第二百八話 開戦の狼煙
現在、アクロシア王国の東に数十万という規模の、大陸でも過去類を見ない総数の軍が集結しつつある。ファーアースオンラインで記録したプレイヤーの同時接続数から考えれば大した数に思えないかも知れないが、異世界ファーアースの人口を考えれば異常な数だった。
フォルティシモが大陸東部同盟をカリオンドル皇国ごと制圧すると宣言し、同時にアクロシア王国からカリオンドル皇国が大氾濫対策の同盟条約に明確に違反したと発表された。
天空の国フォルテピアノが行う制圧行動に、各国がこぞって出兵するのも無理はない。大氾濫対策会議に残った国々から見れば、これは勝ち戦だ。加えて己が国は天空の国フォルテピアノの同盟国だと内外にアピールする絶好のチャンスであり、仮に戦果でも挙げられようものなら、今後天空の国フォルテピアノから国そのものを大氾濫から守って貰えるかも知れない。
もちろん例え勝ち戦であっても、戦争をしたという事実が為政者の傷となりかねない場合もある。しかしこの大陸では人類同士の戦争がほとんど行われておらず、民衆はその意味をほとんど理解していなかった。国同士の勝ち負けよりも、魔物の脅威から街を生活を生命をいかにして守ってくれるのかが重要なのだ。
その数十万の連合軍の司令部。一際大きなテントの中で、フォルティシモは各国の大将やら軍団長やらに挨拶をされていた。とりあえず顔と名前は一人残らず忘れる。
【威圧】を常時発動しているせいか、フォルティシモへ挨拶に来る兵士たちは顔が真っ青で、中にはその場で気絶してしまう者まで現れる始末だ。しかしそのお陰で、連合軍という各国の思惑によって集まった兵士たちは、フォルティシモの言葉に大人しく従ってくれるようである。
「ラナリア、俺は戦力が欲しくて同盟を組んだんじゃない。戦争の規模を大きくしたいんじゃなくて、国際情勢による圧力と面倒事を引き受けてくれる奴が欲しかったんだ」
「彼らは出兵したという事実さえあれば充分ですので、後方から少しずつ進軍させれば構わないと思われます。また、今後のFPの収集を考えますと、できるだけ多くの者にフォルティシモ様の御力を目撃させるのが肝要ですので、戦わずとも集まるだけで利があるかと」
「俺の感覚だと、俺の従者を連れて一気に東部へ攻めて行って、今頃は決着が付いてると思った」
敵軍の中でも重要なのはプレイヤーなのだから、お互いに宣戦布告して勝負を開始したら、一日以内で決着が着くと考えても仕方がないだろう。それにも関わらず一週間経っても誰も攻めて来ないし、フォルティシモも攻めていない。今日なんて一日中テントの中で座って挨拶をしていた気がする。
すぐに大勢のプレイヤーが攻めて来るだろうと思い、フォルティシモの【拠点】に完全武装で待機させていた従者たちからは、飽きた飽きたの大合唱。ピアノからもいつになったら戦闘開始なんだと文句が来ている。テディベアは最初の一日だけ待機して、後はエルミアと一緒に冒険者の仕事に戻っていった。
充分に情報を引き出して、別れ際に何故かフレンド登録することになったアーサーからは、謎の雑談と苛立つスクリーンショットが届くようになった。ブロックしたので最初の数回以降の内容は見ていない。
三日くらいはずっと後ろに控えていたエンシェントの姿も今はなく、テントの中に常時居るのはラナリアの部下たちだけだった。当のラナリアは頻繁に顔を出すものの、忙しそうに走り回っている。
そんなラナリアがテーブルの上へ地図を置く。地図は大陸の東部が網羅されているもので、ところどころに書き込みがされていた。
フォルティシモは情報ウィンドウのマップ機能があるため、ラナリアが広げた地図よりも遙かに詳細で正確な地図を持っている。しかしそれと見比べたところで、フォルティシモには軍事作戦の進捗などさっぱりだった。
本来陣地として作れない場所にも従魔や魔法道具を惜しみなく投入することで、圧倒的な速度と戦力を集められていると聞いている。最大の理由として、ダアトが嬉々として【転移】の大盤振る舞いをしているらしい。軍人はダアトを神と崇め、商人や貴族はダアトを悪魔と恐れていた。
「フォルティシモ様、私も軍事は専門外ですが、敵軍の動きの予想と、こちらの配置を説明いたします」
「しなくて良い」
「ふふっ」
フォルティシモの即答にラナリアは吹いて笑っていた。フォルティシモはどの国から制圧して同盟全体へ降伏勧告するとか言う戦略も、軍の配置や運用に関する戦術も素人だ。フォルティシモが口出しして好転するとは思えない。
これは連合軍を信じているから、ではない。戦うのはフォルティシモたち、天空の国フォルテピアノだけのつもりだからだ。連合軍には元々の予定だった大氾濫で頑張って貰う必要があり、天空の国フォルテピアノが挑まれた戦争で大きな消耗をさせるつもりはない。
ラナリアが地図を片付けていると、彼女の通信端末が鳴り出した。ラナリアはフォルティシモに一言断りを入れてから、通信端末の応答を行う。
「フォルティシモ様、敵軍が行動を開始いたしました。情報の通り、東部の山脈に待機させていた空挺部隊が、『浮遊大陸』が通る瞬間を狙って飛び立ったそうです」
『浮遊大陸』はフォルティシモが権能を使わない限り決まったルートを自動的に飛び続ける。敵側にそれを知っているプレイヤーが居るのであれば、高い山に部隊を待機させて飛び移ろうと考えるかも知れない。
「浅はかだな」
『浮遊大陸』は、フォルティシモでさえ外部からの強行突入が不可能な領域である。『浮遊大陸』は積乱雲に囲まれていて、近付く者を回避不可能なレーザーで撃ち落とす。そこは数億のHPがあっという間に減らされてしまう世界で、まともなプレイヤーが生き残れるはずがない。
ただし余程のプレイヤーでなければ、その仕様を知らないだろう。
『浮遊大陸』実装時、ゲーム内のお知らせで『浮遊大陸』への入り方が告知された。アクロシア王都から入れる特殊なダンジョンをクリアした先で『浮遊大陸』に入れる。外側から無理矢理入ろうと考えたのは、フォルティシモのように仕様の限界に挑戦していたプレイヤーだけ。
だから『浮遊大陸』へアタックした大陸東部同盟の空挺部隊は、あっという間に全滅したに違いない。
「フォルティシモ様?」
「何でもない」
ラナリアはフォルティシモのちょっとした表情の変化を悟ったようだった。
フォルティシモは『浮遊大陸』へ向かった空挺部隊を見殺しにした。
フォルティシモは異世界ファーアースで大人しく暮らしているプレイヤーや、アーサーのように堂々とフォルティシモだけに挑んで来る者は殺そうとは思わない。彼らは神に弄ばれただけだ。フォルティシモが最強の神となってすべてに勝利したら、解放するつもりである。
逆に人を傷付ける罪を犯す者やフォルティシモの仲間を狙う者は、進んで抹殺する。そこには一切の罪悪感はない。
しかしプレイヤーは、その二種類だけではない。例えば今回のように、立場上敵対するプレイヤーがいる。彼らは神戯のためにフォルティシモを倒しに来る。そんな相手に対してどうするかは決めかねていたが、今回は何もしなかった。
その結果、彼らは全滅した。フォルティシモと敵対した時点で、戦うことを諦めなかった者たちの責任もある。
しかし本当のところ、フォルティシモの目指す最強は戦うことそのものを諦めさせたい。
「まだ最強には足りない」




