第二百話 忍者軍団との取引
アクロシア王都で亜人族が比較的多く住む地域がある。冒険者や奴隷以外の亜人族がアクロシア王都に住んでいるということは、住人たちはある程度の成功者たちであり、街並みは綺麗だし治安もかなり良い。
日もすっかり暮れた夜中、その地域を亜人族が歩いている。闇夜を差し引いても存在感が希薄で、すれ違ってもすぐに忘れてしまいそうな人物だった。その証拠に周囲を歩く者たちも、亜人族の動向に注意を払う者は誰もいない。
亜人族は集合住宅に入り、一階奥の部屋のドアを叩いた。
「輝く太陽」
「獅子の鬣」
中から声がして亜人族が迷いなく答えると、ドアが開かれて中に招き入れられた。部屋の中にはまったく生活感がなく、家具の類いは雑多に物が置かれたテーブルくらいなもの。人影は四名で、全員が覆面で顔を隠している。亜人族も部屋に入る際に覆面を被った。
「天空の王は取引に応じたか?」
「うむ。酷く憤っていたが、こちらの要求には従うそうだ」
亜人族たちの中に安堵はないけれど、打つ手無しだったところから光明が見えて来た期待感はあった。
彼らはカリオンドル皇国の皇帝より、アクロシア王国へやって来る第二皇女ルナーリスの殺害を命じられていた。その命令の優先順位は最上位、どんな犠牲を払ってでも達成するべきものであり、大使館の警備状況を調べ確実な日を選んだはずだった。
まさか天空の国フォルテピアノから邪魔が入るとは思わず、絶対に達成しなければならない暗殺は失敗に終わってしまう。
その後に情報を集めると、第二皇女ルナーリスは賊、つまり自分たちが拉致したと言われていた。
天空の国フォルテピアノは情報操作にも長けているらしい。あの夜の裏路地で、自分たちの目の前で第二皇女ルナーリスを救出しておいて、どの口で第二皇女が行方不明だと言うのだろうか。天空の王フォルティシモは化かし合いが得意な狐だ。
「それでは狐人族をお連れしろ。丁重にな」
亜人族たちは目隠しをして両手を後ろ手で縛った狐人族の少女を馬車へ乗せて連れて行く。
亜人族たちも取引がまともに終わるとは思っていなかった。圧倒的な強者である天空の王との取引を行うのだから、取引場所へ行く者たちは無事では済まず、取引が終わった途端に皆殺しにされる可能性もある。
けれども、それで構わない。それまでに第二皇女を殺害さえできれば彼らの目的は達成されるのだから。
亜人族たちが取引の場所として選んだのは、何も無い見晴らしの良い草原だった。人と人の交換であれば深い谷や川を挟むのが効率的に思えるが、大陸を浮かべる相手に小細工など無用である。こちらの機動力を最大限に生かして、最速で第二皇女を殺害するための場所を選んだ。
周囲は夜ではあるが、取引役としてやって来た亜人族たちは夜目の利く種族のため、夜闇は彼らの味方だ。
「まだ来ていないようだな」
亜人族たちは馬車を止めて周囲を確認した。それから人質の様子も窺う。馬車に乗る時に抵抗もしなかったため、大人しく座席に座っている。
亜人族たちにとっては都合が良いが、縛られて目隠しされた少女がここまで落ち着き払っていると不気味さを感じてきた。しかし彼らの目的は狐人族の少女を傷付けることではないので、このまま差し出せばそれまでの関係である。後で恨まれる可能性はあれど、自分たちはその前に天空の王フォルティシモに抹殺されるのだから関係がない。
夜風が草木を靡かせ、虫の声がする。
しばらくすると道の先からアクロシア王国の貴族が好んで使いそうな装飾華美な馬車が走ってきた。
馬車の中から出て来たのは、銀髪の男性、天空の王フォルティシモ。
そして人が入りそうなくらいに大きなズタ袋だった。
天空の王フォルティシモは、無造作にズタ袋を地面に転がす。ズタ袋の中身がモゾモゾと動きを見せた。
亜人族たちの一人が覆面を被り、忍者の装いとなって馬車を降りる。
「ようこそ天空の王よ。良い夜だ。太陽もさぞ心地よく眠れているに違いない」
