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第百九十九話 ルナーリスと天空の国

 青い光の渦を背にした王后キュウは勢いよく従業員寮の扉を開いたルナーリスに驚いたようで、目を丸くして見つめ返していた。今の彼女は先ほどと違って一人ではなくお供を四人も連れている。きっと彼女たちが救い出してくれたに違いない。


 ルナーリスは全身を脱力させた。


 大きなリュックサックを背負った黒髪の純人族、ハンマーを背負ったドワーフ、薄い桃色の髪の女性、少し体調の悪そうな黒髪の女性だ。後者二人の種族は一目では判断できない。


「王后陛下! 無事だったのですね!?」


 ルナーリスが王后キュウへ近寄ろうとすると、ドワーフの女性と黒髪の女性が間に入る。それを押し退けて、リュックサックの女性が先んじた。


「こいつは誰? キュウの知り合い? それに、何キュウ、外では自分を王后だって呼ばせてるの? 意外と抜け目ないじゃん」

「い、いえ、私は初めて会った人だと思います。あと、そんなこと言ったことは、ないです」

「無事であることへこの上ない喜びを―――」


 ルナーリスが王后キュウに対して歓喜の言葉を奏上しようとしていたら、薄い桃色の髪の女性が待ったを掛ける。


「ちょっと落ち着いて貰えますかぁ? 私はぁ、ほとんどいつもキュウと一緒に居ますがぁ、あなたのこと知りませんよぉ?」

「失礼致しました。私も王后陛下にお会いしたのは今日が初めてでございます」

「今日ってぇ、キュウは朝から家に居ましたよねぇ?」

「はい。今、ダアさんに開いて貰ったポータルを通って来たのが初めての外出です」


 そんなはずはない。人の顔と名前を決して忘れないルナーリスが、今朝ほど出会ったばかりの、こんな重要な人を忘れるはずがないだろう。見間違いや他人の空似さえ、生まれてこの方した経験がないのだ。


 髪型や着ている服装は違うが、間違いなく王后キュウだ。そのはずなのに、立ち振る舞いからしゃべり方までまったくと言って良いほど違う。


 しかし黄金色に輝く毛並みに、耳や尻尾の形、瞳の色、背丈、腕や足の長さ、骨格、眉の長さ、虹彩の大きさ、すべてが同じ人間なんて居るだろうか。


「なるほどぉ。ところでぇ、キュウに出会ったというのは何時頃ですかぁ?」


 ルナーリスがアーサーが使っている客間を訪れたのは早朝、まだ鍵盤商会の販売店舗も開いてもいない時間帯だった。


 ルナーリスの返答に対して、桃色の髪の女性は笑みを浮かべる。それは感情が読めない笑みで、何か悪い予感がした。


「私はぁ、セフェールって言いますぅ。こっちはダアト、は知ってますかねぇ、鍵盤商会の会長ですしぃ」

「はい。よろしくお願い致しま―――会長!?」


 リュックサックの女性がニヤニヤとルナーリスを見つめている。


 ルナーリスは鍵盤商会の会長はあの銀髪の男性だと思い込んでいた。かなり地位の高そうなキャロルに命令を下していた点を見れば、そう勘違いするのも仕方がない。


「あれぇ、知らないんですかぁ」

「キャロの管轄だろうけど、それにしてもなかなかの美人じゃん。どう? こっちに移らない?」


 続いて残りのドワーフがマグナ、黒髪の女性がピアノと教えられる。最後にキュウからまた自己紹介をされた。まるでルナーリスと対等かのように、彼女からしっかりと頭を下げて来た。急いでそれ以上に頭を下げる。


 ここへ来て、ルナーリスは現実を直視しなければならなかった。


 もう目を逸らすことはできない。


 天空の国の王后キュウと見るからに深い仲の四人は、彼女の護衛なんかではない。


 セフェール、ダアト、マグナ、ピアノ、キャロル、そして鍵盤商会は。


 ルナーリスが逃げたいと思った現実の一つ。


 ルナーリスが貢がれるはずの場所。


 虎人族ディアナとなって逃げられると思っていた。この鍵盤商会で単なる一従業員として生きていく道があると。


「なんで玄関に集まってるんだ?」


 従業員寮の扉を開けて入って来たのは、出会った時からルナーリスに恐怖を感じさせる銀髪の男性。彼の背後に付いて来ている鍵盤商会の従業員たちは、まるで御伽噺の英雄を見るかのような表情で銀髪の男性を見て目を輝かせている。


 ルナーリスの感じた恐怖は間違っていなかった。この銀髪の男性こそが、天空の王フォルティシモだ。




「僕をここまで苦しめたのは、君が初めてだと言っておこう」

「とりあえず、先に済ませる用事ができたから、お前はもう少し軟禁だ」

「せっかく僕が認めているんだぞ!?」

「ラナリアを呼んで、今日も飲ませるか」

「残念だが、僕は勝利の女神に二度と酒を飲まないと誓ったんだ!」


 ルナーリスはセフェールにがっちり腕を掴まれ、客間まで連行された。天空の王フォルティシモの行く後を、鍵盤商会の従業員たちがゾロゾロと付いて来ようとしたのだが、商会会長のダアトに「へぇ、そんなに暇なの?」と笑顔を向けられたら一目散に逃げ出した。


