その3
暗く鬱蒼と草木が茂る森は、夜になると途端に魔物の数が激増する。人間達の負の感情をエネルギーにし、魔石に寄生した魔物はみるみる形を形成しその醜い姿を露わにしていく。
そんな魔物達が彷徨く森の中を小さな懐中電灯の明かりを頼りに進むガウに、少し遠慮がちに声が掛けられた。
「なあ、ガウ。お前、学校でいじめられてるのか?」
びくりっと肩を震わせて、ゆっくりと後ろを歩く人物へと振り返ると心配げにガウを見つめる青い瞳とかち合った。
「あー……えっとですねー……」
今現在、ガウは夜の見回りの真っ最中でそれなりに神経を研ぎ澄まさなければならない状況なのだが、今夜のパートナーはヤンとは違ってそういうことには全く無関心で我が道を行くタイプである。
「……って、いうか、どうして知ってるんですか?」
一体どこから聞きつけたのかと、ガウはもしかしたら隊長達の耳にも入っているのではないかと勘繰り顔の色を失くした。
「ああ、ヤンの様子がおかしかったから、聞き出した」
聞き出したという言葉に、ガウは反射的に身体を震わせてしまう。
それには訳があるのだが……。
「何だよ、ヤンには話せても、俺には話せないのかよ」
少々不機嫌に言い放たれた言葉に、ガウは思いっきり首を振った。
「いえ、そういう訳では……」
ヤンは偶々学校からの電話を受けただけで、ガウ自身から直接話した訳ではない。そして今現在も詳しい事は何一つとして話してはいない。
「で、あれからどうなったんだ?」
『あれから』ということは少なからず事情を知っているということで、一体どこからどこまでを知っているのかとガウはつい身構えてしまう。
「どうと言われましても……特には……」
「ふ~ん」
暗闇の森の中、しんっと沈黙が落ちる。元より沈黙の中にあったのだが、それとはまた違った凍えるような沈黙だ。
「殺しちゃえば良いのに」
ぞくりっとガウの背筋に悪寒が走る。
殺気が本気を表していて、ガウは必死に弁解を始めた。
「いえいえ、そんな! 別にいじめられてる訳じゃなくてですね、勘違いされちゃってるだけなんですよ! 僕が第一部隊の隊員だって判れば、全て解決するんで、本当、大丈夫ですから!」
「ふ~ん」
まだ完全ではないものの殺気を引っ込めた事に、何とか納得してくれたみたいだとガウは兎に角ホッとした。
この本日の夜回りのパートナーであるデレクは、"ド"が付く程のサディストで敵に回したらそれはそれは面倒な相手である。
今の所一番の『敵』である魔物も、デレクに掛かれば可哀想なほど残忍で容赦のない殺し方をされてしまう。それはガウが初めてデレクとパートナーを組んで魔物退治をした時、余りの凄惨さに恐怖に震えが止まらず、挙句、苦しみもがき死んでゆく魔物達が夢にまで出てきた程である。
勿論今でもその手法は当時から全く変わっていない訳で……ガウとしては正直、一緒に見回りに行きたくないと内心では思っていたりする。
そしてヤンからこの話しを聞き出す際もそのドSっぷりを発揮したのだろうと、ついつい想像してしまう。木に吊るしたり張り付けにしたり、挙句、火で炙ったり……。
ぞっと背筋を震わせ恐ろしい想像を追い出そうと頭を振ったガウは、デレクに引き攣った笑顔を見せ、学校関係者を血祭りに上げられないよう努力しようと心に固く誓った。
「だったら、さっさとバラせばいいのに」
「はあ……まあ、そうなんですが……。今更そんな事を言っても信じてもらえませんし……」
非国民として既に認識されてしまったガウの立場では、今更そんな事を言おうものならば益々酷い事態に陥る事は目に見えていた。
「確かにな……。じゃあさ、緊急呼び出ししてやろうか?」
「は?」
「だから、緊急呼び出し! 前にあっただろ? 魔物がえらい数で襲撃してきた時に、街で晩飯の買い出ししてた時、ビービー携帯が鳴ってさ、あん時は、何事! って思ったけどな」
「ああ、ありましたね、そんな事」
「そう、それ、やってやろうか?」
「いえいえ、本当、結構ですから!」
学校に通っている時間帯は当たり前だが昼間な訳で、どう考えても昼日中から魔物の襲撃があるなどとおかしな話になってしまう。
それでも何度か昼間でもレベルの高い魔物が襲って来たことも確かにあった。だからといって、来てもいない魔物をでっち上げて自分の為に嘘を吐かせるのはやはり心苦しい。
「何だよ、ノリ悪りな。大丈夫だって、訓練だって事にすれば問題ないだろう?」
「えー」
確かに名案なのだろう。
実際、訓練は予告なしに行われる事も多い。
ガウが学校に通っている時間帯に魔物の襲撃があった場合やはり呼び出される事にはなる訳で、一度はちゃんと訓練をして連携を取っておく必要もあるのだろうと真面目なガウは考えた。だがそれには勿論入念な準備というものが必要で、今ここで適当に決められる事ではない。
