第十四話 最強帰還
物心付く前から木剣を握り、一心不乱に王国騎士を目指してきた。大陸最強の国家アクロシアにおいて王国騎士は憧れの職業であり、貴族とは言え階位の低い次男であるケリー=ネッドにとって王国騎士を目指すことは自然なことだった。才能と弛まぬ努力、わずかながらも両親の支援、そして戦場で死ななかった幸運があり、第三隊の隊長まで登り詰めた。王国への忠誠心は無くはないが一番ではなく、ケリーが日々鍛錬して戦う理由は、隣で戦う戦友たちが無事に帰るためであり、彼らの帰る場所を守るためだ。
だから、このサン・アクロ山脈の砦を魔物の大軍に落とされるわけにはいかない。この砦から首都までには、ここの他にも砦はあるとは言え、監視塔の役割ばかりでこの魔物の大軍を押しとどめられるだけの防御力はないし、部隊を集結させている時間もない。魔物は崩された壁からしか侵入できないので、挟撃まで警戒する必要がないのが有り難いが、数が多すぎて乱戦になってきている。
「くそっ」
ケリーは隊長としてしてはならないと知りながら、毒づいてしまう。それほど状況が悪く、初動で完全に後れを取ったのも大きい。
戦闘の直前に放たれた光球によって砦の壁が破壊され、そこから数千を超える魔物が流れ込む光景は騎士たちの士気に悪い意味で大きな影響を与えてしまう。それは指揮官にも同じで、もし同じ光球の魔術が使われたらと思うと、うかつな行動ができず目の前の魔物のせいで対応策を検討することもできない。いや、本来ならば検討しなければならない砦の隊長である太った貴族の男は、早々に王都へ逃げ出してしまった。
サン・アクロ山脈の砦周辺の魔物は、次々と砦に集まってくる。相当数討伐しているが、魔物の数は当初よりも増えたかも知れない。本来、砦の騎士たちには周辺の魔物の討伐任務も含まれているはずだが、それがあの太った貴族の元で定期的に行われていたかどうかは考えるまでもないだろう。
「隊長! 退却しましょう!」
「どこへだ!」
「冒険者ギルドからの救援がこちらへ向かっているそうです! せめてそこまで!」
「ならそれまで押しとどめろ!」
騎士ではなく冒険者なのかと思うが、むしろ彼らの方が魔物との交戦経験は豊富かもしれない。
魔物の返り血を全身に浴びながら、必死に剣を振るう。
「ハーピィ確認! 数三十!」
「弓急げ!」
ハーピィはサン・アクロ山脈の山頂付近に生息する魔物で、レベル三〇〇でありながら飛行している強敵だ。頭と胴体は人間で、腕と下半身が鳥の姿をしている。生息地から出ることがほとんどないため、平時では問題視されることはなかった魔物でも、エルディン軍が魔物を誘導できるのであれば連れて来ない理由はない。ハーピィが上空から放つ【風魔術】が、騎士たちを更に追い立てていく。
上空に注意を割くばかりではなく、ハーピィを討伐するために騎士たちは手を取られ、押し寄せる地上の魔物への対応が手薄になる。また一人、騎士が倒れた。
「ハーピィの対応を優先しろ!」
上空のハーピィを掃討しなければ総崩れになってしまうため苦渋の決断だ。頭上はどうしても死角となってしまうし、兜で頭を守っている騎士たちであればなおさら上空の視界は制限される。
「べ、ベンヌ確認!」
「馬鹿な!?」
ケリーが上空を見上げると、ハーピィとは比較にならない存在感を放つ魔物が砦へ向かって飛行してくる。七メートルを超える巨躯の鳥、赤い身体は炎に包まれており、その熱気だけで周囲の温度が上昇した。赤黒い嘴の先の瞳が、しっかりと砦の騎士たちに向けられている気がする。
サン・アクロ山脈に住む魔物の頂点、炎鳥ベンヌ。
冒険者ギルドが討伐不可能と指定した魔物。
「え、エルディンはあんなものまで操れるのか? いや、操れるようになったから、攻めて来たということなのか………!?」
だとすれば悠長なことは言っていられない。これほど魔物を操れるということは、エルディンの軍事力はこれまでとは比較にならず、さらに魔物が出現する限り無制限に高まるということだ。すぐにでもエルディンを制圧しこの技術を接収、できなければ破棄しなければらない。
それ以前に、この状況を切り抜ける必要がある。ケリーの心はこれまで以上に奮い立った。
だが、次の瞬間、ベンヌを見ても諦めなかった心が折れたのを感じる。
「た、隊長!」
部下に指摘されるまでもなく見えている。ケリーたちの後方から、昨夜砦の壁を破壊した光球の魔術が、昨夜の数倍の規模で放たれようとしていたのだ。あれでは今から退避することもできず、ケリーの隊を飲み込むだろう。それどころではない。あの大きさでは砦を丸ごと飲み込んで跡形も無く破壊するに違いない。
