第百二十四話 最強の主人と従者たち
キュウは目を覚まして見慣れない天井があるのは何度目だろうかと、半分寝ている頭で考えていた。その状況も良い加減慣れて来ていたので、それについてはあまり驚きはない。
しかし今日はいつもと大きく違っていた。キュウが寝ている位置から十センチも離れていない場所から、寝息と思われる呼吸音がしていたのだ。
首を動かして横を見ると、キュウの敬愛する主人の顔が目の前にあった。視界いっぱいに整った顔立ちが広がっていて、規則正しい呼吸音をキュウの耳に伝えている。
息を呑んで、叫び声を上げそうになってしまった自分を叱咤して堪えた。やがて昨日をことを思い出して頭が沸騰しそうになる。
そう昨日だ。キュウはそのまま主人の顔を見つめていた。見つめ続けた。このままだと頭がどうにかなりそうだったので、回想を頭の隅へ追いやる。
大きな音を立てないように細心の注意を払って布団から這い出して、昨日つうに勧められて選んだ立派な衣装箪笥から普段着を取り出して着替える。
部屋を出ようと思ったが、考えないようにしても昨日のことが頭の中に次々と湧いて出てしまい、何か一言でも主人と会話してからでないと、主人の傍から離れたくないと思ってしまった。
キュウは主人が起きるのを待つことにした。色々と頭の中で言い訳していたけれども、今日くらいはもう少しの間は主人を見ていたい。
どのくらい時間が経ったのか。こっそり自分の尻尾で主人の腕を突いて嬉しくなっていた頃、主人が目を覚ました。キュウは己が何をしていたのか自覚し、急いで尻尾を戻し飛び退いて、自分は何もやっていませんとばかりに正座した。
「………ここは。ああ、そうか。【拠点】に戻って来たんだったな」
寝起きの主人と目が合う。いつもの主人がそこにいる。
「お、おはようございます。ご主人様」
「おはよう、キュウ。なんで正座してるのかは分からないが、何かデジャヴを感じる態度だな」
パタパタと動いてしまった尻尾を手で抑え付ける。
「………」
「………」
「お、お着替えはこちらに用意しました。私は、その、ちょ、朝食の準備を確認してきます!」
「あ、ああ、頼む。こ、コーヒーだけは絶対に用意するように言ってくれ」
「承知しましたっ」
台所では主人の従者の内の二人が朝食の準備をしていた。
「おはようございます。つうさん、キャロルさん」
「あら、おはよう」
「おはようです、キュウ。早起きじゃねーですか」
つう。主人の最初の従者であり、三つの世界を主人と一緒に渡り歩いた信頼厚き女性。種族はおそらく純人族。長い黒髪の綺麗な人だ。キュウの故郷でも作られていた、着物と呼ばれる衣服に身を包み、穏やかに笑っている。
キャロル。雪のように白い毛並みを持つ虎人族の少女。ぶっきらぼうでちょっと変わったしゃべり方が印象的。キャロルは可愛らしい虎のわっぺんの入ったエプロンを着て、卵焼きを作っているようだった。
「えっと、台所に来てどうかした? フォルが何か欲しいって?」
「ご主人様が朝はコーヒーだけは必ず用意しておくようにと」
「そう。ありがとう。用意はしてあるから大丈夫よ」
つうが台所の一画を指し示すと、そこにはコーヒーを淹れるための器具が置かれていた。
「つうさん、何かお手伝いさせてくれませんか?」
つうとキャロルが朝食の準備をしているところを見ているだけにはできず、キュウは手伝いを申し出る。【料理】スキルのレベルが低いのは元より、技術面でも主人と会ってから初めて料理をしたキュウでは手伝えることは少ない。それでも野菜を洗ったり食器の準備をしたりはできるはずだ。
「本当? 助かるわ。みんな言わないと手伝ってくれなくて」
「当番制で手伝ってはいるんですけどね」
「みんなもっと手伝って欲しいんだけどな」
キュウも昨日食べた料理を思えば、つうに料理番をして欲しい気持ちは分かる。ラナリアに誘われて食べた宮廷料理と遜色のない腕の料理人が居るのに、自分の下手な料理を主人に食べさせる訳にはいかない。
「そういえば【料理】スキルを上げてる最中なんだって?」
「はい。でも、まだ低くて」
「じゃあレベリングってことで、毎日手伝って欲しいんだけど」
「はいっ、お願いします!」
どうやって頼もうか考えていたのに、つうから言ってくれて安堵から大きな声が出てしまった。
そのまま朝食の準備をしていると、芸術品のように整った容姿の女性と黒い短髪の少女が連れ立ってダイニングへ現れた。
