第百四十五話 鍛冶師の矜恃 夢見た先
工房から逃げ出したエイルギャヴァは行く宛てもなく歩いていたら、足が自然と鍵盤商会の店へ向いていた。いつものように少し羽振りの良い冒険者たちに人気なようで、人影はそこそこにある。ここはあくまで冒険者向けの店舗なので、他にも貴族向けの嗜好品を扱う店舗や卸売業の店舗も展開する予定があるという話だったが、興味がないので詳しくは知らない。
エイルギャヴァの家族の工房が無くなったとしても、それでエイルギャヴァの鍛冶師としての道が閉ざされる訳ではない。鍛冶をしている工房はこのアクロシアには無数にあるので、そこで雇って貰うなり弟子入りするなりすれば良いだけの話だ。
しかしだから父親が工房を畳んでもエイルギャヴァには問題ない、なんて言えるはずもない。
憂鬱な気持ちで鍵盤商会のドアを潜ると、珍しく騒ぎが起こっていた。この店は野蛮な者の多い冒険者を相手にしているにも関わらず、騒ぎを起こす者を見たことがなかったのでエイルギャヴァも憂鬱な気持ちを忘れて驚いた。
遣り合っているのは黒髪の純人族の女性と赤毛のドワーフの女性で、すぐ近くで狐人族の女の子がおろおろしている。何故か店員も周囲の冒険者も鎧を着けた兵士も小綺麗な格好の騎士も、誰一人止めようとしない。
「だから今がっ、今が稼ぎ時なんだよぉー!」
「知るかぁー!」
この店で騒ぎを起こすなんて、この店の価値を分かっていない。騒ぎを起こせば商売に影響が出るのは確実だ。そんなことでこの店に潰れて欲しくない。エイルギャヴァは実家の工房のこともあって義憤に駆られた。
ずかずかと大股で前へ進み、大声を上げる。
「止めるのけ!」
二人の女性が今にも掴み掛かろうとしていた手を引っ込めた。
「誰?」
「あ」
「キュウの知り合い?」
「いえ、知り合いでは、無いんですが」
「一方的には知ってるってことか」
「そういうのは外でやるのけ! 店に迷惑が掛かるのけ!」
「迷惑掛けてるのはコイツだぁ!」
黒髪の純人族の女性が赤毛のドワーフの女性を指差す。なんて勝手な奴なのだろうと、怒りがふつふつと湧く。
「ここがどんなに凄い場所なのか、分かってないのけ! アクロシアの鍛冶師たちが目指すものが、ここにある! 私たちが何百年も前から受け継いで、受け継いで、受け………」
何百年も前のご先祖様が、みんなが心血を注いで来て、なおも届かない高みがある。余りにも高すぎて登ろうとすると落ちてしまうほど。そうしてエイルギャヴァたちは落ちて、今、一族のすべてを掛けてきた鍛冶を諦めようとしている。
余りの情けなさに涙が出て来た。涙の後に、それでもという思いが残る。
「受け継いで、それでも夢見た先があるのけ!」
黒髪の女性と赤毛の女性は呆気にとられたようにエイルギャヴァを見つめている。エイルギャヴァは二人を睨み付けていた。
先に口を開いたのは黒髪の女性だ。
「まず勘違いも甚だしい点を指摘する。この店は私の私物だ。鍵盤商会の会長である私が力と人脈と金を使って作り上げた店で、何をしようと私の勝手だ!」
「客に対する態度かそれ。あとキャロと二人三脚だろ」
「え………会長さん?」
今度はエイルギャヴァが目を丸くして呆ける番だった。黒髪の女性は鍵盤商会の会長であれば、店員たちが注意しないはずである。冷や水を浴びせられたように冷静になった。
「た、大変失礼な態度を」
「こいつのことは良いけど、今面白いことを言ったな。これが、夢見た先だと。お前、アクロシアの鍛冶師か?」
赤毛の女性が会長の顔面を掴んで黙らせていた。俗に言うアイアンクローというやつで、会長は必死に引き剥がそうとしているが、どうにもこうにも外せないらしい。
「一応は。でもまだ見習いなのけ」
「【解析】を使わせて貰っても良い?」
エイルギャヴァが頷くと赤毛の女性から魔術が発動する。
「………このビルド。エイルギャヴァ、あんたの打った武具が見たいな」
「ま、まだ商品として店に置けるような物は作れないのけ」
「いいよ、別に。商会の鉄火場使うよ。キュウも来な」
「私もですか?」
