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第二章:夏休み、教室。

 夏は、暑い。8月の半ばは、朝でも暑い。

 男子の夏服はワイシャツにスラックスと、非常に軽装だ。しかしそれでも、夏は暑い。

 1年3組の教室では、暑さにうんざりした高校生たちがだらだらとただ時間を過ごしていた。椅子や机に腰掛けるものも、壁に寄りかかっている者もいる。だいたい教室の周縁にいるのは男子生徒で、中心部には女子生徒が何人か、輪になっている。


「なあー、委員長来ねえのかよ」

 壁に寄りかかっていた男子生徒が一人、待ちかねて声を上げた。


「わかんないよぅ」

「メール送ったけど返事ないし、電話してもでないし……」


 中心部の女子生徒がそれに応える。

 そんなやり取りを聞き流しながら、乾亮介はスマートフォンを操作していた。椅子に逆向きに座ってアゴを背もたれに乗せたまま、右手は忙しく画面上を飛び回っている。


「おっ、亮介そのダンジョンやってんだ。どう? 俺まだやってないんだよね」

「だいたいネットでは攻略法決まってきたみたいだから、試してるところ」


 言いながら、後ろから覗き込む友人に見やすいように画面を傾ける。


「もう攻略法見つかってんの? 昨日実装されたばっかりじゃん」

「うん、早いよな。……よっと、どうだ」


 画面上の派手な演出を見て、友人がおおー、すげえと声を上げる。


「亮介もそれがすぐできるの、すげえよな」

「俺は木場みたいに部活やってないからさ、暇なんだよ」

「なるほどね……ってまあ、その部活の朝練終わって来てみたら、まだ始まってねえんじゃん。どうしたんだ?」

「さあ……委員長が来ないから始めらんないんじゃない?」


 亮介が視線を向けた中心部では、女子生徒がスマートフォンを耳に当てながら「……繋がんない」「えーマジ?」とやっている。

 1年3組の生徒たちが夏休みにもかかわらず教室に集合――全員ではないが――しているのは、文化祭の準備をするためだった。10月に開かれる文化祭の準備は、だいたいどのクラスもこの時期から始める。1年3組はどんな出し物をするかがまだ決まっていないという点で、わずかに他のクラスに遅れを取っていた。


「一応もう一回メール送ってみるけど……」

「ってか、LINEじゃないんだ」

「うん、委員長ガラケーだから……」


 そんなやり取りを尻目に、

「……どうすんだ」

「さあ……」

 と、亮介はスマートフォンの操作を続ける。


(いぬい)ー、たしかお前委員長と家近かったよな。何か知らねえの?」

 急に水を向けられ、亮介は「えっ」と声を出すことしかできなかった。右手が意図と異なる動きをし、流れるように続いていた操作が途絶える。


「ああ……いや、近いったってそんな、もう最近はあんまり関わりもないし、知らないよ」

「えー」

「でも心配だなあ……委員長、なんかあったんじゃ……」

「とりあえず今日どうすんの? このまま待っててもしょうがなくね?」


 暗に帰ろうと言う男子生徒に、女子生徒たちも同意する。

「うん……今日何するかとか、委員長しか知らなかったから、どうしようもないよね……」


 だらだらしていた生徒たちが、帰ろうかという雰囲気に染まっていく。


「帰ろうぜ、もう。今日は夕方にみんなで夏祭り行くじゃん、委員長の家の方だから誘えば来るだろ? 急ぎのことがあったらそこで少し相談すればいいって」

 その一言を契機に、三々五々、生徒が解散していく。


「――あ、乾くん」

 帰りがけ、椅子を元に戻していた亮介に、中心部で委員長に電話をかけていた女子生徒が声をかけた。


「何?」

「委員長やっぱり心配だし、夏祭り誘おうと思うし、よかったら様子見てきてくれない? ついでに乾くんから誘っといてよ」

「え、俺が……?」

「家近いんでしょ? いいじゃん、だって乾くんも夏祭り来るでしょ?」

「……俺は行くけど。でもあいつが来るかわかんねえし」

「まま、そう言わずに。よろしくね」


 そう言い残して立ち去る女子生徒。見送る亮介の肩を木場が叩く。

「大変だな、亮介」

「本当だよ、ったく……」


 言いながら、亮介はスマートフォンを見遣り、ため息を吐いた。GAME OVERの表示が踊るその画面を消し、亮介はスマートフォンをポケットにねじ込んだ。




 亮介の家は、高校のとなり町にある。自転車で30分ほどの帰路を駆け抜け、まっすぐに帰宅する。8月の半ばの昼前は、当然暑い。似たような戸建て住宅が並ぶ地区に入り、自宅前に自転車を停める。


