バラを燃やせ
年を取った彼は劇を見るのが好きで、たびたび劇場に足を運びました。
彼は故郷を捨て、もうずいぶん長いこと世界中を渡り歩いてきました。自ら鍛え上げた一本の剣を携えて、困り事や争いがあればすかさず顔を出し、時には剣と魔法を使って物事を解決し、世の中の楽しいこと、勇ましいことは一通りやってきたつもりです。
その劇場では、毎晩のように新しい劇が上演されるのです。壮大な叙事詩もくだらないコメディ劇も、彼はとても楽しみました。また、劇伴音楽を聴くのも喜びの一つです。
一つの街にあまり長いこと滞在することのない彼でしたが、その劇場のことはすっかり気に入ってしまい、一日、もう一日とずるずる劇場のある街に滞在し続けました。
ところがある時、遠い国の王様からお呼び出しがかかりました。会ったことのない王様でしたが、「彼」の評判は世界中にとどろいていたので、珍しいことではありません。彼に血なまぐさいことをさせようとする王様はたくさんいました。またそれを、彼も殊更に拒否することはありませんでした。
船をいくつも乗り換えて大洋を横断し、呼び出された国のお城に行くと、王様は宴を開いて盛大に彼を歓迎しました。
「何でもできる、魔法の剣士というのはそなたのことかね?」
王様にそう聞かれ、彼はうなずきました。
「魔法の剣士と名乗った覚えはありませんが、そう呼ばれているようです」
「そうかそうか。実は、そなたに頼みたいことがあるのだ」
「どんなことでしょう?」
「それが、難しい事なのだが……」
彼は、胸の内でこっそり笑いました。彼にとって難しいことなど、そうそうありません。
「実は、竜がわが国を荒らし回っておる。民が困っておるのでなんとかしたいのだが、情けない話、我が騎士たちではとても歯がたたぬのだ……」
「おやすいご用です」
彼は、眉一つ動かさず答えました。そしてその夜のうちに竜の元へ旅立ちました。
竜は、自分の周りに荒々しく炎を吐いています。畑や木々が焼け、大地が弱っていました。彼は竜を殺すためにすらりと剣を抜きましたが、その巨体に突き立てる前に尋ねました。
「偉大なる竜よ、どうして炎を吐いている?」
竜は動きを止め、低い声で答えます。
「わけを話したとて、信じはすまい。眠っていた私に、人間どもがくさびを打ち込んだ。動くたびにそれが私の体を裂き、耐え難く痛い。飛ぶこともできず、私はここにいるしかないので、憎い人間への復讐のために炎を吐いている」
彼はそれを聞くと、竜の体に深く刺さったとげのようなくさびを、残らず抜いてやりました。竜はひどく痛がりましたが、最後のくさびがとれると、ほーっと長く煙を吐きました。
「ありがとう……楽になった」
彼は竜に頼みました。
「人間への復讐は、やめてもらえるか? 私も、あなたを殺したくない」
「分かった。もう故郷の北極へ帰ることにする。ここへは、食べ物を探しに来ただけだったのだ」
人々が見守る中で、竜は大きな翼を広げ、遠くへ飛び去りました。
彼は城へ戻り、事の顛末を報告します。王様はとても喜び、彼にお礼をしたいと言いました。
「しばらく、この城で好きなように過ごされよ」
その申し出を受け、彼は城に泊まりました。
真夜中のこと。誰かの叫び声で、彼ははっと目を覚ましました。
与えられた広い部屋の中には誰もいません。けれど再び、どこからか苦しそうな叫び声が確かに聞こえました。
彼はベッドから起き上がり、ろうそくに火を灯しました。そして、剣を持って部屋を出ました。暗いお城の廊下をぐるぐると、足音を忍ばせて歩きます。声は、上階から聞こえてくるようです。
彼が寝泊まりしているのは、3つもある塔の内の1つ、一番大きくて広い塔です。そこには何でも揃っていて不自由な思いをすることはなかったのですが、自分のいる階より上に行ってはならないと王様本人から伝えられていました。
