第百二十話 フォルティシモとキュウの自室
キュウは主人の話を聞いて、すっかり固まってしまっていた。主人が異世界から来た人物であることは聞いていたけれど、実は更に別の世界で生まれていたなんて驚くなというほうが無理である。
だとしたら、主人は様々な世界を渡り歩く旅人なのだろうか。
> あははは、違うよ
声がした。あの日から何度か耳にした声音。
キュウは目を見開いて、周囲を見回す。そこには見慣れた主人やラナリア、主人の従者たちがいるだけで、他の人物の姿は見て取れない。
「今後の方針については分かったのだけれど、とりあえず目の前のことを片付けない?」
「目の前のこと?」
つうの質問に主人が首を傾けていた。
「フォルとキュウとラナリアはどこで寝るの?」
次いでキュウも首を傾けた。
「ああ、部屋の構想は昨日考えてある」
キュウも主人にどんな部屋が欲しいか聞かれたのを覚えている。あの時は上手く答えられず、主人から「理想の部屋を教えろ」と言われてしまった。
そこまで言われたらキュウだってちょっとは考えて、紙に理想の部屋を描いてみたりもした。だから主人に言われても、紙を取り出す準備はできている。贅沢に本棚が二つもある。
「だがラナリアは夕方までには王城に戻す約束だ」
「はい? 初耳ですよ、フォルティシモ様」
「エルディンとの戦争や公爵の反乱があった中で、王女が国を空けるのはまずいだろ」
「普通ならそうですが、この状況で何の成果もなく『浮遊大陸』から帰還すれば、私は無能の烙印を押されてしまいます」
「主殿! ラナリアはしばしの間ここに滞在しても問題ないように立ち回っていたゆえ、その心配はないはずなのじゃ」
キュウの感覚では主人と同じ意見で、アクロシア王国に大きな影響力を持つラナリアが国を空けるのは問題だと思う。けれどもアルティマが太鼓判を押してしまうと、そちらが正しいように思えた。
「アイテムやゴーレムは使えるが、ここには侍女とか居ないんだぞ。大丈夫か?」
「私が今更その程度を厭うと思われているのであれば心外ですよ、フォルティシモ様。それに今、フォルティシモ様の御側を離れると不安で胸が押し潰されてしまいそうです」
ラナリアが頬を膨らませた。緊張状態にあるらしいが、一方で興奮状態にもある、ラナリアが主人と話す時にはよくある心理状態だ。
「たしかに。何かに襲われた時、レベルが上がってないと抵抗もできない。早急にキュウとラナリアのレベルを上げるべきだな」
主人が顎に手を当てて思案する。ラナリアの心臓が激しく音を打つのを聞く限り、彼女は喜んでいた。
「主、先ほど言った方針はどうなった。信仰を集めるならば、ラナリアを主が連れ回すのはマイナスだぞ」
「第四で優先度の高い方針として、キュウとラナリアのレベル上げを加える」
「後出しか」
「すまん」
キュウにも言及されて、思わずラナリアのそれと同じように鼓動を強く打つ。
> 気を遣われると嬉しいよね
高鳴った心臓が一気に冷めた。キュウはもう一度周囲を見回した。キュウの知らない顔はどこにもない。
「とにかく、部屋だったな。俺の【拠点】なんだから、空間リソースはいくらでも余ってるだろ。どれだけ課金したと思ってる。それをいじれば三部屋どころか十だろうが二十だろうが作れる」
主人がいつもの情報ウィンドウを操る仕草をして、固まった。
「空間リソースの残量がゼロ? お前ら、八人しか居ないのに、何に使ってんだ」
「住める場所はここだけなんだぞ? 皆それぞれ場所を使っている。今から片付けても三部屋も空間を作るのは難しい」
「いや、別に、余りを好きにして良いとは思うが、百人以上のチームで使う空間リソースを八人で食い潰すのは………。いや、良いんだ。好きにして良いって言ったのは俺だ。良いんだがな」
主人に対して、エンシェントは酷く落ち着いたものだった。
元々、ホムンクルスという聞いたことのない種族であるエンシェントは、心音どころか身体中の器官を自在に操作できるらしく、キュウの耳でも彼女の心情を聞き取るのは難しい。
それでもエンシェントが落ち着きつつも、緊張していることは察せられた。
主人の持つ何かを従者たちが勝手に使っていたらしいので、咎められると思って緊張している。そう考えれば不思議はないけれど、この短時間で何これと主人に意見するエンシェントを見ていれば、そんなことで彼女が緊張するとは思えなかった。
とにかく分かることは、主人、キュウ、ラナリアの部屋を作るのが難しい状況にあるらしい。
「あの、私は納屋とかでも」
「こう尋ねるのも変な質問ですが、二部屋くらいは作れるのですか?」
