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夢魔

「やっぱり加賀魅君だ!久しぶりー!」


華やかな女性は、高揚した様子で加賀魅先輩の前に来る。

しかし先輩の顔は青ざめていて、言葉になりそこなった声が喉から少し漏れていた。


「えっと……お知り合い、ですか……?」


私が恐る恐る尋ねると、女性は初めてこちらに気付いたと言わんばかりに丸い目を向けてくる。


「そうだよ、元々加賀魅君がバイトやってたとこの店長だったの。あなたは彼女?」


答える前に、加賀魅先輩は食い気味に「友達です」と返す。


「あ、だよね?なんかさ……」


女性は、私の体を舐めまわすように見る。

その視線は気持ち悪くて、思わず身じろいでしまう程だった。


そして震えた声で「全然釣り合ってない……」と呟いた後、

「全然釣り合ってないもんね!足ふっといし、バッグでかいし、全部が芋って感じ。」

と堰を切ったように捲し立てる。


私は唐突に悪意を向けられ、一瞬何をされたのかわからないほど動揺してしまう。


(初対面の人に……すっごいディスられた……?)


「ねえ加賀魅君、なんで連絡返してくれなくなっちゃったの?バイトも急に辞めちゃうしさあ……相変わらず細いんだから。ちゃんとご飯食べてるのー?作りに行ってあげよっか。」


女性は半ば硬直気味の加賀魅先輩の腕にスーッと指を滑らせながら言う。

加賀魅先輩の体は触れられた瞬間びくりと震えていて、その目はすりガラスのように曇っていた。


「あの……前から言ってますけど、そういうの、必要ないです。」


「じゃあ海外旅行とか興味ない?隣のそれも誘っていいからさ。お金なら私が全部出してあげる!そうだ、ブランド物の服だって……!」


異様な様子で捲し立てる女性の表情は、明らかに冷静な人のそれではない。

まるで何かに狂っているような……妙な状態だ。

その様相は、以前目撃した加賀魅先輩に迫る女生徒を彷彿とさせる。


(モテるっていうか、狂わせてるって域じゃない……!)


加賀魅先輩は限界だったのか、「すみません、もう行きますね。」とだけ断ると私に目配せしてから公園を離れようとした。


しかし、女性は

「待って!」

と叫び先輩のバッグを掴む。


「なんで相手にしてくれないの!こんなブスより私の方が可愛いしお金もあるのに!」


鬼のような剣幕で迫る女性。彼女の鼻の上には、くしゃりと皺が寄っていた。


「……離して下さい、迷惑なんで!」


加賀魅先輩が珍しく強い言葉を口にして彼女の手を振り切ると、その白い手は先輩の頬に向かい、思い切り衝突した。


「何よ!子供だと思って下手に出てたら調子に乗って!あんたは私の言うことだけ聞いてたらいいの!」


私は、喚く女性を軽く突き飛ばすと

「いい加減にしないと警察呼びますよ。」

と吐き捨てる。


――別に、ブスと言われ腹が立ったわけではない。

隣で微かに震えながら、いざただの生意気な後輩が侮辱されたら立ち向かえるこの男の心意気を買ってやっただけだ。


呆然と立ち尽くす加賀魅先輩の手を引くと、私はさっさと公園を離れる。


途中、加賀魅先輩が何かわあわあと声を掛けてきたし、手を振りほどこうとしていたが、私は思ったより注目されてしまったことやかっこつけてしまったかもしれないという羞恥心で頭がいっぱいで、それどころではなかった。


……


「茂木さん、止まって!」


加賀魅先輩の大きな声で、やっと我に帰る。

大声を出し慣れていないであろう彼の掠れた声が、私の足を止めた。


(やば、どこだここ……)


気付くと私は加賀魅先輩の手を引いて河川敷まで来ていたらしい。

完全に散り切った桜の花びらが川の上に浮いていて、少し幻想的だった。


正気に戻ったことで初めて伝わる、少し汗が滲んで冷たくなった加賀魅先輩の手の感触やごつごつとした骨感に思わず動揺して手を離す。


「す、すみません!馴れないことをしてしまったもので……!」


少しだけドキドキしている私とは裏腹に加賀魅先輩の顔はまるで取り返しの付かないことが起こってしまったと言わんばかりで、色は土色に変わり、眉が下がり切っていた。


「ごめん……俺、ボーっとしてて……!だ、大丈夫?触っても問題なかった?」


心配そうに確認する加賀魅先輩を見ながら、私は首を傾げる。

もしかして、セクハラになってしまわなかったかどうかを気にしているのだろうか?