元より失礼な真似をするのは好きではなかったので、その禁忌を破るつもりはありませんでした。けれど、誰かが今まさに苦しんでいるとなると話は別です。急な階段を、そっと踏み締めて登ります。
声が聞こえてくる部屋の前には、見張りがいました。「彼」が近づくと、見張りは止めようとしました。
「あなた様であっても、お通しすることはできません」
「何故だ。何か困っているのなら、力になろうと思って来たのだ。中にいるのは誰だ?」
「さる位の高いお方です」
ちょうどその時、また叫び声がはっきりと聞こえました。近くまで来て、やっと分かりました。女の声です。
彼女は、こう言っていたのです。
「バラを燃やせ!」
その叫びを聞いた彼は、見張りの男に言いました。
「私は、このお城のどこへ行ってもよいと、陛下にお許しをいただいている」
それを聞いた見張りは、迷いました。彼の言うことは正しいかもしれませんが、王様にそれを確かめるには長い時間と勇気が必要なのです。
彼は見張りにささやきました。
「何か叱られたら、私が君を脅したのだと言うがいい」
そこで見張りはしぶしぶ、部屋の扉を開きました。
部屋の中は真昼のように明るく、それまで暗いところにいた彼は当惑して瞬きをしました。壁にずらりと明かりが灯っています。ただそれは本物の火ではなく、その頃発明されたばかりの豆電球でした。
「燃やせ!」
強烈な叫び声に頬をぶたれたかのような衝撃を受け、彼は思わず剣を構えました。
部屋の奥に、一人の老女が立っています。腰まである銀髪を盛んにふりたて、彼女は「彼」が入ってきたことにも気づかないように天井をまっすぐ見上げています。足元には、バラバラに千切れた赤い花びらが散っていました。
両手を胸の前で組んだり、かと思えば宙を掴み取るかのようにぱっと伸ばしてみたり、奇妙な動きを繰り返す老女__彼はしばらく呆気にとられてその様子を眺めていました。
老女は叫びました。
「バラを燃やせ! バラを燃やせ!」
見張りが、彼にささやきます。
「ご覧の通り、あの方は気が触れているのです。どうか、そっとしておいてくださいませ」
その声が耳に入ったのか、老女がこちらを向きました。らんらんと輝く瞳に見つめられ、見張りはぴょんと飛び上がって逃げて行きました。
彼は部屋の扉を閉め、老女に近づきます。
「あなたの望みは、バラを燃やすことなのだな」
彼がそう問いかけると、老女はまた言いました。
「バラを燃やせ」
「いいとも」
彼は剣を鞘から抜き、片手で構えながら老女にもう片方の手を差し出しました。
「バラを燃やしに行こう。私の名はボレロ、あなたは?」
老女は目を丸くしています。
「バラを……」
「そうだ。あなたの望をかなえてあげよう。だが、ここにいたままでは燃える様子も見ることができないだろう?」
彼が剣を振ると、窓を厳重に閉ざした鎧戸が、音をたてて砕けました。開け放たれた窓から夜風がごうごうと吹き込みます。風にあおられた髪を押さえながら、老女がほんの少しだけ、口元に笑みを浮かべました。
「行こう!」
彼は老女の手を取り、窓の桟に足をかけました。そのまま飛び出すと、危ない、落っこちる__いいえ、二人は空を飛んだのです。剣の先を月の光が伝い落ち、しっかりと握った手から手へと魔法となって広がりました。
風に乗りながら、老女ははじめて別の言葉を発しました。
「こんなの、夢に決まっている!」
ボレロは笑います。
「夢だと思うだろう。ところがそうではないのだ。全て、現実さ」
「いいえ、夢に違いないわ。__私の身にこんな幸せなことが起こるなんて!」
老女を振り向いた彼は、おやと思いました。びゅんびゅん吹きつける空の風のさなかにあるのに、彼女の顔はとてもおだやかだったのです。
一番高い塔の屋根に降りて、ボレロは老女の話を聴きたいと言いました。
「私は物心ついた時から、ずっとあの部屋に閉じ込められていた」
