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第百二十二話 従者の安堵

 月明かりに照らされた魔王と狐、二人の様子を見ていた人物が居る。


 エンシェント、リアルワールドでは一般的になった、その人物が死ぬまで補助するサポートAI。近衛翔のサポートAIであるエンシェントは、フォルティシモとキュウのやりとりを静かに見守っていた。


 エンシェントは上手く主とキュウが同室になるよう誘導できたことに、若干の疲労感と安堵にも近い満足感を覚えていた。


 キュウに初めて会い、キュウと主の出会いからこれまでの話を聞いた時から、主にとってキュウが特別であることを、たぶん主以上に理解した。


 近衛翔は独りだった。彼の立場からすれば祖父に見捨てられて、幼い頃に両親を失ってからずっと独りで、つうとエンシェントとセフェールの三つのAIだけが彼の友人で親で姉妹だった。


 ファーアースオンラインというVRMMOゲームを始めて、彼にとっての家族が増えた。金の亡者だが彼の苦手なものをすべて持っているダアト、職人気質で最も彼に似ているマグナ、いつでも雰囲気を明るくしてくれるムードメーカーのアルティマ、彼の家族想いを引き継いだ誰よりも優しいキャロル、ちょっと生意気だけど妹のようなリースロッテ。


 主が、異世界へ来たと理解し、従者―――家族が誰も居ないと知った時、彼は何を思ったのか、どれほどの孤独を感じたのか、再び家族を失うということにどれほどの衝撃を受けただろうか。


 その時に見つけた、家族そっくりの少女キュウ。


 失った大切なものを取り戻せたように感じたはずだ。二度と失わないように大切にしたはずだ。


 しかし、キュウとアルティマは性格が大分違う。その差異は、主に己の作成した従者ではなく、他人でありそして“他人からの信頼”を初めて感じさせてくれるものへ変化した。


 どこまで行こうともエンシェントたちは皆、主が創造した被造物だ。エンシェントたちは彼の一部だと言っても過言ではない。だからどれほど信頼し合おうとも、主にとってその信頼は当然のものになってしまう。


 それに対してキュウは、生まれも育ちも主とは違う他者。その差異を感じたタイミングがいつだったかは、さすがにキュウからの話だけでは分からないけれど、キュウの信頼を受け取った主は気付いただろう。


 ―――独りではなくなった、と。


 その事実に思い至った時のエンシェントは、仮に自分やセフェールを犠牲にしてでも、キュウだけは主の元へ無事に連れて帰ろうと誓ったのだ。フォルティシモにとって最も必要な人物はキュウであるから。




 エンシェントが寝る前に何か飲もうと考え、ダイニングルームにやって来ると先客が居た。


「物理的距離は精神的距離に比例する、私もそう思いますよぉ」

「寝る前だけど、エンはコーヒーで良いでしょ? もうすぐだから座ってて」


 ダイニングルームで待っていたのは、エンシェントと同じリアルワールドのAI、つうとセフェールだった。


 セフェールは椅子に座って湯気が立つマグカップで何かを飲んでいる。匂いからするとホットミルクだろう。つうはキッチンでドリップ式コーヒーを淹れてくれている。


 二人には事前に話を通してあり、昨日の内にわざと【拠点】の空間リソースを減らしたり、無駄遣いをしてもらった。尤もらしい理由を用意して、主とキュウを同じ部屋に押し込めるために。つうは料理の準備もしていただろうけれど、嫌な顔一つせずにエンシェントの計画に付き合ってくれたのだ。


「王城の厨房と比べると小さいですが、見たことのない調理器具が並んでいて、見ているだけでわくわくします」


 そして、主の新しい従者ラナリアが居た。今朝初めてこの家へやって来たというのに、まったく物怖じせずにセフェールと同じホットミルクを美味しそうに飲んでいた。


「このような場所へ来て、すぐに眠れるほど私も童心を忘れてはおりません。それに枕が変わると眠れないのです」

「そんな風にまったく見えないがな」

「すいません、冗談です。どうも、自分を偽る必要の無い相手との会話は苦手ですね」

「普通は逆だろう」

「誤解を恐れずに言えば、社会的人格を被らずに会話する機会の方が少ないと思いませんか?」

「まあぁ、ラナリアは大陸でも最強国家と名高いアクロシアの王女ですからねぇ」


 エンシェントはつうが入れてくれたコーヒーを口にしながら、ラナリアを観察する。


 正直に言えば、ラナリアはエンシェントたちの主であるフォルティシモに仕えるとは思えないほどに優秀な人物である。最初は主が騙されているのではないかと疑ったほどだ。


「キュウのこと、反対しなくても良かったのか?」

「勘違いをされているようですが、私はキュウさんのことも好きなんです。それにフォルティシモ様にはキュウさんが必要ですから」


 ここで好き嫌いや愛憎に加えて要不要で語るラナリアは、どこまで本気なのか判断が難しい。間違っていないからこそ余計にそう感じてしまう。


「これは重要なことなのですが、私はフォルティシモ様との間に子供を授かることは最初から宣言していますので、キュウさんも反対されないはずなのです」

「キュウは何も反対しなさそうに見えるが」

「いいえ、キュウさんはフォルティシモ様のことを本気で想っていますので、フォルティシモ様にとって害になると思えば、それこそ命を賭けてでも声をあげます」

「私もラナリアに同意しますねぇ。キュウは、ある意味では私たち以上にフォルさんしか見えていませんよぉ。ただぁ、何を言ってもフォルさんに言われたら頷いてしまいそうな頼りない感じですけどねぇ」


 セフェールの言葉に苦笑を含んだ弛緩した空気が流れる。


「それでラナリアは何か用か?」

「実を言うと、先ほどのは冗談だけではないのです。こうしているだけで、秘密の悪戯をしているようで楽しくありませんか?」

「分かりますよぉ。暗躍してる感じで楽しいですよねぇ」


 セフェールとラナリアがころころと笑っていた。セフェールの行動には裏表の激しい面があるので、暗躍というのもあながち的外れではない。


「冗談ではない用事は、少しでも皆さんとの距離を縮めたいと思っています。こうしてちょっとした時間をご一緒できたら良いな、と」


 エンシェントは少し考えて、ラナリアの提案に乗ることにした。


 今までのように仕様を解析して強化に最適な方法を探るだけでは、フォルティシモが掲げた目標を達成することができない。その目標を達成するのにラナリアの力は非常に有用だ。エンシェントとしても少しでもラナリアとの仲を深めておくべきだった。


「そうだな。私たちはお互いのことをほとんど知らない。せっかくだから身の上話に花を咲かせるか」

「是非」


 それらを見透かした笑顔でラナリアが応じていたため、エンシェントも理解したという苦笑を返しておいた。ラナリアがとても嬉しそうに顔を綻ばせていたことが印象的だった。


 こいつは強敵だと悟るまでにそう時間は掛からない。


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