表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/14

その11

 都会的な建物の立ち並ぶ王都の中心に、パーティー会場である『水鏡』がある。貴族御用達のその会場は三階建てで横に広く、その名に相応しく、人工的に造られた少し小さめの湖を取り囲むように建てられている。夜には綺麗にライトアップされ幻想的な雰囲気を醸し出すその場所は、庶民では到底縁のない所だ。

 

そんな夢のような空間に、全く相応しくない声が上がる。


「副隊長! やばいですよ! これって、もしかして……」

「落ち着け、ガウ」


 車を降りて直ぐ、焦ったようにアーロンの腕を掴みガウが激しくうろたえる。

 それを強い目線で制し声を落としたアーロンは、次いで先程車のドアを開けてくれた係の者に目を向ける。いきなり声を荒げたガウに驚いているのだろう、表情がみるみる強張っていく。

「ガウ、こっちへ」

 ガウの手を引き、建物の陰になる所まで連れて行くとそのまま奥へと足を進めた。

「副隊長、こんな事をしている場合じゃないですよ! 早く何とかしないと!」

「ああ、解っている。だがその前に、お前はもう少し落ち着け」

「なっ!」

 アーロンの言いように、ガウは驚きを隠せない。それ程までに事態は最悪だというのに、意見を聞いてもくれないのかとガウの中で激しい葛藤が湧き上がる。

 そんなガウをすっかり無視して、ずんずんとかなり奥へと入って行く。人の気配を感じない所まで来ると、アーロンが足を止めガウを振り返った。

「良いか、ガウ。俺達は第一部隊の隊員だという事を忘れるな。俺達の言動が、一般の人間に不安を与えてしまう事だってあるんだ」

 第一部隊の副隊長であるアーロンは、既に知らない者がいない程にこの国では有名だった。一挙一動を誰かしらに見られているという自覚のあるアーロンにとって、ガウの行動は余りにも浅はかであり、配慮に欠けるものだった。確かにガウの事は世間一般には公表されてはいない。それでもアーロンの隣にいるという事実がガウの言葉に責任という重いものが圧し掛かるのだということを言い聞かせたかった。

「それはそうですけど、でも……」

 何となく納得のいかないガウは、つい口を尖らせてしまう。それでも確かにあれは拙かったと、ガウは直ぐに反省する。

「すみません……副隊長……浅はかでした」

 少し肩を落とし項垂れたガウに、アーロンは一つ頷いてみせた。


「それで、副隊長……どうしますか?」

「ああ、そうだな。その前に、大事な話しがある」

「はい……」

 神妙な面持ちで、アーロンがガウへと視線を合わせた。それに僅かに緊張し、無意識の内に背筋を伸ばす。

「ずっと言おうかどうか考えていたんだが……その、二人の時は『お兄様』と、呼んではくれないだろうか」

「……………は?」

 今、一体何の話をしていたのかと、ガウは一人瞑想した。そして瞬時に答えが出る。それと同時に、酷く脱力した。

「あの、今はそんな話しをしている場合ではないかと思うのですが……」

「なっ! そんな話しとはなんだ! とても大事なことだ! これは俺の、これからのやる気に関わる事だしな!」

 強く拳を握り力説するアーロンに、少しばかり遠い目をしたガウだったが、ここでやる気を失くされても困ると取り敢えず不本意ではあるが口に出してみることにした。

「はいはい。お兄様」

「うわ~、何だその投げやりな言い方は! 心が籠ってない!」

 げんなりとした表情でアーロンを見据え、ガウが小さく溜息を吐く。これは満足のいく結果が得られなければ、この繰り返しになるのだろうとうんざりする。

「……お兄様……」

 特に感情も込めず至って普通に発した言葉だったが、アーロンにとってはこの上ないほどの衝撃だったのだろう。顔を真っ赤にし、歓喜に打ち震えているアーロンの姿に流石のガウも恥ずかしくなってきてしまう程だ。

「もう、良いでしょう、これくらいで勘弁して下さい。それより、今はこの魔物の気配です!」

「……ああ……そうだな……」

 余韻に浸っているのか少しばかりうっとりとして胸を押さえているアーロンに、ガウはまたまた遠い目をしてしまう。それでも、こほんと一つ咳払いをすると漸くいつものアーロンが戻って来た。