せめて王都にいる他の隊の騎士たちに、この事実を伝えなければならない。それも叶わない現実を理解し、心が折れた。
まるで昨夜の一撃がお遊びだったかのような規模と速度をもって、光球は放たれた。
「アクロシア王国に栄光あれ!」
ケリーは力の限り叫んだ。部隊員たちも口々に叫ぶ。まさか言葉が通じたはずもない。光球に意思があるはずもない。
だから、次に見た光景は奇跡だ。
光球はケリーたちを通り過ぎ、ベンヌへと直撃した。ベンヌを鳴き声すら許さずにバラバラに破壊したかと思うと、光球は水球が弾けるように分割し、周囲を飛んでいたハーピィや地上にいる魔物たちに降り注ぐ。一瞬にして砦とその周辺に静寂が戻った。
◇
フォルティシモは自分の放ったスキルで、サン・アクロ山脈に出現するダンジョンボスであるベンヌと砦に群がっていたモンスターを一掃できたことに満足した。
話を聞く限り、プレイヤーと思われる者が砦を破壊するために使ったスキルは【光魔術】だったので、フォルティシモもそれに近い【コード設定】でモンスターを一掃して見せた。
これでそのプレイヤーも黙ってはいられないだろう。敵対したいとは思わないが、プレイヤーがエルディンに荷担していることは間違いない。それを辞めろとも言わない。ただ、フォルティシモの邪魔をするのは不愉快だ。
何よりもそいつが自分よりも先にこの世界に来ていて、上限解放クエやフォルティシモの知らない何かを手に入れたとしたら許せない。
「さぁ、出てこい。スキルの打ち合いでも、近接戦でも受けて立ってやる」
最強の従者が設定できていないとは言え、最強の装備と最高のスキルは健在だ。それに加えて、廃人だったフォルティシモにプレイヤースキルで敵う者などほんの一握りしか居ない。はっきり言って負ける気がしない。
プレイヤーの次なる一手を待つ。砦の騎士たちが騒ぎ始めても待つ。騎士たちが落ち着きを取り戻しても待つ。ギルドから応援の冒険者たちが着いても待つ。ひたすら待つ。待ち続けて、何も起きないことに気付く。
「………なんで動かないんだ? 俺の情報欲しいだろ? 威力偵察しようとか思わないのか?」
プレイヤーの心情として【コード設定】されたスキルを使われたら、試しに挑んでみるか、最低限コミュニケーションを取ろうとするのが筋ではないのか。思惑が外れたことに気落ちしながら、フォルティシモは帰ることにした。エルディンにプレイヤーが居ることが分かっただけでも収穫だと言い聞かせて。
すっかり慣れた宿に戻ると、キュウが驚いたような安堵したような表情で迎えてくれた。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
「ただいま。夕食は済ませたか?」
「いいえ、まだ食べておりません。サン・アクロ山脈まで行かれていたのですよね?」
「ああ、目的の奴は居なかったけどな」
帰宅したら自宅の猫を撫でるような気持ちでキュウの尻尾を見つめる。無駄足を踏まされた疲れを、キュウの尻尾をモフモフして癒やしたい気分だ。
「ご主人様?」
「俺も夕食がまだだから行くぞ」
「はい」
キュウを連れながら食事処へ向かう。
「そういえば、なんでまた聞いたんだ?」
「聞いたと言われますと?」
「サン・アクロ山脈に行くって言って出掛けたつもりだったんだが、キュウは帰って来た時に確認しただろ?」
「さ、サン・アクロ山脈は遠方のため、往復だけでも数日………明日になると思っておりました! 決してご主人様の力を疑ったわけではございません!」
「ああ、なるほどな。ポタ屋も居ないみたいだしな」
普段の王都は夜でも冒険者や商人たちが行き来していて、表通りはそこそこ人が居たのに、今日に限っては人が少なかった。代わりに騎士たちが慌ただしく走り回り、それを見た住民たちは一層大人しくなっているようだった。
「メシ屋やってるだろうな。………っと、キュウの【料理】は試してみたか?」
「っ、その」
「ははっ、最初は上手くいかないだろ。いつかは外食じゃなくてキュウの料理を中心にしたい。期待してるからな」
「は、はい、頑張ります!」
リアルで一人暮らしの頃は外食かコンビニばかりだった反動からか、思った以上にキュウが作る手料理を楽しみにしている自分が居た。
「ご主人様はお好きな料理とか、ありますか?」
「好きな料理か」