「お前たちとまともに挨拶するつもりはない。第二皇女ルナーリスは、この中に入っている。【解析】を掛けろ」
亜人族の忍者は【解析】スキルを発動させ、ルナーリス=ドラゴネット=カリオンドルの名前がスキルの結果として表記されるのを確認した。
今すぐにも飛び出して行って、ズタ袋にクナイを叩き付けたい衝動を我慢する。ここで向かったところで、天空の王フォルティシモに邪魔されて失敗するだけである。
「次はそっちだ。キュウを出せ」
亜人族の忍者が馬車の中へ合図を送ると、中から狐人族の少女が歩いて来た。
天空の王フォルティシモは狐人族の少女を見て、明らかに驚いている。己の大切にしている少女が目隠しをされて縛られているのだから、酷い目に遭ったと思うのは普通だが、それなら驚くのではなく憤るのではないだろうか。
「ご安心を。傷一つ付けておりません。こちらは第二皇女殿下さえ頂ければ、この御方を傷付ける意図はございません」
「それがどうした? じゃなくて、それで、どうやって交換する? 生憎、こっちの第二皇女は取引に反対でな。見ての通り無理矢理連れて来た」
「陛下はあちらの大きな木の元へ、我々は逆側の木へ」
天空の王フォルティシモは、亜人族の忍者の取引方法を意味がないと思っているのだろう。この程度の距離であればいくらでも魔術で攻撃可能だ。
だがあの木の傍には、第二皇女殺害を実行する役割の忍者が予め潜んでいた。天空の王フォルティシモが第二皇女を置いてからある程度の距離を取った瞬間、潜んでいた忍者が姿を現して第二皇女を殺害し、亜人族たちが受けた命令は達成される。
天空の王フォルティシモが木の傍にズタ袋を置き、こちらは狐人族の少女を座らせた。
お互いに確認し合って、少しずつ木から離れていく。
木と天空の王フォルティシモの距離が充分に離れた瞬間。
「やれ!」
亜人族の忍者は第二皇女の殺害を命じる。亜人族の忍者の合図に従って、木の陰から忍者たちが現れる。忍者たちがズタ袋へ向かって一斉に刀を突き立てた。何本もの刀に貫かれれば一溜まりもない。ようやく命令を遂行できたのだと安堵した。
しかし何かがおかしいと気が付く。全身を串刺しにされて死体となったはずのズタ袋が動き出し、逆に忍者たちが地面に倒れてしまったのだ。
「ぶはっ! まさかいきなり殺そうとするなんて! 僕じゃなかったら死んでいたぞ!」
そしてズタ袋が暴れた末に無理矢理開かれる。中から現れたのは、赤毛の男、よく確認するまでもなく大陸で最も有名な人物の一人、大氾濫の英雄アーサーだった。
ズタ袋の中身は、【解析】スキルでルナーリス=ドラゴネット=カリオンドルと確認したはずなのに、そこから出て来たのはアーサー。
その間に、天空の王フォルティシモは狐人族の少女の傍により、目隠しを外して縄を解いている。
「本当に似てるな。双子だって言われたら信じる」
「な、何が?」
亜人族の忍者は状況が理解できなくて、呆然と立ち尽くした。
自分たちは天空の国の狐人族の少女を人質に取り、第二皇女との交換をしているはずだった。それなのに、現実はまったく違った光景が展開されている。
第二皇女の入っているはずのズタ袋には大氾濫の英雄アーサーが入っていて、第二皇女を殺害するための伏兵は返り討ち。
そして、馬車の中から現れた自分以外の亜人族の忍者たちが、一斉に天空の王フォルティシモへ向かって跪いていた。仲間であるはずの、最上位の命令によって第二皇女殺害のために動いていた忍者の仲間たちは、一人残らず天空の王フォルティシモへ忠誠を示している。
「さて。お前が、人質作戦の発案者らしいな?」
大空に大陸を浮かべる力だけではない。すべては天空の王フォルティシモの手の平の上で、この存在は本当の神の如き力を持っているのかも知れない。敵対するには、あまりにも危険な相手だ。
亜人族の忍者はそれを主君に伝えられずに絶命した。




