを聞いてくださるのであれば、この身を差し上げます」
「なん、だと?」
落ち着け、クールになれ、キュウが見ている。
「条件を聞こう」
「一つ、キュウさんと同程度の行動許可を頂きたいです」
キュウは何も制限してないので、実質自由にしてくれと言っているのに等しい。もちろん命令権はある。
「二つ、有事の際にフォルティシモ様にこの国を守護して頂きたいのです」
考えてみると妥当な条件である。この子がフォルティシモに尽くす代わりに、アクロシア王国の安全を買うわけだ。この世界の常識を考えるに、フォルティシモがこの国に味方するというのは、圧倒的なアドバンテージを得られるものだと考えられる。リアルで例えれば戦略兵器で武装したかどうかの差だ。代わりにフォルティシモはこの国の保有する兵器となるわけだ。条件の比重が一気にトントンになった。
「三つ、フォルティシモ様と私の間に生まれる子供には、【隷従】を使用しないで頂きたいのです」
「なに言ってんのお前?」
言葉の前半だけで煩悩のアクセルを踏み込みそうになったが、よくよく後半部分を考えてみると変な条件だった。
「あの、ご主人様」
「なんだキュウ」
「ラナリアさんは、アクロシア王国の王女様です。だから、世継ぎの話をしているのだと思います」
「これは大変失礼いたしました。改めて自己紹介を。私はラナリア・フォン・デア・プファルツ・アクロシア、このアクロシア王国の王位継承権第二位の立場におります」
「………先に言えよ」
道理で気品のある容姿をしていると思った。
「自分の名前を知らない者なんて居ない、と言うつもりはありませんが、あなたのような方に覚えていて頂けなかったのは少しショックですね」
「今の話はなしだ」
「そういう反応になるのですね。フォルティシモ様、この国の王女である私を好き放題にできる機会ですよ?」
王女を奴隷にしている男が居るなどと知れたら、王や騎士たちが黙っているはずがない。このラナリアという美少女を自由にする権利には抗いがたい魅力を感じるとは言え、考えれば考えるほど面倒事の臭いがする。
「正直お前の容姿は好みで自由にしたいが、面倒事の匂いしかしない」
「それではアクロシア王国の王女としてフォルティシモ様に要請致します。私に【隷従】を掛けて頂けませんか?」
「なんでそうなる。断る」
「権威などには興味はありませんか。では、私は処女で、あなた様の子供が欲しいのですが、お情けを頂けないでしょうか?」
「お前は一国の王女の前に女の子なんだぞ。もっと自分を大切にしろ。国のために自分を売るなんて事はやめておけ。それが王族の常識なんだと言われても、俺に関係ないから言わせて貰う。俺の住んでいた国ではそんなものはなかった。何故か? それで上手くいかないと分かったからだ。つまりは時代錯誤なんだ。分かったら自分を売る前に、国を変革することを考えるんだな」
どうよこの完璧な説得は、あと一歩踏み込まれたらお持ち帰りしちゃいそうだよ、そんな考えが頭をぐるぐる回る。
「あれほどの力を持ちながら、面白い方ですね」
ラナリアは何が面白いのか口元を抑えて笑っていた。
「フォルティシモ様、私の依頼を別にして、私があなた様の奴隷となることは、今回のような事件を防ぐことに大きな意味を持つのです」
「三P有りなら考えてもいい」
「それは何でしょうか? 私個人で完結するものであれば、何でも構いませんが」
「何でもない。大きな意味というのは?」
セーフ。脳内のフレンドたちから全力のアウトが聞こえる。
「先ほどキュウさんに【隷従】が掛けられた際、それは失敗した様子でした。しかも“従者”という単語を使っていたところを見ると、何か私の知らない理由により、キュウさんには【隷従】が通用しない。その理由とは、フォルティシモ様の奴隷であるから。これから先、同じような者が現れた際、フォルティシモ様に【隷従】を掛けて頂ければ、それを完全に防ぐことができるのではないですか?」
「他人の従者に【隷従】は掛けられない。キュウは俺の従者だったから失敗したんだろ。俺もギルドマスターに掛けてみたが、他人の従者で失敗した」
「やはり。でしたら、ここで私に掛けて頂ければ、少なくとも私は意に反して誰かに従うことはなくなります」
「お前は馬鹿なのか? 俺が居る。それに一国の王女が奴隷とか、洒落にならんだろうが」
「それこそ。たった今、フォルティシモ様ならば無理矢理に私へ【隷従】を掛け、この国を手中にできる。それをなさらない時点で、あなた様ほど高レベルで信頼できる方は居らっしゃらないでしょう」
もしかしてフォルティシモの嗜好を見抜かれているのだろうかと疑問に思う。とりあえず、ラナリアには口では勝てそうもない。
「フォルティシモ様、どうか、アクロシア王国に再びの平穏をもたらして頂けないでしょうか。この願いを叶えて頂けるのであれば、この私は生涯あなた様に尽くし続け、またあなた様に決してご迷惑をお掛けしないことをお約束いたします」
これは別に、最初からそういう事を覚悟している奴隷が欲しいとか、溜まった時に辛いとか、ではない。人助け、だ。人助け。
「そこまで言うなら、良いだろう」
「フォルティシモ様」
ラナリアは輝くような笑顔を見せた。
「………あー、キュウはどう思う? 俺は良いと思うが、相手は王女だ」
キュウはいつものように答えるだろうが、目を逸らすためにキュウに問いかけた。