「まあ嫌なら仕方ないけどよ」
「はい。まあ、いつか本当に訓練はあるかもしれませんので、その時はちゃんとやりますけどね」
「そうか? お前が大丈夫って言うんなら、あんま俺も口出ししないけどさ、何かあったら直ぐに言えよ! 俺が何とかしてやる」
つり目を柔らかく細め不敵な笑みを零したデレクは、頼もしい言葉をガウに投げかける。
「……ありがとうございます……」
何とかって何だろう?とガウは思わず良からぬ想像をしてしまい、血の気が失せてしまう。それでも一度懐に入ってしまえば随分と大事にしてくれることを知ってしまったガウは、本当は心根は優しいのだろうと心底心配してくれるデレクに笑顔をみせた。
だがデレクの左手にある、今日収集したばかりの瓶に詰められた魔物の目玉達を視界に収めてしまい、少々引き攣った笑いになってしまった。『あれ、持って帰ってどうするんだろう?』つい疑問が口をついて出そうになるのをぐっと堪え、ガウは本来の目的である見回りに専念することにした。
■ ■ ■ ■ ■
朝日が降り注ぎ、今日も良い天気だと思わず鼻歌を歌いだしたくなるような陽気に、ガウは大きな溜息を零した。
日々真面目に一生懸命生きているガウに、苦難に満ち溢れた学校生活が今日も幕を開ける。
ガウが教室へ一歩足を踏み入れた瞬間、今まで賑やかだったその空間はしんと静まり返り、重い空気が支配した。やがてひそひそとガウに視線を向けながら話し出したかと思うと、聞こえるように陰口が叩かれ始める。
教室の廊下側にあるガウの席の周りには誰も近付こうとはせず、後の席は随分と離れた位置に置かれていた。
そんな陰湿な『いじめ』をすっかり無視して自分の席へと腰を下ろしたガウは、それでも思わず小さな溜め息を零してしまう。
「嫌だね~、陰険で」
「本当、馬鹿みたいに皆同じ行動しちゃってさ」
俯きがちになっていたガウは、自分に向けられたであろう聞き覚えのある声達にばっと顔を上げ、無意識に強張ってしまっていた身体から力を抜いた。
「あ、おはよう、ルナ、グレン」
いつの間に来ていたのか前と横の席に座っていたルナとグレンに遠慮がちに挨拶をすると「ん」「おはよう」といつもの短い返事を返され、ガウの心にじんわりとした温かいものが溢れてきた。
グレンはガウにとってルナと同じく数少ない友人の一人で、何かとガウを気にかけてくれていた。
そんなグレンの深い蒼の瞳を遠慮がちに覗き込み、ガウは小さく言葉を零す。
「あの……さ、僕と話しなんてしてたら、二人まで非国民扱いされちゃうよ……」
実際、はっきりと非国民を否定したガウに追い討ちをかけたのはルナなのだが、愚痴を言っていたのは本当のことなので仕方がない。そんな諦めの境地で心配げに二人を見やり、少し小さめの声でそう諭せばちらりとガウの方へ目線を投げ、グレンはその小ぶりな鼻をふんっ鳴らしてみせた。
「非国民ねえ……。俺はガウの言ってる事は正しいと思ってるし、正直周りの奴らの頭の方がおかしんじゃないかって思ってるよ。実際、軍人の給料は高過ぎるし、第二部隊の入隊制度にも疑問を抱いている。もしこういった感情を持つ事自体が非国民だと言うのなら、間違いなく俺も非国民なんだろうよ」
堂々と遠慮なくそんな事を言い放つグレンに、ガウは目を白黒させてしまう。
「グレン……でも……」
慌てて否定しようとしたガウは、皆の反応を窺い一人わたわたとしてしまう。クラス中がグレンの言葉を聞いていたのだろう再びしんと静まり返った教室は、先程よりも重い空気を纏い、陰湿なものになる。
だが、誰もグレンを責めたりはしなかった。
いや、出来ないのだ。
グレンは所謂『貴族』である。
通常、貴族というのはこんな田舎の庶民学校には通わないものなのだが、グレンは自ら進んでこの学校を選び入学した。 それはひとえに社会勉強を兼ねての事で、グレンの両親も納得してのことだった。
グレンの父親は軍隊の総締め的な役割を担う、元師の称号を与えられている一人だ。『英雄』の称号を与えられた第一部隊よりも格は上である。だが世間一般には知られていないが、事実上、元師よりも第一部隊の方がこの国において権力や発言権を持っていた。
そんなグレンの身の上を知らない者はこの学校にはおらず、軍が権力を持ち始めた今、誰もグレンに『非国民』だと罵る事が出来ないでいた。
「ガウ、俺は本当に悲しいよ。こんなろくでもない奴らの為に、第一部隊が身体を張って頑張っているかと思うとね」
その言葉はまさしくガウに向けられるべき言葉なのだろうが、ガウが第一部隊の隊員だと知らないグレンにはただ本心を友人に打ち明けた程度にしか思っていなかった。
それでもガウには、十分過ぎるほどにその言葉が心に大きく響いた。
「グレン……」
