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第五章:あぶらげこわい

 細い石段を降りきった亮介は、再び炎天下にさらされることになった。くらりとめまいがする。めまいがして――気がつく。


「……腹減ったな」


 思えば昼食のタイミングを完全に逃していた。変なことに巻き込まれたせいで忘れていたが、朝食を食べてからなにも食べていないし、流石に空腹だ。

 参道の石段を下りながら、コンビニに行くか、と心を決める。自転車を停めてあったところに戻り、最寄りのコンビニを目指す。空腹を思い出した途端、胃がからっぽだと悲鳴を上げ、きりきりと痛む。滴る汗がなんとなくこれまでより冷たいように感じながら、自転車を走らせる。

 たどりついたコンビニの店内は冷房がよく効いていて、いっそ寒いくらいだった。


「――っらっしゃーせー」

 店員の適当な挨拶を聞き流し、飲み物の棚へ直行、炭酸飲料を選ぶ。そこからレジへ向かう通路の途中でおにぎりを2個手にとり、レジへ向かう。


「……3点で、372円になりまーす」

 財布を取り出し、金を払おうとして、ふと、気がつく。

「……あ、やっぱ、ちょっと待って下さい」


 困惑する店員を尻目に、亮介はレジを離れて陳列棚へ戻る。幸い他に客がいなかったので、急いでペットボトルのお茶とおにぎり2個をとり、レジへ。


「これも一緒にお願いします」

「はーい」


 値段が倍に増えた買い物を終え、亮介は店を出た。

「ありがとうございました――」

 店員の声を聞きながら、うだるような暑さに顔をしかめ、それから自転車の前かごにビニール袋を放り込む。そして、少しだけ急いで、自転車を発進させた。




 芙美子は社の階段に腰掛けていた。尻尾は、幸いにして座る邪魔にはならなかった。今も芙美子の背中で、ゆらゆらと気ままに揺れている。汗をかいたので帽子を脱ぐと、2つの耳がぴょこんと立ち上がる。

 ぱたぱたと帽子で顔を扇ぎながら、木々が時折ざわめくのを聞く。


「……お腹すいた」

 昼食の時間はとっくに過ぎていた。だが、そうかといってこの姿では買い物に行くことも家に帰ることもできない。

 亮介に頼んだ油揚げじゃなくてもいいから、とりあえずなにか食べたかった。いや、油揚げでもいいな。間を取って、いなり寿司とか、食べたいかも――。


 そんなことを考えていると、石段の方から足音が聞こえた。どちらの耳で感じ取ったのかは分からないが、足音だと認識した瞬間、頭の上の二つの耳が、ぴくりと震えてそちらに向いた。

 誰か上がってくる。今の姿を他人に見られるのは、困る。亮介は今しがた立ち去ったばかりだし、きっと他人だ。


 ――とにかく隠れないと。


 芙美子は慌てて社の中に入った。扉を片方閉め、そっと様子を伺う。そしてここに隠れていると、もし見つかった時に逃げ場がないことに気づく。

 しかし逃げ込んでしまったものはしょうがない。その時はその時――まずは見つからないことを祈るしかない。

 石段を登り終わったようだ、足音の感じが変わる。ざく、ざく、という足音は、だんだん社に近づいてきて、トン、トン、と階段を登り、そして――


「なにしてんだ、お前」

 開いたままの扉の方から、亮介が顔を出した。

「亮介……なんだ、びっくりさせないでよ……」


 一気に緊張が解ける。ふう、と息を吐くと同時に、ぐぅ、とお腹が鳴った。

「あ……」

 恥ずかしさで顔が火照る。下を向いていると、亮介がずい、と何かを差し出した。

「ハラ減ってんだろ。俺もだ」



 おにぎり2つは、はらぺこの男子高校生にとってはおやつも同然であり、あっという間に亮介は自分の分を平らげた。

 ふたつ目のおにぎりにとりかかったところの芙美子を横目で見ながら、炭酸飲料を流し込む。


「……ありがとね、亮介」

「別に……俺も腹減ってたから」


 顔をそらした亮介だが、視界の端に見慣れないものを見かけた気がして、視線を戻す。

 おにぎりに一瞬意識を向けていた芙美子は、亮介がこちらをまじまじと見ていることに気がついた。


「な、何?」

「いや、ちょっと……」


 亮介は芙美子から視線を離そうとしない。


「ちょっと、……どうしたの。なんかついてる?」

「いや、ついてるというか、これは……」


 ずい、と身を乗り出す亮介に、芙美子は思わず身体を後方に引く。

「ちょ、ちょっと。近い、近いって」

 すると亮介は、あろうことか両肩をがっしりと掴んできた。思っていたより強いその力に、身がすくむ。


「ちょっと……」

「……ひげ」

「……へ?」


「ひげ生えてる。……その、狐みたいなやつが」

「え、……と、とにかく、近いよ亮介……」

「……あ」


 亮介はまるで意識していなかった様子で、ぱっと両手を離し、身体を引く。そして炭酸飲料を一息で飲み干し、立ち上がる。そしてそっぽを向いたままで、

「……悪い」

 と一言だけ言った。


「……別にいいけど」

 赤くなった顔が早く戻らないかな、と思いながら、芙美子も答える。

「それで……ひげ、って……」


 芙美子が顔に触れてみると、確かに左右数本ずつ、ぴんと伸びたひげが生えているようだ。

「本当だ……ひげはちょっと……困るなあ……」

「いや、耳も尻尾も困るだろ」

「そうだけど。そうじゃなくってさ」


 乙女心というやつを亮介が理解してくれるとは、芙美子もはじめから期待していない。

「それより、次は何が来るか心配したほうがいいんじゃないか」

「次……?」

「だんだん増えてってるじゃん、狐化というか、狐のパーツというか」


 言われてみればそうである。耳、尻尾ときて、ひげだ。

「……私、このまま狐になっちゃうのかな」

「……さあ」

「さあじゃなくてさ……せめて否定してよ」

「だって俺にもわかんねえし……とにかく、油揚げ買ってくるわ、今度こそ」


 口には出さなかったが、亮介は急いだほうがいいと思っていた。耳が生えてから尻尾が生えるまでと、それからひげが生えるまでであきらかに時間間隔が短くなっている。放っておいて、本当に狐になってしまったりしたら……。

 考えただけで恐ろしい。


「……お願い」

 芙美子はしゅんとしていた。亮介と同じことを考えていたが、芙美子自身には今ではどうすることもできない。

「じゃあ俺、行ってくる。……なんかあったら、電話するから」


 芙美子は無言だった。亮介は暫くの間、顔を伏せたままの彼女を見ていたが、反応がないので歩き始めた。

 やがて石段を降りる音だけが、芙美子に聞こえた。それも聞こえなくなって、芙美子は一人残された。

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