「確かに魔物の気配ではあるが、瘴気が余り感じられない」

「でも、邪気は感じますよ!」

 冷静に話しをするアーロンとは対照的に、ガウは焦ったように反論する。『中』に魔物の気配がしている今、悠長な事は言っていられない。直ぐにでも行動を起こしたいと思っているガウとしては、何故こんなにものんびりと構えているのかとアーロンの行動に疑問を抱かずにはいられなかった。

「恐らくは……魔物に魂を取られた人間が、この近くにいるのかもしれないな」

 魂を取られたのか自ら差し出したのかは解らなかったが、どちらにしても人間が魔に堕ちたのは明らかだとアーロンは表情を険しくさせた。

「それでも、魔物のように人を襲うんですよね?」

「ああ、喰ったりはしないが、理性を失い、凶暴化して暴れるのが常だからな」

「だったら!」

 なかなか引かないガウに、アーロンは珍しいなと思いながらもガウの説得に当たる。

「まあ、待てガウ。おかしいとは思わないか? こんなに近くに気配を感じているというのに、何か問題が起こっているようにはまるで見えない。静かなものだ」

「でも!」

 切羽詰まったような表情で、妙に焦っているガウにアーロンは諭すように言葉を紡ぐ。

「良いから、ガウ、落ち着きなさい。これは罠かもしれない」

「は? 罠?」

 何の為に、何が目的で? とガウは焦った頭に疑問符を浮かべた。それでもアーロンの口調は相変わらずゆっくりとしていてとても落ち着いている事に、少しずつガウの急いていた心が穏やかになっていく。

「俺達、第一部隊を誘き寄せて、その間にこの会場に来ている人間を襲うとか。もしくは、本当に俺達が狙いなのかもしれないな」

 魔物の気配を感じ取れるのは、第一部隊の隊員以外にはいない。それを知っての行動だとしたら誘き寄せて何かを仕出かすのが目的なのだろうとアーロンは考えた。

「どちらにしても、結局は排除しなければいけなんですよね。だったら、今から行っても良いと思うんですけど……」

 先程よりも柔らかい口調でガウが言えば、安心したようにアーロンが言葉を継げた。

「それには及ばない。ガウも知っていると思うが、魔物に魂を取られた人間は、瘴気が余りない。ただ単に凶暴化しているだけで、普通の兵でも容易に倒せるんだ。わざわざ俺達が出向く必要もないし、俺達が始末する必要もない」

「それは、確かにそうですけど……」

 そもそも第一部隊の仕事は『森』と『外』にいる魔物の退治だ。また、そこから『中』に入ってしまった魔物に関してのみ、退治をするのも仕事の一つである。第一部隊はたったの十人しかいない。他の部隊でも出来る事を、わざわざ第一部隊が遣る必要はないという事だ。

「さあ、ガウ。そろそろ会場の中に入った方が良い」

「……はい」

 ガウの腕を掴み会場の入り口へと足を向けたアーロンは、未だ心配そうに俯いているガウへと声を掛ける。

「何、心配はいらない。最悪、こちらで何とかすれば良いだけの事だ。何かあったら、直ぐに行動すれば良い」

 小さく頷いたガウはまだ納得が出来ないのか、その足取りは重い。

 それでも納得してもらわなくてはならないと、アーロンは強引に足を進めた。

 実際、『中』で人間が魂を取られるという事例はとても少ない。その為まだ第一部隊に入って二年しか経っていないガウは知らないのだろうと、アーロンは苦渋に満ちた表情をした。

 魔物に魂を取られた者のその姿は、人間のままなのだという事を。そして、その人間の姿をした魔物を退治しなければならいという事を。

 出来ればガウの目の前に、その魔物達が現れないで欲しいと心から願うアーロンだった。

 



 会場の入り口へと戻り、仕切り直しだと云わんばかりにアーロンがスーツを正す。ガウもそれにならいすっと背筋を伸ばした。先程までの魔物論議はどこへやら、ガウは途端に緊張が高まりぎくしゃくと手足を動かし入口へと歩みを進めた。

 開け放たれた扉を潜り建物の中へと入るとそこはまるで別世界のようで、ガウはぽかんと口を開けてしまう。

 入口を入って直ぐのロビーは三階まで吹き抜けの造りになっていて、その中央に大きなシャンデリアが吊るされている。下から見上げたガウは、足を進める度にきらきらと光輝くその様子にただ呆然と見惚れていた。アーロンの後に続き暫く奥へと歩いて行くと、ガウは歩き辛さを感じてつい顔を顰めてしまっていた。その原因が何なのか、足元へ視線をやったガウは直ぐに理解する。床には毛足の長い高級そうな絨毯が敷いてあり、足音一つ聞こえない。そんな絨毯にいちいち足を取られていたらしいガウは、高級な物はどうしてこうも面倒なのかと心の中でそっと呟いた。


