彼女は死に戻り、僕は知らない罪で失恋する
努力が報われない話です。
婚約者の家に行った。
いつもどおり、王宮の庭園に咲いた花を持って。
彼女が迎えに出てこないのは初めてだ。
具合が悪く寝ているというが、寝室に通してもらった。一目無事を確認したいと、彼女のご両親にお願いして……。
「いやー、来ないで!」
婚約者は私の顔を見るなり、気絶した。
なんなんだ? 私は呆然と立ち尽くした。
数日後、彼女の家から婚約解消の申し出があった。
私は、承諾する前に話し合いをしたいと返事をする。
父上には他の令嬢でも構わないと言われたが、数年間かけて築いた関係を一方的に断たれるのは許せなかった。
彼女の家の客間で、怯える彼女を前にして、どうしてこうなったのだろうと考える。
「理由を聞かせてください。私の何がいけなかったのでしょうか」
できるだけ、穏やかに話すよう心がけた。
「きっと信じていただけないと思います」
彼女はうつむいたまま、こちらを見ようともしない。
「教えていただけないと、信じるかどうかわからないではありませんか。
このままでは、納得できません」
ため息交じりに、少々強く言ってみた。
彼女は手を握りしめ、何度か口を開いては閉じるということを繰り返した。
「わたくしは処刑されて死に戻ったのです」
「え?」
ようやく聞けた言葉は、意味がわからなかった。
意を決したように、彼女は背筋を伸ばす。
「あなたはこの先、とある男爵令嬢と恋に落ちます。邪魔になった婚約者であるわたくしに、罪を着せて処刑するのです」
「そんな、馬鹿な。ありえない」
思わず、馬鹿にしたような話し方をしてしまった。真剣な話し合いの場でくだらないことを言う彼女に腹が立った。
「本当のことですよ」
と、彼女の後ろに立っている男が答える。
使用人が主人たちの会話に口を挟むなど、最低限の礼儀もなっていないのか。
私は男を睨みつけた。
「黙れと命じますか? 俺はそれでも構いませんが、あなたの知りたいことは謎のままですよ。
というか、本当にわからなくて訊いてます?」
世慣れた風情の、色気のある男だ。不快な気持ちが湧いてくる。
「なぜ、私の婚約者の事情をお前が説明しようとするのだ」
務めて冷静な声を出した。事情がわからなければ、対処ができないと自分に言い聞かせる。
私は彼女との婚約を続けたいのだから。
「俺が『時戻し』の術をやったからですね」
余裕のある顔が、実に気に入らない。
「彼女に妙なことを吹き込んだのはお前か」
「妙なこととは心外です。
あなたは男爵令嬢と恋に落ち、次の婚約者にします。その背後にいる男爵から隣国に重要な情報を流され、国は壊滅状態になりました。
私はこの娘が気の毒になり、王家の秘宝で時を巻き戻したというわけです」
王家の宝物庫に、そのような秘宝は確かにある。だが……そんな極秘情報を、簡単に肯定するわけにいかない。
「俺は先々代の隠し子の家系なんで、王族の血が混じってるんですよ。
だから、王族の秘宝も使えてしまう」
とんでもないことを言いながら、へらっと笑って見せた。
「まあ、そんな話は置いておいて。
あなたはこのお嬢様との婚約を蔑ろにし、ひどい言葉を投げつけ、投獄し、処刑までした男なんですよ。
そんな男と婚約を続けるなんて、悲劇でしょう。
婚約を解消することが、お互いにとって最善だと思いませんか」
「……そんな。私はそんなことはしない。するはずがない」
悪夢を見たような気分だ。自分の声が弱々しくて、ぎょっとする。
「ですが、あなたの言葉は信用できないんです。
お気の毒ですが、何を言っても彼女の恐怖は拭えない。
諦めて帰るのが、彼女への思いやりというものでしょう」
「そんな……待ってくれ。
それは、私のせいか? 知らない未来の――いや、過去の話だろう」
ここで反論しなければ終わってしまう、そんな恐怖が襲いかかってくる。
「そう言われましても……試してみて、『やっぱり処刑されちゃった』じゃすまないんですよ。
納得できないかもしれませんが、どうぞお帰りください」
彼女の代わりに、忌々しい男が場を仕切っていく。
このまま帰ったら、婚約解消の書類にサインさせられる。
親同士の話はもうついているのだ。
「ねぇ、彼はこんなことを言っているけど、君も同じ意見なのかい?
婚約者として、私を信じてほしい」
腰を浮かせて、彼女の手を取ろうとする。
だって、おかしいじゃないか。先月までは、普通の婚約者同士だったんだ。
「嘘よ。信じられない。
婚約者だったことが恥ずかしいと言ったわ。本当は、ずっと嫌いだったとも。
悍ましいものを見るような、軽蔑しきった目で……もう嫌よ。
聖女アーシェだけが大切なら、最初からそっちに行けばいいじゃない!」
涙を目に浮かべながら、彼女は絶叫した。
初めて、彼女の大声を聞いた。
怒っていても可憐で、庇護欲をそそられた。
彼女の憂いを晴らそう。
そして、信用を取り戻すんだ。
半年だけ、婚約解消を待ってもらうように交渉した。
信じたくないが、アーシェという名前の少女がいるか調べた。
――いた。
彼女を養子に取るという男爵を調べさせたら、事業に失敗して、脅されてすでに情報漏洩をしていた。
証拠を押さえて、男爵を捕らえた。
近いうちに養女を迎えて、私に近付け、更に情報を集める計画を立てていたと白状した。
ということは、婚約者の妄想ではなかったのか?