キュウに被せるように、ラナリアが少し大きな声で発言した。
それに驚いたのは、つう、エンシェント、セフェールの三人。何故三人が驚いたのか、キュウには分からない。
「つう、どうだ?」
「そうね。二部屋くらいであれば、何とかなるかしら。みんなで片付けをして貰うことになるけど」
「そうであれば、フォルティシモ様とキュウさんを同じ部屋にして、私に一部屋使わせてください」
ラナリアの発言に驚いて彼女を見ると、彼女はまったく笑っておらずに別の方向を見つめていた。その方向は、つう、エンシェント、セフェールが座っている方向だ。
「な、なんでなのじゃー! ならば妾が主殿と同室を希望するのじゃ!」
「反対! 私の部屋は片付ければほとんど物もないし、二人になっても何も問題はない」
真っ先にアルティマとリースロッテが意見を物申す。キュウも意見をしなければならないだろう。
「そんな、ご主人様にご迷惑が掛かります」
「そこはラナリアとキュウが同室にするべきなんじゃないの?」
「ラナリアがここで寝泊まりするのは少ないんだしさ」
ダアト、マグナが追随して至極真っ当な疑問を投げ掛けた。
「本来であればそうなのですが、私は王女として過ごしてきたため、誰かと共に居ると安心して眠れないのです。また、環境適応を考えますと、希に私と同室になる状況よりも常に同室であるほうが慣れると思われます。そうであれば私は一人部屋として頂き、居ても居なくても他の皆様に、心理的なご迷惑を掛けない状況にしたいと考えた次第です」
ラナリアの発言は無茶苦茶だ。彼女がここまで論理破綻を起こしているのは初めてかも知れない。キュウでさえ反論できてしまうほどだ。
キュウは反論するべく言葉を紡ごうとした。
> 今は黙って
口が、開かない。全身に寒気が駆け巡る。
「確かにそうですねぇ。私たちは今までそうやって暮らしてきたわけですしぃ。それをできるだけ崩さないで続けるのはぁ、フォルさんとキュウが同室、ラナリアに一室が一番良い形ですかねぇ」
「何を言っておるのじゃ!?」
キュウが何も言えない内に、セフェールが肯定してアルティマが抗議する。
「そうね。フォルが三つ目の世界に来てからずっとキュウと一緒に過ごしていたって話だし。キュウもいきなり私たちと上手くやれって言われるよりも、フォルとのが話しやすいよね」
「つうが裏切った!?」
リースロッテが悲鳴を上げる。
「そうだな。主もそれで構わないだろう?」
「構うだろ。キュウだって、プライベートな空間が必要だ。ずっと俺と一緒で辛いこともあっただろう」
エンシェントと主人のやりとり。キュウはその主人に何よりも抗議したくなってしまった。キュウは主人と一緒にいて辛いなんて思ったことはない。
「だいたい、広さなんて他のリソースを持ってくれば」
「主はキュウと同室が嫌なのか?」
主人が驚いたのが分かる。これはキュウの耳を持たなくても誰でも分かるくらいの反応だった。
「キュウ、俺と一緒の部屋は嫌か?」
「え? い、いえ、ご主人様と一緒が嫌だなんて有り得ませんっ」
開かなかった口がようやく動いた。
「キュウは俺と同じ部屋を使う」
「待つのじゃ!」
話が進んだことにアルティマが待ったを掛ける。尻尾の毛を逆立てて今にも飛び掛かって来そうだ。
「アル、キュウの能力は、私たちでは察知できない敵を察知できる。主の防衛のためにもキュウが共にするのが最善だ」
「………それもそうじゃな」
エンシェントの指摘を受けてアルティマが静かに座った。何だかんだ言っても感情よりも理性を優先しているように見える行動だ。
「キュウの能力?」
「リースも座るが良いのじゃ。主殿のことを考えるのであれば、キュウが同室となり主殿を守るのが最善なのじゃ」
「アルがなにをいっているのかわからない」
強硬な反対派だと思っていたアルティマが賛成に回ったことで、リースロッテを始めとした他の従者たちからも意見が出ることがなくなった。
「あ、あの、ご主人様」
キュウは、主人に問い掛けていた。部屋の話だけではなく、ここまで聞こえる謎の声を話したいのに、それが口から出て来ない。
「まあ、俺たちにとっては今までの延長だ」
主人は優しく笑っていた。その主人に、キュウの身に起こっていることを伝えられないもどかしさを感じる。
「はい………」
> 良かったね。これで一緒の部屋で寝起きできるよ
良かった。本当に、そうだろうか。それはキュウではなく、この声の主にとって、都合が良いだけなのではないだろうか。
いやそれは言い訳だ。
そう、あの日感じた気持ち。キュウの本当は―――。