 

 アーロンと暫し論議をしていたせいか、既に着飾った人々がそのロビーへと随分と集まっていた。


「お待ちしておりました、ガルデイス様」

 黒いスーツに身を包んだ年配の男性がアーロンに向かって腰を折る。そんな光景を幾つもそこここで確認できる事から、この男性はパティーの主催者が用意したフロア係の者だと容易に理解が出来るのだが、緊張からか少し興奮気味だったガウには残念ながらその答えには至らなかった。

 結果ガウは、不慣れな場所というのも相まって思わず一緒になってお辞儀をしてしまっていた。

 それに驚いたように目を瞠ったフロア係は、困ったようにアーロンへと目を向ける。その視線を受けて、アーロンは少し小さめの声でガウを窘めた。

「ガウ、ここでは俺達はお客様だ。もっと堂々としていなさい」

 緊張しきりのガウは、ここで漸く自分の失態に気がついた。がばっと身体を起こし、羞恥で顔を真っ赤にさせた。

「す、すみません」

 これは義兄であるアーロンの顔にも泥を塗る行為で、ガウの表情がみるみる青褪める。


「どうぞこちらへ」

 そんなガウを気にも留めず、フロア係が丁寧に先導するとガウは居た堪れない気持ちでいっぱいになる。今のを誰かに見られたのではないかと、周囲をきょろきょろと見回した。そんなガウと視線を合わせないようにとさっと視線を逸らす人がちらほらいたのだが、幸いなことにガウはそれに気がつかなかった。

 ほっと胸を撫で下ろし、アーロンの後ろをついて歩くとやがて大きな扉の前で足を止めた。

「本日の会場はこちらとなっております。ごゆっくりお楽しみ下さい」

 フロア係が深々と腰を折ると、それが合図だったのか扉の前に居た二人の扉係が両開きの扉をゆっくりと押し開けた。

 

 一気に華やいだ会場の雰囲気が廊下へと流れ込んで来た。


「わあ……」

 思わず声が漏れるほどに、そこは煌びやかで、何もかもが鮮明で美しかった。

 ホールと呼べるほどの広い空間は、ロビーと同じく三階まで吹き抜けになっており、二階部分まである大きな窓は様々な色でライトアップされた外の湖を一望出来る。また湖の周りにも幾つかテーブルが置かれていて、幻想的な雰囲気を堪能するには十分な空間を作り出していた。

 広い会場には沢山の料理がテーブルに並べられ、食べるのが勿体無いと思う程の手の込んだものばかりでガウの心もわくわくと弾んだ。

 相変わらずきょろきょろと辺りを見回し落ち着かない様子のガウは、ふと泳がせた視線の先に同じ第一部隊の隊員を見つけ顔を輝かせた。

「あ、副隊長! ほら、ホレスさんです! ホレスさんがいますよ!」

 指を差し、大きな声を上げたガウにアーロンは少しばかり苦笑いを浮かべた。そんなアーロンにはお構いなしにガウはホレスへと一直線に走って行く。

 やれやれと息を吐き出し、その後をアーロンがゆっくりと追った。


 人集りが出来ているその中心にホレスの姿があるのだが、なかなか近付けない事にガウはどうしたものかと輪の中に入れずまごまごしていた。それを見兼ねたアーロンが、ガウに追いつき声を掛ける。

「ホレスは第一部隊の広報的役割をしているからな。毎回パーティーではこんな感じだ」

「そうなんですか!」

 パーティーなど参加した事のなかったガウは、ホレスの新たな一面を見れた事に感激していた。だが何故こんなにも囲まれているのかという疑問が頭を掠める。それでも、ガウの興味は違う方向へと向いていた。

「あの隣にいる女の人って、ホレスさんの恋人なんですか?」

「ああ、あれは金で雇っているらしい。ホレスは大柄だからな。普通の女性じゃ、見栄えが悪いらしい」

 アーロンの言葉に、ガウは首を傾げた。確かにホレスは身体が大きい。実際、第一部隊の中でも一番大きいのだ。背だけでなく、鍛え上げられた肉体は服の上からでも判る程で、まさに美丈夫といった感じだ。そんな大男の横に置くには、これまた大柄な女性でなければ見栄えがしないというのは解るが、わざわざ雇うという感覚が理解出来なかった。

