第百十一話 深淵の声
キュウは謎の青い渦に入れと言われて、セフェールに手を引かれながら入ったら、そこは見慣れたアクロシアの関所を出てすぐの平原だった。
「エンシェントさんの素晴らしいスキルを褒め称えたいのですが、空に浮かぶあれを見ていると、何と称えて良いのか分からなくなってきますね」
そんなラナリアの感想にこくこくと首を縦に振っていると、主人が何かのスキルを発動した。主人の魔力が平原全体を覆い尽くすと、ベッヘム公爵軍はその動きを止める。その後は主人の一方的な戦いだ。
主人の従者たちも後ろに控えてみているだけで、誰も手を出そうとしない。それほどまでの実力差がある。
ああ、本当に。
キュウは役立たずだ。
何もできずただ付いているだけ。主人が言っていた【近衛】だって、アルティマが戻った今、キュウが目指す必要もない。レベルを上げて強くなると言ったって、この人たちのように主人に頼って貰える未来がどうしても見えて来ない。
気持ちがどんどん暗くなっていく。
「うあ、ああああああぁぁぁぁぁぁーーー!」
突然の叫び声を聞いて、キュウは俯いていた顔を上げた。
主人と戦っていた―――いや主人に手も足も出なかったマウロが、両手で頭を押さえて叫んでいる。状況から主人が攻撃した訳ではない。
ポトリと何かが地面に落ちた。それはマウロの目玉で、一緒になって両目からダラダラと血を流している。マウロの頭がひしゃげて、何か巨大な力で叩かれて歪んでしまったかのように変形した。肩や肘も有り得ない方向に曲がっている。
「あ、あああ、ああああああ」
「主、どうなってる?」
「し、知るか! こいつ、リザインを押したら、突然っ」
「やるか!? やって良いのか!? 妾が吹き飛ばすか!?」
「きっも」
「まるでぇ、飛び降り自殺した遺体みたいになってますねぇ」
糸の切れたマリオネットのようにダラリと脱力したマウロは、勢い良く顔を上げた。
> ******がログインしました
「え?」
その声は、主人が最果ての黄金竜と戦おうとした時に聞こえて、幻聴だと思っていたものと同じだった。
> あは、あははははは!
「あは、あははははは!」
マウロは大声で笑い出した。目玉を失った瞳が、主人を見据える。
> さぁ、魔王様、第二ラウンドだ。従者たちには大人しくして貰おうかな
「さぁ、魔王様、第二ラウンドだ。従者たちには大人しくして貰おうかな」
キュウの気のせいだろうが、マウロの声に女の子の声が重なって聞こえる。いや逆だろうか。女の子の声が少しだけ先に聞こえる気がする。
マウロがそう言うと、彼に殺されたはずのヒヌマイトトンボたちがふらりと立ち上がった。彼らはセフェールの使った【蘇生】で蘇ったのとは、明らかに様子が違う。
「エン! もしもの場合は全員を撤退させろ! セフェ、殿はお前だ!」
「もしもなど無いのじゃ!」
「当然」
「注意した方がよさそーです。こいつらなんかおかしーです」
主人とマウロ、従者たちとヒヌマイトトンボたちが戦闘を始めた。
キュウはラナリアと共にセフェールの背後に隠れている。
先ほどまでマウロが一方的に主人に攻撃して跳ね返される光景だったにも関わらず、今のマウロは主人と武器を打ち合っていた。
ただ主人や主人の従者たちに苦戦しているという雰囲気はない。相手の攻撃はほとんど回避しているし、何度かに一度受けても主人たちは傷を負った様子はない。
何と言うのが適切か。主人たちは戸惑っている、と言うのが最も近い。
「セフェールさん、フォルティシモ様たちは、どうして彼らを倒してしまわないのですか!?」
キュウの横で一緒に守られているラナリアが疑問を呈した。セフェールは一瞬も戦場から目を離さずに答える。彼女は【蘇生】さえ可能な治癒の使い手なので、誰かが傷付こうものならすぐに回復させるつもりなのだろう。
「九人のプレイヤーは、HPがゼロになったのに動いてるんですよぉ。簡単に言えばぁ、死体が動いているんですよぉ」
「死体が動く? そんなことが?」
「システム上有り得ないとしたら、これが権能の力ってことになりますがぁ」
キュウは何の役にも立てない自分を否定したくて、せめて何か一つでも役に立ったと証明したいと叫んでいた。
「ログインって言うスキルです!」
一瞬だが、主人を含めた全員の注意がキュウに集まった。
そう“全員”だ。
マウロとヒヌマイトトンボたちの死体も、唐突に動きを止めてキュウに注意を向けていた。
「間違いありません! さっき聞こえました! ログインしたって!」
「………はいぃ?」
戦場の全員に気を配っていたはずのセフェールまで、キュウを振り返る。
「ログイン? キュウさん、どのようなスキルなのかご存知なのですか?」
「い、いえ、そこまでは。でも、それを使ったって」
> 何を、聞いただって?