 客間では早朝と同じように、アーサーを筆頭にキャロル、狐人族の少女と蒼髪の女の子がいて、二人はアルティマとリースロッテという名前だと教えて貰った。


 天空の王フォルティシモ、王后キュウを加え、逃げ場はどこにもない。いやあったとしても、ルナーリスはもう逃げる気力も失せていた。最悪の未来を選んでしまったのだ。


 第二皇女でありながら名乗り出なかったことを責められる、と思っていた。


「実はぁ、このディアナさんがぁ、キュウの偽者と会ったらしいんですよぉ」

「ほう。やるなセフェ、もう手掛かりを見つけたか」

「それほどでもないですよぉ、と言いたいところですがぁ、単なる偶然ですねぇ」


 天空の王フォルティシモとセフェールはおそらく同じ種族。彼女たちの中でも特に天空の王フォルティシモと親しげだし、もしかしたら兄妹、最低でも親戚に違いない。そんな超々重要人物に目を付けられてしまった。


 そしてルナーリスの想像とはまったく違った話が始まる。


 彼らの話を総合すると、天空の国フォルテピアノとカリオンドル皇国の間に会談があり、その中に暗殺部隊が紛れ込んでいた。天空の王フォルティシモは暗殺者をあっさりと返り討ちにして【隷従】を使って情報を引き出すと、王后キュウが捕まり、第二皇女ルナーリスと交換を申し出てきたのだと言う。


 天空の王フォルティシモは、この取引を受けるように見せかけて忍者軍団を壊滅させるつもりらしい。


 二点、おかしな話だった。


 一点目は、王后キュウは天空の王フォルティシモの真横に座っている。ついでに言うと天空の王フォルティシモは、王后キュウの尻尾をずっと触っていた。何の冗談なのか、本当に真面目な話をしているのだろうか。誰も指摘しないので、ルナーリスも指摘しない。


 二点目は、天空の王フォルティシモたちはルナーリスの行方が分からないらしい。ここに居るのに。彼らほどの高レベルであれば、【解析】を使えばルナーリスが第二皇女だとすぐに分かりそうなものなのに、彼らは本当にルナーリスだと気付いていない。


 キャロルが言った通りだ。彼らの【解析】にも、ルナーリスはディアナと映るらしい。この中には一人くらいはルナーリスの名前を知る者がいるだろう。しかし【解析】に表示される名前がディアナで、姿形が虎人族では、彼らとて虎人族ディアナがルナーリスだと気が付けない。


「それで、キュウの偽者はどんな奴だった?」


 突然話を向けられて、ひくっと口から変な音が出る。


「はっ、はっ、はひのっ」

「ふっ、君は女性の扱いがまるで分かっていないな。やはり君は僕のライバルに相応しくない。ぐおうっ!?」


 アルティマとリースロッテの二人がアーサーを殴っていた。


「フォルティシモ、今のはアーサーに同意だ。お前、殺気を振りまきすぎだぞ」

「殺気ってなんだ。まあ、苛立っているのは否定しない。キュウの尻尾でかなり落ち着いて来たが」

「お役に立てたのなら幸いです」

「キュウちゃん、そろそろこいつを甘やかすのを止めないか?」


 巨大な大陸を空へ浮かせる神話を体現する恐怖の王。あのアクロシア王国でさえ膝を折り、カリオンドル皇国も必死になる天空の国に住む強大な王。のはずだったが、どこか想像と違う。


 この人が王の国、大丈夫なのだろうか。


「とにかく、そのキュウの偽者だが、できれば仲間にしたい」

「フォルティシモ、お前まさか、キュウちゃんと触り比べをするためとか言わないだろうな? 言ったら、この場でたたっ切るぞ」

「俺がキュウとアルを比べるのを、どれくらい我慢してると思ってる。するわけないだろ」

「えっと、私は別に」

「妾も構わないのじゃ」


 天空の王フォルティシモは少し腕を組んで考えた後、咳払いをした。


「無理にとは言わないが、双子とか背格好が似てる影武者ってのは何かと役に立つ」

「フォルティシモ陛下」


 アーサーとピアノの二人が、ルナーリスが落ち着くまでの時間を作ってくれたお陰で、何とか息を整えて言葉を紡ぐことができる。


「似ている、なんてものではありませんでした。色も顔も身体も、言葉や仕草以外のすべてが王后陛下と寸分の違いがありませんでした」

「アバター情報をコピーしたみたいにか?」


 アバター情報なる言葉は初耳だったけれど、鏡のように似ていると言いたいのだろうと予想して肯定した。すると天空の王フォルティシモは腕を組んで考え込む。


「そっちにも気を付けておくか」


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