「雇わなくても、恋人を連れてくれば良いんじゃないですか?」

 ホレスは既に中年の域に達してはいるが、見目は良い方だった。茶色い短髪で鼻筋の通った男らしい顔つきは、派手ではないが人目を引く。第一部隊は余り美形がいないせいもあって余計にそう感じていたガウは、ホレスは結構モテるという認識を持っていた為ついそんな疑問を抱く。

「まあ、面倒な事が嫌いだからな。金で雇うくらいのが丁度良いんだろうよ」

「はあ……そういうものなんですかね……」



結局のところ、この人集りでは声も掛けられないとガウは肩を落とした。だがそこはお互い長身同士。ホレスもガウとアーロンに気付き、向こうから人集りを縫って声を掛けて来た。

「よう、お二人さん。こんな所で会うなんて珍しいな」

 いつも通り気さくに話しかけてくるホレスに、ガウは満面の笑みを向けアーロンは少しばかり苦笑いをする。

 ホレスの隣にいる女性がまじまじとガウとアーロンを観察し、営業用に張り付けていた笑みを本物の笑みに変える。

「どうだ、ガウ、食ってるか? 食堂の飯と違ってここの料理は美味いだろう?」

「いえ、食事はまだ……でも、こんなに綺麗に盛り付けてあるのを食べるのは、勿体無いですね」

 がしりと肩を組まれ、ガウはこんな所でも相変わらずの『挨拶』をしてくるホレスに緊張が吹き飛んでしまう。そんなガウでも貴族ばかりが集まるこの場所で、ホレスのような言葉遣いでは拙いのではないかとハラハラしてしまっていた。だがそこは広報担当だけあって、変わり身はとても早く直ぐに紳士に戻ったホレスにガウは兎に角感心してしまっていた。


「何だか、ホレスさんじゃないみたいです……」

「そうだな。普段とは大違いだ。正直、本当に貴族に見えてしまうんだからな。大したものだ」

「第一部隊にいるより、役者になった方が良いかもしれませんね」

「流石にそれは困るがな……」

 二人で暢気に笑い合い、ホレスへと顔を向ける。普段見せないやたらと気取ったホレスをまじまじと見つめ、ガウは小声で「調子に乗ってますね」とアーロンへと耳打ちした。


 そんな和やかな雰囲気をぶち壊すかのように、突然、甲高い声が割って入って来た。


「お久しぶりですね、ガルデイス卿」


 振り返るとそこには、綺麗に着飾った女性が一人立っていた。だがその纏う雰囲気は実に棘々しい。

「これはこれは、オーモンド卿。ご無沙汰しております」

 お互いに視線を合わせ、ばちりと火花が散ったように思えたのは、気のせいではないだろう。

 一瞬でその場の空気が固まる程に、二人の険悪な雰囲気がピリピリと伝わって来る。ひそひそと陰口を叩く者まで出て来て、ガウは兎に角戸惑った。

「ガウ、あれが副隊長の婚約者、フィリス嬢だ」

 いつの間にかガウの直ぐ後ろまでやっていきていたホレスが、ガウに小さく耳打ちする。睨み合う二人を間近に捉え、うひーっとガウは心の中で絶叫した。確かに婚約者について聞いておいて良かったかもしれないと、密かに頷いてしまうガウだった。


「あら、珍しいですわね。今日は『弟』を連れておいでなの? それにしても、あなたの父君は随分と変わり者ですわね。あなたばかりか、そんなどこの馬の骨とも解らない子供を養子にするだなんて。ああ、第一部隊に入れるほど優秀な人材ですものね、誰でも養子にしたがるというものかしら?」

 ふふんと、顎を上げて話す仕草に、流石のガウも渋面を作った。これは相当に性格に難があると、ついアーロンに憐れみの目を向けてしまう。

 だがアーロンは慣れているのか顔色一つ変えず、また何も反論をしなかった。

「まあ、だんまりですの? でも、それが出来るのも今の内ですわ。これからあなたは、地獄を見る事になるのですから。せいぜい楽しんで頂戴。あなたのせいで、あなたの両親も、私の両親も命を落とす事になるのだから」