それは女の子の声だった。
一言で表せば、それだけだったのだけれど、キュウの全身が強烈な戦慄に襲われる。すべての毛が逆立ち、血の気が引き、油断すれば吐いてしまいそうだった。
ほんの少し声を向けられただけ。
それにも関わらず、キュウは触れてはならないものに触れたのだと理解した。いや、理解させられた。ここではないどこかで、世界を視ている“それ”の言葉。本来なら届くはずのない声を聞いてしまったから、繋がった。
深淵を覗き込む時、深淵もまたこちらを覗いている。
キュウは深淵を覗き込んだ―――否、深淵を聴いてしまったのだ。
「キュウ、顔が真っ青ですよぉ」
「セフェ! キュウを今すぐ【拠点】へ連れて帰って、つうと一緒に看病しろ!」
> 驚いた。うん、驚いたよ。私の声を、自分から聞いてくるなんてね
声音は楽しそうなのに、聞いているだけで全身の怖気が止まらず、耳を塞ぎたくなる。それなのに耳を反らせない。
> だから私の声を聞いた君に、ご褒美をあげよう
これは聞いてはならないものだ。
だけど。
> 君の願いを叶えてあげる
マウロたちが再び動き出した。主人たちが戦闘を再開するが、マウロたちは腕が千切れようと身体を塵にされようと、何事もなかったかのように元へ戻ってしまった。
> あれは権能で死を超越している。だから普通の方法じゃあ倒せない。このままじゃあ、君の大切な人が大変だよ。何とかしなきゃ。君が役に立つところを見せよう。大丈夫。今の君には力がある。さあ、剣を抜こう
キュウは言葉に操られたように、主人に貰った剣を引き抜いた。剣を持ったまま、ふらふらと歩き出す。身体が自分のものではないような気がする。
キュウの足は誰も居ない虚空へ向けて剣を構える。
> そこだよ。振れ
キュウは全力で剣を振った。
「ごおおぉっ!?」
キュウが剣を振るった先には、あのマウロという少年がいた。キュウの剣はマウロの脳天に直撃していて、マウロの頭から飛び出す脳みそと血液が地面を染め上げていた。そして誰が見ても、キュウの一撃によってマウロが絶命しているのが見て取れる。
少年の脳天を斬った感触がキュウの剣に伝わる。大量の出血が、キュウの耳、顔、身体、主人が気に入ってくれた尻尾に掛かった。せっかく主人に買って貰った衣服が汚れてしまったと、他人事のように思った。頭の半分をかち割られ、窪んだ瞳がキュウを睨み付けたように感じる。
キュウは少年の脳天に突き刺さったままの剣を手放して後退りした。人を斬った感触も、浴びた血の温かさも、少年がキュウを凝視した空洞も、人が死の間際に出した音も、キュウは一生忘れられないだろう。
いや忘れられない理由はまだある。少年だったものは、魔物が消える時と同じように光の粒子になったのだ。光はキュウの身体に纏わり付こうとする。腕や尻尾を振り回して光を払おうとしたが、効果はなかった。
> クラス【神殺し】を獲得しました
深淵の声は別れを告げる。
> それじゃあね。今度は会いに行くよ




