第百一話 魔王on黄金竜
アクロシア貴族だと言うプレイヤー、ヒヌマイトトンボと出会ったフォルティシモは、アクロシアが警戒するべき場所だと認識した。両手槍の男がアクロシアを制圧するために何年も掛けていたこともあるし、出生も明らかで無いヒヌマイトトンボが貴族になるには普通でない手段を用いただろうし、それを許容する土壌がアクロシアの地にあったのだ。
フォルティシモにあるのはアクロシアという国の権力中枢において、信じられそうなのはラナリアとシャルロットという二人だけということだ。そんな状態でアクロシアにキュウの捜索に協力を要請するなどできない。
黙らせなければならない。アクロシアを。
そしてキュウの無事を確認するためならば、誰がどうなろうと知ったことではない。
そう思った時、フォルティシモは情報ウィンドウのフレンドリストを表示した。
そこに表示されている名前―――最果ての黄金竜をタップして、音声チャットを開始する。
「おい、最果ての黄金竜、聞こえるか?」
『汝、フォルティシモか。何用か?』
「『浮遊大陸』に入りたい。協力してくれ」
『浮遊大陸』を守る攻撃が光速で回避不能と言っても、プレイヤーを遙かに上回る莫大なHPを持つ黄金竜を盾にすれば、突破できるかもしれない。
『聞き覚えの無い場所だ』
「いいから俺を手伝え」
『………対価は?』
最果ての黄金竜の物言いは、以前にフォルティシモが迷わず対価を要求した腹いせかも知れない。
「“到達者”との戦いに備えて戦力アップできる」
『それは汝の都合だ』
図体が異常に大きい癖に器が小さいなと思いつつ、今は最果ての黄金竜と言い合っている場合ではない。
「なら何が欲しいんだ? 竜だから金銀財宝か? 上手く行ったらそれなりの報酬を支払うぞ」
フォルティシモの【拠点】に戻れさえすれば、倉庫にいくらでも金銀財宝が眠っているので約束は果たせるはずだ。
『それは悪くはないが、時を遡る計りを献上せよ。汝との戦いで消費した物だ』
「時を遡る計り? ………刻限の懐中時計か」
刻限の懐中時計。HPがゼロになった瞬間に完全回復して蘇生するデスペナ回避用の課金アイテム。フォルティシモが異世界最果ての黄金竜と戦った時、使われて苛立ったのを覚えている。【拠点】へ戻れば倉庫に大量に保管してあるし、一個や二個くらい無くなっても困らない。しかしまた使われるのかと思うと、頷いて良いものなのか迷う。
『時を遡る計りがいかに貴重かは理解している。しかし汝の都合に付き合うのだ。汝が持っていることも分かっている』
「分かった。だが、成功報酬だ。だから絶対に成功させるぞ」
『良かろう。どこへ行けば良い?』
◇
巨大な黄金竜の姿が地平線の先から現れる。人が多く住む場所だと黄金竜が現れただけで大騒ぎになると思ったので、待ち合わせたのは周囲に街の無いダンジョンだ。
ファーアースオンラインというゲームでは誰が来ようと何があろうとモンスターの出現と襲撃が止むことはないけれど、黄金竜がその威容を現してからモンスターたちは活動をやめて逃げ出すか動かなくなっていた。
圧倒的な力によってモンスターまで威圧する黄金竜を、少しだけ羨ましく思う。最強のフォルティシモが現れただけでモンスターが活動を止めないものだろうか。
「遅かったな」
『乗るが良い』
「ああ」
黄金竜ほどまで大きいと、騎乗モンスターというよりは一つの島だ。
フォルティシモは遠慮なく頭の上に乗った。
『汝………何故頭に乗る。鬱陶しいぞ』
超巨体の生物に乗る時は、頭に乗るものだと勝手に思っていたが、黄金竜が嫌がっているようなので首の付け根辺りへ移動する。それを確認した黄金竜は、『浮遊大陸』を包む積乱雲へ向けて飛び立った。
黄金竜は天烏と違ってプレイヤーが騎乗することが前提になっていないが、フォルティシモは何とか振り落とされずに進めていた。巨体が風を切る轟音と、吹き荒れる風は嵐のようだ。地上がソニックブームによってなぎ払われるのには目を瞑る。
「在った。あれだ」
黄金竜は山のように大きい。しかし、大陸一つを包み込んでいる積乱雲の大きさはそれを遙かに越えている。
『なんだあれは?』
「いいから、あれに近付いてくれ。あの中に大切な用事がある」
『自分で行けば良かろう。何故我を呼んだのだ』
最果ての黄金竜が文句を言いながらも積乱雲へ近付いて行く。
光。
『浮遊大陸』の防衛機構が発動し、二発の光線が最果ての黄金竜を貫いた。
「GAAAaaaa!」
最果ての黄金竜のHPがガクンと減少する。
最果ての黄金竜の顎が光る。【頂きより降り注ぐ天光】最果ての黄金竜の最強攻撃ブレスが、積乱雲へ向けて発射された。巨大な光条が一直線に空を切り裂く。しかし、そのブレスは積乱雲の灰色の雲を散らすことができず、雲に着弾した瞬間に四方に散り散りになってしまった。
「て、てめぇ、ふざけんな! 俺はあの中に用があるっつたろ! 地形が変わるようなブレスを撃つな!」
『その小さき眼は節穴か!? 向こうが仕掛けて来たのだぞ!』