 不敵に笑ったフィリスに、嫌悪の表情を向けたアーロンは何を企んでいるのかと探るようにフィリスを見遣る。


 だがそれも束の間、事は一気に動き始めた。


 


 ばーんっと大きな音を上げて扉が壊された。次いで、がしゃーんっとけたたましい音が辺りに響きわたる。

 大きな窓ガラスが割られ、そこから十数人の『人間』が中に雪崩れ込んで来た。


「何だ!」

「きゃーっ!」

「助けて!」


 パーティー会場は一気に悲鳴で包まれた。


「副隊長! あれは!」

「ああ、魔物だ!」

「ですが、あれは……」

 人間でしょう? と言葉にならない声でガウは問い掛けた。

 どこからどう見ても人間の姿をしている。ただ正気を失い、狂ったように暴れているだけだった。少しばかり身体を覆っている黒い瘴気はとても薄く、良く目を凝らさなければ見えない程だ。だが、ガウには魔物の気配が感じ取れる。どんなに人間の姿をしていようと、あれは間違いなく魔物なのだ。頭では解っていても、視覚から入ってくる情報にガウは全く動けないでいた。

 ガウが躊躇する中『人間』は次々と人を襲い、悲鳴だけがこだまする。

 ここに集まる他の人達には、あれが魔物なのだと解っているのだろうかと疑問が浮かんだが、それでも逃げ惑い悲鳴を上げている姿を見れば、ガウよりも余程状況を理解しているのが見て取れた。


 ガウがアーロンへと目を向けると、懸命に指示を出して最中だった。だが警備をしていた部隊はパニックを起こしているのか、全く機能しないどころか一緒になって逃げ回っている始末だ。


「……どうすれば……」


 そんな時、ガウの視界にバッと赤い鮮血が映る。次いで、床に倒れた男の姿を捉えた。


「あ……」


 腹から真っ二つに身体を引き裂かれ、血の海に横たわるその男に、ガウは力なく言葉を漏らした。

 これは、魔物がやったのか? そんな疑問が瞬時に浮かぶ。その瞬間を見ていたにも関わらず、ガウは何度も繰り返し、疑問を投げ掛けた。

 十数人いた『人間』はホレスによって次々と倒されていく。頭を割られる者、胴体を切り離される者、四肢がばらばらに飛び散る者。

 普段、魔物を相手に戦っているホレスにとって、『人間』の身体はとても柔らかく簡単に粉々になってしまう。勿論、それはホレスに限ったことではない。ガウもまた、『人間』を相手にすれば同じような結果になる。

 

 だがそれは、ガウにとって、とても信じ難い光景だった。


 人間が『人間』を殺している。ガウの目には、そう映っていた。

 そして『人間』を殺しているのは、ガウの仲間であるホレスなのだ。


「……あ……なんで……なにをしてるの? ……ホレスさん?」


 ガウの呟きなど聞こえる筈もなく、ホレスはただ任務を遂行する。本来ならば、これは第一部隊の仕事ではない。それでも、魔物を前に何もしない訳にはいかないと、ホレスはただ忠実に仕事をこなしているに過ぎなかった。




 この現実に耐え切れず、ガウはゆっくりと膝から崩折れた。







 いつの間にか悲鳴は止んでいた。

 誰もが安堵し、ホレスに称賛の言葉を浴びせ掛ける。その光景が余りにも異様で、ガウは吐き気を催した。




「ガウ、大丈夫か?」


 こうなる事を見越していたアーロンは、小さくガウへと声を掛け、肩に手を置いた。

「何が、どうなって……何故、ホレスさんが……」

「ガウ、あれは魔物だ」

 肩を大きく揺すり、言い聞かせるように言葉を紡ぐ。俯いたまま動こうとしないガウに、アーロンは辛そうに表情を歪めた。

「一度、魔物に魂を取られたら、人間には戻れない」

 それは知っているし、理解もしている。ガウは必死に自分の中で答えを見つけようと足掻いていた。





「なかなかの余興だったでしょう? 楽しんで頂けたかしら?」


 甲高い声が辺りに響き、『人間』の脅威から解放された人々からまた悲鳴が上がった。


「何を考えている!」

 いち早く反応したのはアーロンで、ガウを庇うように立ち上がり、フィリスへと向き合った。

「何も? ただ私達は、反軍事派として、この国を正しい方向へと導こうとしているだけの事。そうそう、言い忘れていたけれど、あなたのご両親も、反軍事派の一員なのよ。笑ってしまうでしょう? 息子達は第一部隊の隊員だというのに、その親が反軍事派だなんて」

