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第三章:きつねみみ

 隣の家まで、部屋を出てから1分もかからない。

 呼び鈴を押すと、芙美子の声で「開いてる。鍵かけてね」と返事があった。

 亮介と芙美子の家は、構造はほとんど同じだ。ドアを開け、後ろ手に鍵をかけて上がり込む。玄関に靴は一足、通学に使いそうなローファーだけがあった。


「――お邪魔します」

 一応声をかけ、まっすぐに芙美子の部屋へ。

 この部屋にやってくるのも、何年ぶりだろうか。そんなことを考えながら、扉をノックする。

 間もなく、扉は内側から開かれた。


「どうぞ」

「お邪魔します」


 少しよそよそしく挨拶をして、亮介は芙美子に招き入れられた。

 芙美子は自室だというのに、制服を着ていた。そして、頭にはなぜかキャスケット帽。

 亮介が部屋にはいると扉を閉め、芙美子はベッドに腰掛けた。亮介は勉強机の椅子に勝手に座ることにした。ベッドには携帯電話が転がっていて、芙美子はそれを無意識にか意識的にか、上から握りしめた。

 しばし、無言。

 先に口を開いたのは、芙美子だった。


「ごめんね、呼び出したりして」

 その声は平静を装っていたが、若干上ずっている。


「別にいいけど……」

「電話も……」

「別にいいって。俺の電話より、クラスの奴らから連絡あっただろ?」

「うん……でも、ちょっと事情があって……私が言い出したことなのに、みんなに迷惑かけちゃって、ごめん」

「そういうのは俺じゃなくて他の奴らに言えよ。俺は別に、ただ居ただけだから」

「うん……」


 再び、沈黙が降りる。

「……んで、どうしたんだよ」

 今度は亮介が口火を切った。


「様子見てこいって言われたんだ。あと、夏祭り来るかどうか聞いてこいって。6時に神社だってさ」

「夏祭り、ね……ちょっと、無理かも」

「無理?」

「そう。……ちょっとその、事情が」

「事情ってなんだよ、……ああ、言いたかねえなら聞かないけど」

「うん……」


 芙美子は一瞬、迷った。それから思い切ったように、帽子に手をかけ、一気にそれを脱いだ。

「こういう事情が、あって」

「……なに、それ」


 亮介は芙美子を指差し尋ねた。厳密には、彼女の頭上を指差して。

「……私もわかんない」

 そこには立派な一対の耳が――それも動物の耳が生えていた。金色の毛に覆われ、時折ぴくりと動くそれは、紛れも無く獣の耳。


「本物……? てかお前、耳は……?」

「耳ならこっちにも付いてるよ」

 そう言って芙美子は自分の顔の横の、人間の耳に触れる。


「……朝起きたら、これが頭の上にあって……ちょっとどうしていいかわからなかったの」

「そう言われても……俺もどうしていいかわからないぞ、今」

「だよね」

 そういって芙美子は笑った。諦めが混じった笑いだった。


「触ってみる? ふかふかだよ」

「い、いや、いい」

「いいからいいから、ほら」


 ずい、と芙美子が頭を近づける。

 恐る恐る、亮介が手を伸ばし、耳に触れる。


「――んっ」


 触れた瞬間、耳がぴくりと動く。芙美子の言う通り、ふかふかだ。そして少し、温かい。本当に動物の耳なのだろうか。

 恐る恐るだった亮介の手が、ふかふかの毛並みに負けてそれを撫で始める。


「ひゃっ……!」

「あ、わ、悪い……」

 慌てて手を引っ込めると、芙美子が顔を上げる。その顔はほのかに赤い。


「……感覚、あるんだ、それ」

「……うん」

「……どうするの、それ」

「私が聞きたいよ」


 先程までより一層気まずい沈黙が降りる。

「……それ、何の耳なんだろう」

「……わかんない……あ、いや、でも……」

 芙美子が考えこむような仕草を見せる。そして目線を上げ、


「……きつね」

 と、ぽつりと言った。


「狐?」

「狐じゃないかな、と思う」

「……まあ確かに、色合いとか見ても狐っぽくはあるけど。なんで、狐ってわかるんだ?」

「……ちょっと、昨日ね。神社に行ったの」

「神社って、小学校の裏山の?」

「ううん、その上。もう少し上ったところに、ちっちゃい神社があるの。今はもう使われてないところだけど」

「へえ……でも、なんでまたそんなところに」

「ちょっとね、いろいろ。で、そこってどうやらお稲荷様らしいのね」

「へえ……でもそれ、なんか関係あるのか?」

「わかんないけど……お供え忘れたから、祟られた、とか?」

「そんなバカな」

「私もそう思う……けど、こんなの普通の現象じゃないから……」

「……それはそうだけどさ。じゃあなにか、お供え物持ってまた神社に行くか?」

「……他に思い当たるところがないから、とりあえずそこに行ってみるしかない気がする。……じゃあ、支度するね」

「ああ」


 返事をし、部屋の外に出て、亮介は初めて、おやっと思った。いつの間にか、亮介も一緒にいくことになっているようだ。

 芙美子はすぐに部屋から出てきた。帽子をかぶって、耳は隠されている。


「おまたせ」

「……ああ。じゃあ、行くか」


 まあいいか。どうせすることもないし、芙美子を放っておくわけにもいくまい。

 芙美子の家を出て、彼女が鍵を掛けている間に亮介は自宅から自転車を押してきた。芙美子は家の前で待っているかと思っていたのだが、亮介の予想に反して彼女はずんずんと小学校の方へ歩き始めていた。

 自転車と徒歩だから、すぐに追いつく。


 ――でも歩いて行くつもりかよ、こいつ……。


 小学校までの道のりは歩いて15分程度。昔は毎日歩いていたとはいえ、自転車通学に慣れた亮介は自然と自転車を使うものだと思っていた。それにこの炎天下、歩いて行くのは少々つらい。


「――おい」

「なに?」

 自転車を押したまま、近づいて声をかけると、芙美子はすぐに振り返った。膝丈より長いスカートが揺れる。


「自転車で行こう。後ろ、乗れよ」

 芙美子は少し迷ったようだったが、「うん」と答えると亮介の後ろに回りこんだ。亮介が自転車にまたがるのを待って、荷台に座る。そして亮介の脇腹あたりを左右から挟むように持った。


「……落ちるなよ、そんな掴まり方で」

「うん」


 よっ、と声をかけながら発進する。しかし、荷台にもう一人載せている状態ではバランスが取りづらい。自転車が大きくよろめく。


「おっと」

「きゃっ……」

「あ、悪い。掴まるならちゃんと掴まれって」


 亮介の言葉に、芙美子は観念して亮介の腰に手を回した。密着しないように気をつけながら。

 再び走りだした自転車は、神社を目指して走っていく。

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