老女が静かに語ります。
「私の名は、ロサ。父は、先の王の弟。だが、私が生まれてからすぐに、父も母も反逆罪を着せられて殺された。以来、私は王家の厄介者として、塔の中で育った」
「何故王は、あなたを殺さなかったのだろう?」
「さあ、分からない」
「バラを燃やせと言うのは?」
「今の王が、毎日バラをよこす。真っ赤な、美しいバラを。私が塔に閉じ込められている間にも、私への嫌みのためだけにバラが大切に育てられている!」
つかの間、ロサは部屋にいた時のような狂気の表情を見せました。
「あの忌々しいバラを王の前で燃やしてやれたら、どんなに胸がすくだろう。バラを見るたびに吐き気がつのる。胸が裂けそうになる! バラも私も、王たちの手の中で生かされているのだと毎日思い出させるために、王はバラを慈しむのだ」
ロサは、遙か下に広がる都を見下ろし、ぼんやりとつぶやきました。
「塔の外がこんな風だったなんて、何一つ知らなかった……」
「あそこで暮らしてみたいかね?」
彼女は首を振りました。
「私はこんなに年を取ってしまった。もう、他の場所では生きていかれないと見張りがいう」
「あんなつまらない奴の言葉に耳を貸すな」
ボレロは屋根の上に立ち、ロサの手を優しくとりました。
「バラ園へ行こう。思う存分、バラを燃やすのだ。ロサ、あなた自身の手で」
バラ園は、静かでした。今は庭番もベッドで眠っています。ボレロはロサに火の点いたマッチを握らせました。
ぱっ、と彼女がマッチを落とすと、火はまたたくまに燃え広がりました。赤いバラの花が黒焦げの炭となり、けむりがもうもうと立ち上ります。
ボレロがロサの顔を見ると、彼女は火をじっと眺めぼろぼろと涙をこぼしていました。
「願いは叶ったか?」
尋ねると、ロサはうなずきます。
「叶った。だけどこれからは、私は何を楽しみに生きていけばいいのだろう」
ボレロはその時やっと気がついたのです。彼女がちっとも嬉しそうではないことに。
「私の生涯をかけた願いが、叶ってしまった……」
「新しい願いを見つけたらいい」
ボレロは慌てて言いました。それは、そう難しいことではないと思っていました。ボレロが出会った人は大抵、次から次へと願いや夢を思いつく連中だったからです。彼らのために、剣とボレロはいつも願いを叶えてやりました。近頃では、それに少しうんざりしていたところでもあったのです。
「新しい願い?」
ロサは、乾いた唇をゆがめて、ボレロを笑います。
「そんなもの、今の老いた私には見つけられない」
火事に気づいた兵士たちが駆けつけてきます。そして、燃えるバラ園の中にいたボレロとロサを捕まえ、王の下へ連れて行きました。王はボレロから剣を奪い、地下牢へぶち込んでしまいました。
ロサはきっと、元の部屋に連れ戻されたのでしょう。ひどい思いをしていないといいが、と狭い牢の中でボレロは思いました。牢の中にじっとしているのはひどく退屈です。壁に自分の名前を彫ってみたり、これまで見た演劇を思い返してみたりして、数日そこで過ごしていたボレロですが、やがて耐えられなくなり、静かに立ち上がりました。
「ロサと、この城を出て行こう」
ボレロはそう、ここにはいない剣と自分自身に宣言します。
「私の友よ、力を貸しておくれ」
そう呟くが早いか、剣はちゃんと手元にもどってきてくれました。
牢破りをするのは、簡単でした。鍵を開け、牢番を眠らせ、塔の見張りを出し抜き、あっという間にボレロはロサの前にやって来ました。
ロサは、部屋の中でぼうっとしています。
「ロサ」
呼びかけると、彼女はゆっくりと顔を上げました。
「ああ、あなた……」
覇気のない声でした。バラを燃やせと叫んでいた時の方がよかったとボレロは思いました。
「早く逃げた方がいいわ。きっと王は、あなたを殺すつもりだから」
「それか、今度は地下に閉じ込めるかね」
ボレロは笑います。