 ゆったりと微笑むフィリスに、苦々しい表情を浮かべ、アーロンは唇をぎゅっと噛む。

「馬鹿な! そんな筈はない!」

 両親が反軍事派の一員であるだけならばまだしも、魔に堕ちたなどとは到底信じられなかった。

 それにはもう一つ理由があった。

「ならば、聞くが。お前は魔に堕ちてはいない。それは何故だ?」

「簡単な事よ。理性を保った者がいなくては、事は起こせないでしょう? その為の要員だと思ってくれればいいわ」

 自身の胸に手を当て、自分は選ばれし者だと陶酔しているかのような表情をする。

 睨んではくるももの、何も言い返さないアーロンにフィリスは尚も言葉を続ける。

「そんなにご両親の事が信じられないのかしら? まあ、別に、信じなくてもいいのよ。どうせそのうち解ることだもの。魔物と化した親に会えば、否が応でも信じるしかないものね」

 くつくつと喉で笑い、アーロンを見据えたフィリスはゆっくりと踵を返した。

 それと同時に、ホレスが短剣を投げつける。

 だが短剣が刺さる筈の場所が黒い霧状に霧散し、短剣はすり抜けてしまった。

「なっ!」

 驚きの声を上げたアーロンに、フィリスが不敵に笑った。

「私は魔に堕ちてはいない。でも、力は手に入れたのよ。だから、これからもっと楽しくなるわ」

 言いながらその姿を黒い霧に変えて、フィリスはその場から跡形もなく消え去ってしまう。

 

 

 後に残されたのは、無残な『人間』達だけだ。



 その『人間』達に聖水をかければ、やはり跡形もなく消えて失くなる。

 それは間違いなくその『人間』達が魔物だと言う事を表していた。


 特に何の表情も見せず、事後処理を始めたホレスに会場から詰め寄るように声が上がり始めた。


「どういうことだ! 何故オーモンド卿が魔物になっているんだ!」

「反軍事派だと? 第一部隊と反軍事派は繋がっているのか? 一体何がどうなっているんだ!」

「私達をどうするつもりよ! この国を破滅させるつもりなの!」


 一部始終を見ていた人々は、既に恐怖に呑みこまれてしまっていた。ここでアーロンは疑問を抱く。ここまで恐怖に取り付かれていれば全員を魔に堕とす事も可能だった筈なのに、何故それをせずにフィリスはこの場を立ち去ったのかと。

 ただ単に第一部隊の隊員の関係者が反軍事派を名乗り、魔に堕ちたのを知らしめる為だけの行為なのだとすれば大成功だろう。それでも本当の目的は解らず仕舞いだ。アーロンは一人苦悩するも今はこの事態の収拾と反軍事派について調べなければならないと、感傷に浸る暇もなく行動する。



「ガウ、立てるか?」

 未だ蹲るガウに、声を掛け手を差し伸べる。

 ゆるゆると顔を上げたガウの表情は酷いものだった。顔色は真っ青で今にも倒れそうではあるが、アーロンの手を取るとゆっくりと立ち上がった。

「仕事だ、ガウ」

 無情にもそんな言葉を投げ掛ける自分を、アーロンは呪いたくなった。それでも言わなければならなかった。

「ホレスと共に、反軍事派の討伐にあたってくれ」

 瞬間、ガウの顔がくしゃりと歪む。今にも泣き出しそうな表情をするガウに、再度「任務だ」と言い聞かせ、会場の着飾った紳士淑女に怒号混じりに詰め寄られていたホレスを呼んだ。

 未だ興奮している人々を適当に宥め、ホレスがアーロンの下へと足を向ける。

 それにガウは過剰に反応し、身体を強張らせた。

 先程の光景がガウの中で鮮明に蘇る。


「……人殺し……」


 呟いた言葉は、アーロンにしか届かなかった。




いつもこのような拙い小説をお読み下さいまして、本当にありがとうございます。また、お気に入り登録をして下さっている皆様にも、本当に感謝しております。

随分と酷い方向へ話が行ってしまいまして、面白くも何ともないかと思います。それでも精一杯頑張りますので、どうか最後までお付き合い下さればと思います。よろしくお願い致します。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