「マグが使うなら使用料代わりに売れ筋を作ってけ!」
エイルギャヴァが見たこともないような最新の設備が整った鉄火場に案内され、赤毛の女性と狐人族の女の子の前で武具を打つことになる。半ば破れかぶれの気分で、それでもこの店の関係者らしい二人に恥ずかしい物を見せられない、という最後に残った一欠片の思いがエイルギャヴァを突き動かす。
一心不乱に槌を振るい、今の自分の持てる限りのものを注ぎ込む。
「すごいっ………」
狐人族の女の子がエイルギャヴァの姿を見て、そんな感想を漏らすが気にもしない。
そうして完成した剣は、エイルギャヴァが今まで打った中でも格段に良い物、いや工房が出荷していた武具に比べても優れているのではないかと思われた。もしかしたらこれが最後かも知れない。それをこんな良い設備で打てると思ったら気分が高揚し、作業へ集中することができた。そのお陰で、最高の剣ができた。
「はぁ、はぁ、はぁ」
赤毛の女性がその剣を手に取る。
「アクロシアの鍛冶師は根本的にSPの使い方も知らず、作業工程さえ守らない連中ばかりだと思ってたけど、そうでも無かったらしいね。アクロシアで見た中じゃ、一番マシな剣だ」
他の者であれば王族であろうと一族の技術を誇りに思うだけで胸を張っただろうけれど、鍵盤商会の関係者に褒められたのだと考えると、途端に恥ずかしくなってしまう。
「お前の工房だと、みんなお前くらい打てるの?」
「そ、そりゃあみんな、見習いの私よりも上のはずなのけ」
「へぇ。これはダアトのうざったい要求をかわせそうなものを見つけたかもね」
赤毛の女性がニヤリと笑った。会長と喧嘩していたので、何か問題があったのだろう。
「もしかして、うちの工房に期待してくれたのけ? それは嬉しいのけ。でも、もう、うちの工房は閉めるのけ」
「え? こんな凄い剣を作れるのに、止めちゃうんですか?」
狐人族の女の子が驚くのも無理はない。今までのアクロシアで流通していた武具と比べたら、エイルギャヴァの打った剣は格段に優れたものだ。しかし天空の国のそれと比べたら、こんなもの子供のお遊びに過ぎないことをエイルギャヴァが誰よりも分かっている。
「何で? 資金難?」
エイルギャヴァは彼女たちに正直に告げることができなかった。天空の国の技術力を見せつけられて諦めました、なんて格好悪すぎる。
「まあ鍛冶に限らず生産系のレベル上げとスキル上げは、湯水の如く金を使うからね。最初は資金難になるのも仕方ない。でも私たちに協力してくれるなら、ダアトに融資させる。どう?」
「融資ってなんなのけ?」
赤毛の女性が見事にずっこけた。
「資金難じゃないのか。じゃあなんで工房を閉めるの? 後継者、ってのはエイルギャヴァが居るから問題ないだろうし」
赤毛の女性はエイルギャヴァの剣を見て、工房を評価してくれている。それはとても嬉しい。けれども、それは商人の視点だからこそだ。エイルギャヴァの腕なんて、天空の国の技術力に比べたら弟子にも劣り、それには父親たちみんなを挫折させる力がある。
「………限界を、感じたからなのけ」
散々迷った挙げ句、エイルギャヴァはようやく絞り出せた。
「そのビルドで限界を感じた? いやお手本のような育ち方をしてると思うけどな。まあ、それなら限界じゃないって私が説得しに行ってやる」
「いや、それは………」
赤毛の女性はすぐにでも説得に行こうとしているが、エイルギャヴァの工房のみんなはとっくに酒浸りになり、鍛冶師の道を諦めている。どんな説得をしても無駄だ。
「あの、マグさん、ダアさんが使用料の代わりに売れ筋商品をって」
「あー、そうだったな。まあ、三、四本作ってきゃ文句も言わないだろ。ついでだ、お前も見てろ。夢見た先とやらが、できるところを」
赤毛の女性がどこからかバンダナを取り出して巻き、槌を手にした。
その姿に、エイルギャヴァは思わず立ち上がって直立してしまった。見習いとは言え、代々受け継がれた鍛冶師の血脈に刻まれた本能が瞬きをするなと語り掛けている。
「ヘファイストスの炎」
そしてエイルギャヴァも神業を見る。