「ご主人様が、良いのであれば、それが良いのではないでしょうか………」
いつもと言い方が違う気がするが、ニュアンスは同じだ。同じはずだ。
「やるぞ、ラナリア」
「よろしくお願い致します」
「隷従・使役」
情報ウィンドウに従者の確認ダイアログが現れたので、承認してラナリアを従者とした。
「俺は何も制限しない。命令する場合は「ラナリア、命令だ」と言う。他の言葉はお前の好きに解釈していい」
「っ! キュウさんの制限が緩いことは予想していましたが、まさかほぼ自由とは思っていませんでした」
ラナリアは緊張していたのか、大きな溜息を吐いた。
「主人となった方の前で失礼な言葉ですが、賭に勝って安心してしまいました」
下手をすれば一生ものの決断をよくできるものだ。それも今日初めて会ったばかりの男の奴隷になるという王女、この国は本当におかしい。
「それで、誰を解放すれいいんだ?」
「そこまでやって頂けるのですか?」
「お前、分かってて聞いてるだろ。俺は、マジでお前を好き勝手するぞ、覚悟しろよ」
「優しくお願い致します。ただ、状況が落ち着くまでお待ち頂けないでしょうか」
何故かキュウと目が合った。今にも泣きそうな顔をしている、ような気がする。
「………ラナリア、とりあえずこの場の連中とギルドマスターだけ解放しておく。俺はキュウを休ませるから、他に解放して欲しい奴がいるなら牢にでもぶち込んどけ。後で来てやる」
「私にお気遣い頂きありがとうございます。しかし、ご主人様の望むことが私の望みです」
「承知しました。キュウさん、ありがとうございます。あのとき、あなたに出会えた幸運のお陰で私はこうしていられます。今日はゆっくりお休みください。今後共よろしくお願いしますね」
「は、はい」
フォルティシモは情報ウィンドウを開き、スキルの【コード設定】を開いて【隷従】の新しい設定を作る。
「識域・解放」
効果は簡単で範囲拡大を拡大させた【隷従】と、効果成功後に即解放を行うよう設定した。これなら従者システムや従魔システムの最大数制約に引っかからずに大量の人間の解放ができる。そしてこっそり、この場に居る者たちのフォルティシモに関する記憶がフォルティシモが立ち去った後に消える設定を加えておいた。
フォルティシモがスキルを使い、自分を取り戻した者たちによって王宮は騒がしくなる。
「今のが、魔術の創成………………想像以上に好手だったかも知れませんね」
ラナリアはぽつりと何かを呟いた後、王座の前に立った。
「静まりなさい! 我が国に脅威をもたらした悪は我が国の最強の剣により討滅されました! 自らの身に起きたことを省みる前に、卑劣なる術により操られている同胞を救うため、成すべきことを成しなさい!」
騒がしくしていたアクロシア王国の騎士たちが一糸乱れぬ動作で整列した。
「エルフの隣人たち。あなた方の事情は分かりません。しかし今は、こちらでお待ちを。我が国を守護する最強の剣は、かのエルフの王など問題にならないほどに強大無比な力を持っています。今後の両国のためにも聞き分けて頂きたい」
ラナリアがエルフたちに話し掛けると、エルフの中で身なりの良い男が前へ出た。
「あのヴォーダンを滅して頂き感謝の言葉もない。我々はここで待たせて頂く」
ラナリアが王座の一つに座り、指示を出し始めるのを見ていると、天烏の周囲に人が集まっていることに気付いた。
「な、なんですか、この魔物は」
「なんという魔力だ………あのヴォーダン、いや遙かに超えている」
「それにしても美しい純白、神話に語られる神鳥なのか」
この天烏はレベルだけならばフォルティシモと同じ九九九九なのだから、あの両手槍の男よりも強いのは当然だ。天烏は人語を理解しているのか、褒められる度に身体を動かし、謎のポージングを行っていた。なんだかイラッとしたので、さっさと帰ることにする。
「キュウ」
「はい」
キュウに呼びかけると、キュウはすぐ傍までやって来たので隙を突いて抱き上げる。
「きゃっ!?」
可愛い悲鳴を上げるキュウだったが、お姫様抱っこされていることに気付くと大人しくなった。
「帰るぞ」
「………はひ」
キュウを抱きかかえたままジャンプして、天烏へ飛び乗った。
「飛べ、天烏」
「くあぁぁぁ!」
白い烏はその翼から真っ白な魔力光を発すると、ジェット噴射のような速度で大空へ飛翔した。
キュウを助けに行く過程で、フォルティシモは一つの決意をしていた。それはこの世界への向き合い方だ。考えてみれば馬鹿らしかった。この世界に来てから、周囲を気にして遠慮して、国だからと慎重になって、どうして近衛翔が生きていたリアルよりも気を遣っていかなければならないのか。好き勝手ゲームをやって生きていた時よりも、楽しく生きられなければ、せっかくこの異世界に来られた意味がない。これが夢でも誰かの思惑でも関係ない。
崩れた王宮を背にして、フォルティシモは腕の中のキュウを見た。
「すごいっ」
キュウは大空から見るアクロシアの街を見て感動の言葉を漏らす。
「キュウ」
「な、なんでしょうか、ご主人様」
「ここまで慎重過ぎた。ここからは遠慮しない」
並ぶ者のない最強へ。それがフォルティシモの存在意義だ。
「付いて来てくれるか?」
その時のキュウは、フォルティシモが一番好きな表情を見せてくれた。
「はい、ご主人様とどこまでも」
満面の笑顔だ。