「そういう仕様なんだよ! いいからお前は俺の盾になれ!」
『ふざけるな! 何故汝の―――』
「誇り高き竜神は、約束を破るのか?」
『くっ。良かろう! 汝をあの傍まで届ければ良いのだな! その程度、我の力を以てすれば容易いことだ!』
「ああ。それで良い。バフと回復はありったけ使ってやる。頼むぞ」
フォルティシモはインベントリから、必要になりそうなアイテムを取り出して準備を整える。
『行くぞ』
「ああ、“征”くぞ」
黄金竜の六枚の翼から、ジェット噴射のような光が発せられる。黄金竜の巨体でこれだけの速度を持つことだけでも、フォルティシモの元の世界の物理法則に照らし合わせれば、信じられない量のエネルギーを発散していることになる。
吹き荒れる風は激しく、腕で顔を庇いながら情報ウィンドウを確認。詳しい数値までは分からないけれども、積乱雲からの光の攻撃を受けて減少するHPを見れば、おおよその黄金竜のHPが推測できる。
「予測はしてたが、こいつのHPは五千億以上か」
積乱雲からの攻撃を受けても、黄金竜が怯むことはない。わずか数発でフォルティシモのHP十億ポイントの半分を削り取ったとしても、五千億という尋常ではないHPを持つ黄金竜からすれば大したことではない。
積乱雲にかなり近付いたかと思うと、光線ではなく雷の嵐が最果ての黄金竜へ襲い掛かった。最果ての黄金竜のHPが信じられない勢いで減る。
「GYAAAaaaーーー!」
最果ての黄金竜の悲鳴だろう。
「いいから進め!」
フォルティシモは巨体のターゲットに戸惑いながら【治癒】スキルを使い、最果ての黄金竜の背中を叩いた。
やがて視界が積乱雲に埋め尽くされる。ここまで近づいた経験はない。
あと数秒で、先ほどの黄金竜のブレスが弾かれた位置に到達する。
『ぐっ、約束はここまでだ! 我は右へ旋回する。汝は!?』
「突っ込む」
『では健闘するが良い!』
黄金竜の翼が動く瞬間を狙い、脚に力を込め、黄金竜の背中を蹴って積乱雲へ向かって飛び出す。
「飛翔・突破!」
【飛翔】を全力で発動させて雲の中へ飛び込んだ。
雲の中は光が遮られていて薄暗い。加えて雷と雨が吹き荒れている。
何かがフォルティシモの身体を通る感覚がある。フォルティシモを拒絶するのではなく、むしろ歓迎しているような何かへ、わずかに気を取られる。まるで今フォルティシモが存在している場所が、祖父と出会った場所と同じような、元の世界でもこの異世界でもないような―――。
その感覚を振り払って真っ直ぐ進み続ける。
警戒していた光の攻撃が、積乱雲内部では無かったのは幸いだ。
やがて、周囲が明るくなってきた。
雲を抜けた先。
そこには空中に浮遊する大陸があった。
大きな山脈に湖、緑の平原、衛星のように浮島が二つ。あれだけ荒れていた雲の中にあるというのに、快晴の日の光に照らされて明るい。上空から地上を見渡すこともできる。
ゲームではフィールドが切り替われば途端に雪が降ろうが火山帯になろうが気にならなかったが、積乱雲に守られた大陸が中からは何もないように周囲が見渡せるのはどうかと思う。
『浮遊大陸』。
フォルティシモは探していた場所を見る。
その中央からやや東よりの一画。緑と花と石の楽園と言われる美しい情景を持つフィールド。
そこに一つだけある屋敷といくつかの建物。
システム上のフォルティシモの【拠点】。
確認した瞬間、ファンファーレのような通知音が鳴ったので、フォルティシモは異世界に来てから聞くことのなかった音に驚き、慌てて情報ウィンドウを表示した。
そのログにはこう書かれている。
> 領域『浮遊大陸』の権利を獲得しました
> 権能【領域制御】を獲得しました
思わず目をこすって、ゲシュタルト崩壊を起こしそうになるまで、ログに表示された文字を頭の中で反芻した。ファーアースオンラインのすべてを手にしたと言って過言ではないフォルティシモでも、見たことも聞いたこともない文字列。
それなのに情報を集めなくても、使ってみなくても、詳しい使い方や何ができるのかが分かる。フォルティシモは知らないはずなのに、“知っている”のだ。神戯の敗北者であるエルディンの御神木との会話で感じた違和感を、今になって理解できる。
今、フォルティシモはこの『浮遊大陸』内のすべてを自由に制御できる。天候や温度、大陸の移動ルートや移動速度はもちろん、出現モンスターや生息する動物や植物に至るまで、すべてをだ。そのすべての中には、積乱雲の制御も含まれていた。
「はは、はははははは! こういう力は、危機に瀕した時とか、もっとすごい困難を乗り越えた時に手に入れるもんじゃねぇのかよっ!」
ついに見つけた新しい一歩に、嬉しさが込み上げて来て、思わず叫びだしていた。この理不尽さが、紛れもなくゲームではなく現実だと教えてくれる。
「………落ち着けフォルティシモ」
今の馬鹿笑いは最強のフォルティシモにあるまじきものだ。周囲を見回して、誰にも見られていないことに安堵して、フォルティシモは『浮遊大陸』の【拠点】へと向かって飛んで行く。