ありがとう、とついお礼を言ってしまいそうになるのをぐっと堪え、ガウは笑顔をみせ「僕もそう思うよ」と言葉を続けた。
貴族故か品のある顔立ちに笑顔を乗せガウに返せば、ガウの心は穏やかに晴れていった。
それでもつい俯きがちになってしまうのはやはり、元師の息子だという事実があり軍の関係者に当たるグレンに少々複雑な思いも抱いていたからなのだろう。
そんなガウを心配そうに見つめるグレンは、明るい茶色の髪を軽くかき上げ息を吐き出した。
「全くだな」
そこへ一つ、声が割って入って来た。
ルードである。
先日の暴行事件からすっかり有名になってしまったルードは、まだ少し殴られた痕が顔に残っていた。それでも魔力が強いせいか治りは常人よりも遥かに早く、その端正な顔立ちに残る傷跡が逆にルードの男らしさを引き立てているようにも見えた。
そんなルードの後ろには相変わらず女子共が群がっているが、それをすっかり無視してルードはガウをちらりと見やり、そして視線をクラスメート達へ戻した。
ルードの一言でしんと静まり返った教室は、困惑に揺れていた。ルードは第二部隊の小隊長の息子で『非国民』の意見に賛同するなど考えられないからだ。現に昨日、ガウを擁護しようとして行動を起こしたが、非国民だと確信を得た際には呆れ返って早々にその場を立ち去っていたのだから。
だがそんなルードが今はグレンに賛同し、非国民を認めるような態度を取っているのだ。クラスメート達はルードの意図が掴めず、ただ沈黙していた。
そんな中、わざと大きめの声でルードが話し始める。
「知っているといると思うが、第一部隊の隊員の一人に、俺達と同じ高校生がいる。日々魔物を退治し、この国の為、民の為に命を張っている。それなのに、お前達はどうだ? 同じ高校生だというのに、こんな次元の低いいじめをして、恥ずかしくないのか?」
然程強い口調で言われた訳ではないのだが、自分の事を言われたガウは余りにも突然のルードの発言にびくりと肩を震わせた。
それを横目で確認したルードは、小さく口角を押し上げた。
「なっ! だからこそだろ! だから俺達が非国民を見つけて懲らしめてるんじゃないか!」
クラスメートの一人がルードの意見に異を唱え、声を上げた。それに続き次々と反論する言葉が続く。
「そうだそうだ! 俺達がそうやって危険因子を潰して、国に貢献してんだろうが!」
「俺達だって、魔物は倒せないけど、反軍事派を追い出す事は出来る!」
「反軍事派を懲らしめて何が悪いんだ!」
やいのやいのと騒ぐ連中にほとほと呆れたのか、大きな溜息を吐いたルードはガウとグレンの席の近くまで足を進め立ち止まった。
「馬鹿どもに付き合うのは、本当に疲れるな……」
「今更だろう?」
やけに息の合うルードとグレンに、ガウは数少ない自分の友人を取られてしまったようで少し寂しい気持ちが込み上げる。
結局頭の良い者同士解り合える何かがあるのだろうと、ちょっと違う方向に納得し、自分の不甲斐無さに項垂れた。
そんな二人の会話を聞き逃さなかったクラスの連中から、また怒りが噴出する。だがグレンを味方につけられては言いたい事も言えないのか、徐々に声が小さくなり始めた。
「っていうかさ、第一部隊の隊員に高校生がいるっていう話は、本当なの?」
今まで黙っていたルナの唐突な問い掛けに、また教室中が静かになった。
そして、ガウもまたびくりと肩を震わせる。
「確かに、それって『噂』ってだけで、真実じゃないわよね」
「でもこれだけ言われてるんだから、本当なんじゃないの?」
「その割には名前も年齢も出て来ないよな?」
「そうそう、他の隊員達はそれなりに名前とか公開されてるのにな」
「未成年だからっていう理由で公開しないってのは解るけど、余り表に出て来ないってのは、やっぱりただの噂なんじゃないのか?」
疑心暗鬼にひそひそと話し始めたクラスメートに、ルードが衝撃の告白をする。
それは勿論、ガウにとっても大きな衝撃を与えた。
「昨日、親父に確認した。何でも、半年くらい前に、西の森への遠征中に魔物に襲われてしまってな。そこで助けてくれたのがその高校生だったと言っていた。背が高くて茶色の髪と目をしていて、とても礼儀正しい少年だったと言っていたよ」
さらりと告げられた噂の真実に、クラス中が浮足たった。
「ええええーーーー!」
「それで、他には?」
「何か話しとかしたの?」
「もっと詳しく聞かせてよ!」
「ルードはその人と会った事あるの?」
急にテンションの上がったクラスメート達は、ルードに詰め寄りもっと詳しい話を聞かせろと騒ぎ出す。
その様子を見ていたグレンは、やれやれとミーハーな連中に溜息を零すばかりだった。そんなグレンとは違い焦ったように落ち着きのないガウは、その日の事を脳裏に浮かべ鮮明に思い出していた。