国としての危険を早期に察知できた喜びと、彼女の話に真実味が出てきた絶望で、複雑な気持ちになる。
男爵家が潰されたので、そのアーシェとかいう少女は平民のまま。
貴族の学園に入学してくることはない。ほんの少し聖魔力を持っているが、聖女になるほどではないという。
可愛い顔をしているので、上目遣いで近所の少年たちにおねだりするのがうまいらしい。
これで婚約者の憂いを晴らせたと、心から安堵した。
それなのに、彼女は僕を見ると青ざめて震える。問題を解決したのになぜだ?
駆けずり回った――君のために。
両親に、もう彼女を諦めろと言われた。
諦められるはずがないだろう。
彼女を医者に診せた。
思春期特有の「悲劇に酔う妄想」ではないと診断された。
どちらかというと、戦場帰りや犯罪被害者の後遺症に近いと――。
どうしてだ?
この時間の流れの中では、婚約者を大切にしているのに。
不安の芽を摘んだのに。
彼女から手紙が来た。
「殿下が手を尽くして、誠意を見せようとしてくださったことはありがたく思います。
ですが、あのときの顔が、声が、記憶から消えてくれず、怖ろしいのです。
いつかまた他の方に恋をして、同じことが繰り返されるかもしれないと考えるだけで震えてしまいます。そんな軟弱なわたくしでは、殿下の隣に立つことはできないでしょう。
どうか、他の令嬢をお選びくださいませ」
そんなに、過去の……やり直す前の僕は醜悪だったのか?
精力的に調査に走り回っていた反動か、無気力な状態に陥ってしまった。
婚約解消の猶予期間が、もうすぐ終わってしまうのに。
そんな時に、「時を戻した男」が訪ねて来た。
自室で頭を抱えていて、ふと顔を上げたらいたのだ。
思わず叫びそうになった口を自分で押さえた。
そんな私を気にせず、男はしゃべり出した。
「どうしてあなたに記憶がないか、ずっと考えていたんです。
関係者である、彼女も僕も覚えているのに」
抑揚のない、暗い話し方だった。前回会ったときの色男のような雰囲気は、ない。
「ああ。あなた、私が怖いのでしょう?
理由もないのに体が震えたりしていませんか?」
ぎくりとした。前回も今も、変な汗をかいている。
「時を戻すなんて大それた事をするのですから、当然、対価は発生します。
なんだったと思いますか?」
嫌な予感がする。
「――あなたです。
あなたの命をちょうだいしました。
私が、あなたの心臓に宝剣を突き立て、血を聖杯で受けました。
殺された者が、犯人に感じる恐怖……魂に刻みつけられても、おかしくないですよね」
目の前にいるのは、生きた人間だろうか?
「今、あなたが感じている恐怖を彼女も味わっていると考えてください。
復縁がどれほど難しいか、わかりますよね?」
目の前が暗くなった。
そう言われてしまえば、彼女が怯えるのも当然だ。
「あなたが記憶を持っていないのは、罪悪感に耐えきれなかったからではないでしょうか。
彼女を陥れた記憶も俺に殺された記憶も、苦しくて手放した――」
男の口調が一段と低くなった。
「容姿にも才能にも恵まれた王子様。
自惚れて、輝く宝物を自ら捨てて踏みにじった愚か者」
遠慮なく、指を突きつけて私を追い詰める。
「俺はあなたが心から反省して、彼女に詫びたいと言うから協力した。
それなのにすっかり忘れて、アーシェを排除して、なかったことにしようだなんて、虫が良すぎますよ。
謝罪もせず、許されていないのに、彼女の愛を強請るなんて、とんだ恥知らずだ。
お嬢様の心の傷は癒されることなく、そのままです。こんなことなら、やり直さなければ良かった。
せめて、あなたも、誰にも癒してもらえない傷を抱えて生きてゆくがいい」
心が凍り付くようだ。
叫び出したいような、逃げ出したいような、衝動的な恐怖を必死で押さえつける。
たとえ処刑される場であっても、王族であるなら醜態は晒せない。
そう考えているのに、手足が冷えて自分の体がうまくコントロールできない。無様に震えてしまう。
ふと、どうして誰も様子を見に来ないのか不思議に思う。
ちらりと扉に目をやったことに、彼はすぐ気がついた。
「俺は一時期、王宮魔道士をやっていたことがあります。邪魔されないよう、この部屋に結界を張ってあるんですよ。
そもそも、どうやって王宮の王子の部屋まで誰何されることもなく来ることができたと思いますか?
隠し通路を使って、昔の王様が浮気をしていたからですよ。まあ、私の先祖になりますが」
男は暗い雰囲気をすっと消した。
「今はお嬢様の体調を管理する魔道士として雇われています。
お嬢様はあなたの求愛に応えられないことでご自分を責めています。人を許せない狭量な人間なのではないかと。
あなたから謝罪の一言ももらっていないのだから、許せなくて当然だと申し上げているのですけれど」
それは……!
今の自分は、過去に何をしたのか覚えていないので、謝っていないが……。
己の失態に、ざぁっと血の気が引いた。
「これ以上我々に関わろうとしないでください」
初めて会った日のように、色気をまとい、独占欲を覗かせる。
自称「王家の血を引く者」は、言いたいことを言って去っていった。
こうして、僕は、失恋した。




