第百六十九話 魔王神の権能
フォルティシモは【領域制御】をエルフたちの住む場所をモンスターが入れない安全地帯に設定したり、エルフたちの好む木々を植えたりすることに使っていた。それでFPを集めることには成功していたので、使い方として失敗したとは思っていない。
しかし、それらが神戯のプレイヤー同士の戦いで役に立つかと言われれば、疑問に感じていた。いくらFPを貯め込んでも、直接的な攻撃力のないフォルティシモの【魔王神】の権能【領域制御】は、とても戦闘では使えない力だ。どれだけFPを集めても、戦闘に使えないのであれば意味がない。
何故そう考えていたかと言うと、制御できるのがフォルティシモの領域に限ると思い込んでいたから。
だが違った。権能【領域制御】を使った時から感じていた漠然とした疑問。権能の使い方を根本的に間違えているのではないかという違和感が、今になって形になる。
フォルティシモは初めて他者の領域に侵入したことで、己の権能について理解した。それは正に魔王の如く“他者の領域”さえも蹂躙し制御する。あらゆる領域を制御する力だ。
海底へ沈んでいく中、左腕で抱えたキュウの温もりを感じながら、フォルティシモは右手を掲げた。目を瞑り、己の中にある熱を集中させる。
「神域・征討」
FPの数字がガクンと減少した。フォルティシモの【魔王神】としての力が、海淵の蒼麒麟が展開したインスタンス空間『最深海淵』を満たし、制覇し、征討していく。今のフォルティシモには、この空間のすべてが手に取るように分かる。
海中は困る。戦うなら空が良い。だから、大空に変換する。
領域『最深海淵』の空間情報を取得。海の情報を一つずつ消していく。そして代わりに書き加えるのは、空だ。大地すら必要ない。青空と雲だけの世界。
周囲の水や海藻、海底火山と言った光景は消えていた。代わりに生まれるのは果てしなく続く空。
この領域―――世界は、フォルティシモという魔王に支配された。
『浮遊大陸』を攻略した時のような馬鹿笑いはしなかったが、内心ではあの時と同じように笑い出したい。それほどの高揚感がフォルティシモの心を満たしている。
ただ一つだけ言うと、キュウに泳げないことがバレて“最強のカナヅチ”と呼ばれたくないがゆえに、新しい力に覚醒したようで格好悪いと思ったのは内緒だ。
大空になったインスタンス空間で、フォルティシモはキュウを抱き締めながら浮遊している。見知らぬプレイヤーたちが無限の空へ落ちていくが、それはフォルティシモの知ったことではない。
「これが、ご主人様の、本当の力っ!」
キュウだけが事情を察したのか、周囲を見回して驚愕の声を上げていた。彼女の耳が動いているのは、聴覚で感じ取れる範囲を探っているのだろうか。
そして最後に、自らの領域を展開したにも関わらず、それが海中から大空へ変えられ戸惑っている海淵の蒼麒麟がいた。
「さて、フレンド登録と祝福はできるのか? ここはもう俺の支配下だ。大人しく俺に従え」
海淵の蒼麒麟は、暴れ馬のように我武者羅にフォルティシモへ向かって来た。しかし領域外でもフォルティシモに完封されたモンスターが、【魔王神】が支配した領域の中でフォルティシモに抵抗できるはずがない。
巨大化させた剣で、虫か何かのように叩き落とす。高速で落ちていくが、ここは大地のない空間のため、叩き付けられることはない。
「答えないなら良い。お前の脳をスキャンするまでだ」
フォルティシモの権能が海淵の蒼麒麟のすべてを読み解く。そこにあるのはファーアースオンラインのモンスターに搭載されるコードの羅列で、海淵の蒼麒麟がゲームのAIと変わらない知性しか持たない存在であると示していた。
海淵の蒼麒麟が再び蒼い光の膜に包まれ、広範囲攻撃を放とうとする。
もう話し掛けても無駄だと分かったのだが、腕の中にキュウを抱えているため、格好付けることにした。無言のまま機械的にモンスターを抹殺するには、この状況はもったいない。今ならフォルティシモの最も近くで、フォルティシモの新しい最強の力を見せられる。
キュウに最初に見せられるというのが素晴らしい。
「どうも最果ての黄金竜とは違うようだな。だったら、用はない。恨むなら、この最強のフォルティシモの“前”に立ち塞がったことを恨め」
フォルティシモが支配した領域の大空に、積乱雲が現れる。大陸一つを包み込むような巨大な積乱雲。圧倒的な体積を誇る雲がフォルティシモの意思に従い、海淵の蒼麒麟を蹂躙すべく顕現した。
余りの巨大な物体の出現に恐れをなしたのか、海淵の蒼麒麟が逃げようと背中を向けた。ファーアースオンラインのレイドボスモンスターには有り得ない行動だ。知能が低く動物並みだとしても、恐怖は感じるらしい。
だがこの世界の支配者はフォルティシモだ。どこへ逃げようと言うのか。
「天空・神罰」
積乱雲から数千にも達する無数のレーザーが放たれる。それらは海淵の蒼麒麟へ殺到し、その角を砕き、鱗を貫き、身体を串刺しにする。そうして海淵の蒼麒麟は膨大であろうHPを数秒で失い、悲鳴をあげる間もなく絶命した。
他者の領域を制御して自らの領域へ変えてしまう。
領域に攻略不可能と呼ばれた積乱雲を呼び寄せる。
己の領域のすべてを知り操る。
【魔王神】の権能【領域制御】―――強大無比な権能。
今のフォルティシモは、かつての最強を超えた最強だ。
◇
『樹氷連峰』の中で最も標高の高い山の山頂で、羊の角を持つデーモンの男が立っていた。外見年齢にして二十代後半か三十代前半くらい。深い紺色のラウンジング・ジャケットにズボン、革靴を履き、雪山には相応しくない格好をしている。角さえなければ、どこぞの国の紳士と言われても不思議ではない。
彼はシーンキャプチャーと呼ばれる動画撮影のアイテムを使い、たった今ここで行われた戦闘を撮影していたのだ。
銀髪の男と蒼い麒麟の戦いを。
彼は情報ウィンドウで、その戦闘動画を何度も何度も見直す。動画の中で、銀髪の男は様々なスキルを使って、完璧に蒼い麒麟の攻撃を防いでいく。いくら見直したところで、そこに弱点と思える隙はなかった。
加えてMPやSPを大きく消費した様子もない。HPが減っていなくても、戦いの果てに疲れが見えるようであれば付け入る隙になったが、銀髪の男は圧倒的な余裕を以てレイドボスモンスター海淵の蒼麒麟を、文字通り蹂躙してしまった。
「恐ろしく強い」
デーモンの男の口から正直な感想が漏れる。
「だが勝つのは私だ」
その口許には笑みさえ浮かんでいた。
視線の先に映る動画には、銀髪の男がしっかりと抱き締めている、黄金色の毛並みをした狐人族の少女の姿がある。