ポイントを稼ぐために肉じゃがとか味噌汁とか言うか。もう何年も外食とインスタント以外食べていないので、味を思い出せない。異世界に来て、また食べたいと思うものと言えば。
「ラーメンだな」
展望レストランのステーキも、有名店のコース料理も確かに美味しかったが、いざ食べられなくなって思い出すのは近所のラーメン店の味だった。もちろんファーアースオンラインは国産ゲームのため、アクロシアの中にラーメンを出す店はある。しかし、フォルティシモの近所の店の味はない。
「ラーメンですか? それなら、練習すれば」
キュウは本当に良い子なのだろう。性格がこれでもかという程フォルティシモの好みで怖いくらいだ。
「悪い。ラーメンは好きなんだが、特別好きな食べ物が思い浮かばなかった。また色々食べてみたい気分だ。この街の美味い店があるか探すためにも、今度一緒に食べ歩きでもするか」
「もしかして食べ歩きとは、お店を探して歩いて、見つけたら食べてを繰り返すということでしょうか?」
「まあそんな感じだ」
まるでデートだ。キュウとだったらデートをしたい。
「私は今でもお腹いっぱい食べられていますので大丈夫です」
「なんだ? 付き合ってくれないのか? 俺一人だと食べ歩きできる量が減ってしまうんだが」
「あ、いえ! お付き合いさせてください!」
焦ったように言うキュウを見て、フォルティシモは笑みを零した。
「それで? 俺に聞いたんだから、キュウの好きな物はなんだ?」
「私は、ご主人様のおっしゃる物であれば、なんでも」
「隠さなきゃならないくらい高級品が好きなのか?」
「そんなことありません!」
狐人族なので、イメージだと油揚げ、現実的に考えると狐だから動物の肉だが、昆虫類だったら嫌だ。子供の頃、家庭教師に連れられてはちのこを食べに行ったが、見た目から駄目だった。
「じゃあ、何が好きなんだ?」
「は、蜂蜜を塗ったパンが好きです………」
蜂蜜が好きだったのか、今度大量に買って来よう。無ければ蜂系のモンスターを乱獲すれば、蜂蜜はいくらでもドロップするはずだ。今の内に、蜂系に有効なスキルで効果範囲の広いものを脳内でピックアップしておく。しかしゲームでは蜂蜜はアイテムで味は分からなかった。モンスターからドロップした蜂蜜が美味しいのかどうかは疑問だ。
「ご主人様、買って来ようとしていませんか?」
「そんなことはないぞ。この国の蜂蜜は養蜂家が居るのか、畜産業が盛んなようにも見えないが、地方へ行けば違うんだな。だったら有力な卸業者の経営権でも買ったほうが早そうだな」
「………私の家はお金がありませんでした。なので、蜂蜜はご馳走だったんです」
フォルティシモの蜂蜜買い占め作戦か蜂モブ殲滅作戦を止めるためか、キュウは言い募る。
「今は、ご主人様が与えてくださいます食事が、本当に美味しいです。ハンバーグも、アイスクリームも、とても美味しかったです。毎日美味しい物をいっぱい食べられています。だから、さっきの言葉は嘘ではありません。ご主人様の仰るお食事は、大好きです」
「キュウ」
「はい」
「今度、食べ歩きしような」
「はい、ご一緒させてください」
◇
キュウは自分のことを話すつもりはなかった。というよりも、話すようなことは何もないし、何の役にも立たなかったから売られましたなんて言うのは、幻滅されることはあっても良い印象を持たれることはない。
それでも自分のことを思わず話してしまったのは、キュウの主人が無駄遣いをしようとしていたから、だけではない。サン・アクロ山脈には凶暴で強い魔物が出現し、キュウでは行くことが難しいことは分かっている。付いていけばすぐに魔物に殺されてしまうか、良くて主人の足を引っ張るだけになってしまっただろう。
それでも、この主人に買われてから主人は優しくて、いつもキュウのことを気に掛けてくれていたから、何となくいつも一緒に居てくれるものだと思ってしまっていた。役に立たない自分を棚に上げて、付いて行けるものだと思っていた。
だから留守番を言い渡された時、奴隷としては当然の仕事だと頭で分かっていたのに、あんな問いかけをしてしまったのだ。
そして主人がいつもの調子で戻って来た時、すごく安心した。今も歩いていると、主人は何度も振り返り、キュウの姿を確認するとすぐに歩みを再開する。キュウのことを心配しているのが分かる。何故、これほどの主人が自分のような者を選んだのか疑問は尽きないけれど、一日も早く役に立てるようになりたいと思うことは、きっと良いことなのだと思う。