「そうしたら今度は、私に百合でも贈ってくれるだろうな。そして私は叫ぶんだ。『百合を燃やせ!』と」
ロサが、小さく笑います。ボレロは、床にひざまずき、ロサの手を取りました。
「自分は年を取ったと、あなたは何度も私に言った。では、時を戻して差し上げようか」
ロサは一瞬目を見開き、首を振りました。
「そんなこと、できっこない!」
「私にできないことなど、何もない」
そう言って、ボレロは今までで一番強い願いをこめて剣を振るいました。きらきらと輝く白銀の刃が、ロサにわずかな風を送ります。
まばたきをするうちに、ロサの髪は黒づき、肌はなめらかに、そして目はいきいきと輝き始めました。
ボレロが鏡を見せると、ロサはおどろきます。豊かな黒髪の乙女が、そこにいたのですから。
「まさか……そんな」
「夢ではないぞ」
ボレロはロサをからかいます。
「これから私は知らない国に冒険をしに行くが、あなたはどうする? ここに残るか、それとも……」
言い終えないうちに、ロサはボレロの手をとりました。二人は再び、空へと飛び出していきました。
数年間のうち、ボレロとロサは良き仲間として世界中を旅して回りました。けれど、彼らは次第におかしなことに気がつきました。
ロサの身長が、どんどん縮んでいくのです。それから、顔もどんどんあどけなくなり、会話もいっそう無邪気に、分別なしに__。
「まさか、私の魔法が失敗したのだろうか?」
心配になったボレロは、すっかり少女のようになったロサをかかえ、竜の元へ相談にいきました。
竜はボレロを恩人として歓迎しましたが、ロサの話を聞くと重苦しい声でボレロに言いました。
「魔法は、失敗したのではない。効き過ぎているのだ。そなたは、この娘の時間がもどるようにと魔法をかけたのだろう?」
「そんな……!」
ボレロは青くなり、魔法を解こうとしました。けれど、魔法の解き方を知らないことに長い人生ではじめて気がついたのです。
試行錯誤し、悩み苦しむボレロに、幼いロサは言いました。
「ボレロ、泣かないで。あたし、しあわせ。とっても」
「いいや、まだだ。本当はこんなものではなく、もっともっとこの先幸せになってほしかったんだ……」
ボレロがそう言った時、赤ん坊のロサは眠っていました。
ロサはどんどん小さくなり、やがて一つのきらきら光る星になってしまいました。その星を大事に袋に入れ、守ろうとするボレロに、竜が言いました。
「魔法を解く方法が__一つだけ、あるかもしれない」
「どんな方法だ!? 教えてくれ!」
竜は考え考え、剣とボレロを見比べながら言いました。
「剣を壊すか、魔法をかけたそなたが死ぬか。そのどちらかだ」
ボレロは一瞬言葉を失いました。
袋をのぞきこむと、ロサになるはずだった星がまたたいています。星が生まれる前までもどってしまえば、塵となって消えてしまうでしょう。
それは、ボレロにとって耐えがたいことでした。
「魔法をかけたのは私だ。私が魔法を終わらせる」
ボレロはそう言いました。
「魔法を解いたら、ロサはどうなる?」
竜はまた少し考え答えました。
「おそらく__また時が正常に動き出し、命が始まる」
「そうか」
ボレロは笑いました。竜には、それが泣いているように見えました。
「魔法が解けたら、星をどこか遠い国に落としてくれないか。ロサが__いや、ロサだった命が、全く新しい人生を歩むことができるよう」
「引き受けた。名前は決めておきたいか?」
「カノン__いや、何でもいい。彼女の親が、決めるだろう」
竜と別れ、ボレロは最後の旅へと出発しました。思い出すのは、何十人もの人生を次々に映した、あの素晴らしい劇場でした。
「私の命を終えるのにふさわしい場所があるとすれば、それはあそこだ。劇場へ行こう、我が友よ。急がなければ、ロサがまた旅を始めることができるように」
ボレロの大切な剣は、相変わらず静かにきらきらと輝いていました。