エンシェント。最初の三人の一人、主人の相談役で、キュウ的には最強の従者。人間がここまで整った姿を取れるのかと言うほどに美しい銀髪の女性だ。命を助けられたこともあり、キュウも彼女をとても信頼している。
その彼女と話している少女は、何かとエンシェントに文句を付けているらしい。
「だから私とあの後輩が直接やって取り纏めますって!」
「お前はあることないこと事業計画を言い出すだろう。ラナリアは取引相手ではなく仲間だ。それから、あいつはお前の口車に乗せられるだけの愚者じゃないぞ」
ダアト。この『浮遊大陸』へやってくる際に、ポータルという遠い土地を一瞬にして移動できる超魔術を使ってみせた従者だ。【マーチャント】系統のクラスに就いていることからも示されている通り、ねっからの商人気質らしい。胡蝶蘭の刺繍がされたケープや仕立ての良いチュニックを身に着けている。
「でもエンさん、考えてみてください。国家間において、最も重要な要素は何だと思いますか?」
「軍事力」
「身も蓋もない返答をしないでくださいよ! ちょっと日和りますが、二番目に重要なのは経済力ですよ! 経・済・力!」
「キュウ、早いな。つうの手伝いをしているのか?」
「聞いてくださいよ!」
キュウは朝の挨拶をしながら頭を下げた。何か言おうとしたところで、新たな人物がダイニングへ足を踏み入れる。
「ではマグナさんも、何度もアクロシアへ訪問されたことがあるのですね」
「フォルさんの言うところのファーアースオンラインって世界ではね」
「マグはほとんど【拠点】から出ないのじゃ」
ラナリア。地上大陸の最強国家アクロシア王国の王女。キュウが主人と出会ってすぐの頃、アクロシアとエルディンの戦争に巻き込まれて、偶然出会った王女様だ。王女なんて身分の相手は顔を見るのも恐れ多かったけれど、今では何でも話せる掛け替えのない友人である。
そのラナリアは、頭にバンダナを付けて胸に晒を巻いた少女に話し掛けていた。
マグナ。比較的背は低く、茶色の肌などドワーフの特徴が見て取れる。彼女は主人やその従者たちの持つ国宝を上回る神話級の武具の数々を打つ、冠前絶後の鍛冶師だ。キュウもつい昨日、新しい武器を作って貰うために彼女の仕事場を訪れた。
ラナリアとマグナの後ろに付いていたのは、キュウと同じ狐人族の少女だ。
アルティマ。黄金の毛並み色から、背格好までキュウとよく似た少女。キュウの劣等感を刺激すると同時に、キュウによくしてくれる先輩。彼女は酷い寝癖で頭と尻尾の毛並みをぐしゃぐしゃにしているのに、それらを気にせず歩いている。鏡の中の自分を見ているようで、今すぐブラシであれを梳きたい。
「少しマグナさんが打った武具を頂けないでしょうか?」
「ラナリアの分はちゃんと作ってるけど?」
「いえ、そうではなく、レベル三〇〇程度で使える武具を作成して頂きたいのです」
「マグ、それはラナリアの護衛が使う装備なのじゃ。奴らが使っている武具は、どうしょうもないものじゃった。手本を見せてやるのじゃ!」
「言っとくけど、私はアルより先輩だからな?」
ガタン、と音がしてダイニングの注意が一斉にドアの方向へ集まった。部屋に入ろうとした空色の髪の少女がドアにぶつかったのだ。桜色の髪の少女が、それを支えている。
「本当に大丈夫ですかぁ?」
「大丈夫。セフェの心配は無用。眠い」
セフェール。つう、エンシェントに続く最古参の一人。主人に似た容姿の少女で、ちょっと間延びしたしゃべり方をするのが特徴である。主人からは彼女の“知識”は誰にも負けないと言われ、分からないことがあったら聞いてみろと言われている。加えて治癒の力を極め蘇生まで可能とする彼女は、アクロシアで聖女と呼ばれ始めていた。
リースロッテ。主人の最強の従者の中で唯一、キュウよりも年下らしい小柄な少女。彼女はキュウたちにも遠慮なく意見や文句を言っている。言っているのだけれど、それが妹のように可愛いと失礼ながら感じていた。だが、彼女は対人戦闘において主人に次ぐ実力者らしい。
すべての従者が集まったダイニングに、主人が姿を現す。
フォルティシモ。
数ヶ月前、奴隷として売られて商品でしかなかった少女の前に現れた人。
見とれるほどに綺麗な銀髪に、吸い込まれそうな金と銀の瞳。神話の中から現れたような整った外見。そして容姿など些細だと言わんばかりの力を持つ最強の主人。
昨日は、主人の腕に包まれて、とても良い匂いがした。それを思い出すと緊張してしまったけれど、それでもキュウは心からの笑顔を向けていた。
「おはよう。全員揃ってるようだな」