「ただいま」


 家には誰もいなかった。夏休みとはいえ平日の昼間だ、両親は仕事に出ている。妹も部活動で中学校に行っているのだろう。

 二階の自室で荷物をおろし、部屋のエアコンを起動。涼しい風を受けながら、再びスマートフォンを取り出す。SNSの類はほとんどやっていない亮介は、いつもどおりゲームアプリを起動しようとして、そこで指が止まった。脳裏をよぎるのは、クラスメイトの女子の言葉。

 

 ――なにが、よかったら様子見てきてくれない、だ。


 面倒くさい、という気持ちと、なんで俺が、という気持ちが渦巻く。亮介と委員長――草加芙美子とは、たしかに幼なじみだ。家が隣同士で、小中高とずっと同じ学校に通っている。しかし、仲が良かったのはせいぜい中学生までで、今となってはクラスの委員長といち生徒。一緒に帰ることも、遊びに行くこともない。それ以前に、顔を合わせて話をすることすら稀だ。それはクラスメイトたちも知っているはずだし、亮介と芙美子が話している場面なんて殆ど無かったはずだ。

 だが頼まれてしまった以上、それを果たさないのもなんとなく後ろめたいような気分になる。


 悩んだ挙句、亮介はスマートフォンを再び操作した。そして耳に押し当てる。電話をかけるだけかけて、芙美子が出なかったらそれまでだ。

 コール音を12回まで数えたところで、通話終了ボタンを押す。

 そしてやはりなにもしないのが正解だったな、と思いながらゲームを起動しようとしたところで、亮介は隣家の窓際に人影があることに気がついた。顔を上げると、携帯電話を持った芙美子と目が合う。


 芙美子の反応は素早かった。即座にカーテンが閉められ、人影も見えなくなる。

 しかし、芙美子は家にいるということが、これではっきりしてしまった。そして、おそらくはわざと、電話に出なかったということが、亮介には想像された。


 家にいたのに電話には出ず、学校にも来なかった。芙美子は自分で決めたクラスの集まりを忘れるような人間ではないことを、亮介はよく知っている。なにかしらの理由があるのだろうと思い、亮介はこの件について考えるのをやめることにした。今更ゲームを起動するのも馬鹿らしくなってスマートフォンをベッドに放り、自身もベッドに横たわる。


 夕方には地域の夏祭りがある。小学校の裏手の山にある神社で行われるのだが、この地域では一番大きい夏祭りのため、高校のクラスメートたちもやってくるらしい。亮介も参加すると返事をした。何時にどこに行けばいいのかとか、そういうのは何も知らされていない。高校生の集まりなんてそんなものだ。

 ぶぶ、とスマートフォンが振動した。開くと、LINEでメッセージが来ている。クラスの8割が入っているグループに、リーダー格の女子生徒が投稿したのだ。残りの2割には、芙美子も含まれている。

 メッセージには、6時に神社の参道の入口付近に集まるようにと書かれていた。なるほど、と思った次の瞬間、同じ生徒が新たにメッセージを投稿した。


 ――いぬいくん、委員長に伝えてくれた? この連絡もお願いしまーす


 末尾に絵文字が添えられたそのメッセージは、亮介に宛てられたものだった。ここで返事をしないと、あとでなにか言われるかもしれない。素早く「了解」とだけ打って送信すると同時に、クラスメートたちの反応が投稿されはじめ、女子生徒のメッセージも亮介の反応も押し流されていく。

 メッセージを受信してはぶるぶると振動し続けるスマートフォンが、一瞬違う震え方をした。メールだ。

 メールマガジンか迷惑メールの類かと思って無視しかけたが、差出人の名前を見た亮介はそれを開くことにした。短文メールなのにきちんと末尾に署名がされたそのメールに、亮介はとうとう嘆息した。


 ――今、うちに来れる?

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