それとも、あの女性とのいざこざに巻き込んでしまったことへの心配?


「全然大丈夫ですけど……それより先輩の方がやばくないですか、ほっぺ真っ赤ですよ。」


私に言われて、初めて加賀魅先輩は殴られた右頬に触れる。


「痛い……熱いし。」


加賀魅先輩がそう呟くので、私は仕方ないなと言わんばかりに息を吐くと、おもむろにバッグから水を取り出し彼の頬に当てた。


「わ」


「……こういうことができるので、でかいバッグも捨てたもんではないでしょう。」


得意げににっかり笑うと、加賀魅先輩は少し目を見開いた後少し安心したように目を細め

「なあ、店長が言ってたことだけど。」

と呟く。


「え?ああはい、何か色々言ってましたね。」


「俺は茂木さんの方が可愛いと思う、いやほんとに……足も太くないし、バッグだって芋臭くないし……気にすんなよな。」


(惚れられたくないと言う割にこういうこと言うんだから、この人の業は深いな。)


「あのね先輩、前から言おうと思ってたんですけど……ただの友達にそういうこと言っちゃうから勘違いさせちゃうんだと思いますよ。

安易に誰にでも調子のいいこと言うの、やめた方がいいと思いました。

変な輩が二度と現れないように、生意気な後輩からアドバイスです。」


「……別に……誰でも褒めるわけじゃないんだけど……」


私の忠告を聞いて少しムッとしたように目を逸らし、加賀魅先輩はそう反論する。

この調子だと全て無意識なのだろう。


「あのさ、本当に冷静だね……俺の手、触ったのに。」


加賀魅先輩がおどおどとした様子で言い放つ。

当たり前だ、人に触った程度で変化など起きるわけがない。


「毒があるわけでもあるまいし、当然かと思いますが。」


不思議に思いながら答えると、加賀魅先輩はふいに頬を冷やしていた私の手に触れる。


「え!?あの……!」


「そんな人……いるんだ。何で?もしかして体質……?そっか、俺に触っても茂木さんは平気なんだ……」


あまりに嬉しそうに微笑むので、私は面食らってしまう。

――そういえば忘れかけていたが……加賀魅先輩に触れられると惚れてしまうという話はかなり有名だ。


もしかして、あれは噂ではなく、真実なのだろうか……?



「また誘うから、遊んでね。」


駅でご機嫌に言う加賀魅先輩を見送りながら、頭を悩ませる。


本当にただ触れるだけで女性を魅了してしまう存在……それが実在するのであれば、確実に人間ではない。


私は家に帰宅すると、料理に夢中になっている母の背後から声を掛ける。


「ねえ、お母さん……」


母は声を聞くなり包丁を握っていた手を止め、「うわ!帰ってたの!?」と声を上げた。


「あのね、また教えて欲しいことがあるの。例えば話したり触ったりするだけで相手を惚れさせちゃう魔者っているのかな?」


尋ねると、母は少し上を向いてから

「ええ……?そうねえ、夢魔なら或いは……」

と答える。


「夢魔?それってどんな魔者?」


「夢魔は人の夢に出てきて……」


母はそこまで言いかけると、急に黙り込んでしまう。


「え、出てきて……なんなの?」


「まあ、夢魔なんてかなり珍しい種族だし知らなくていいわ!あ、桃ちゃんお風呂入って来たら?疲れたでしょ。」


まるで誤魔化すかのように話題を逸らす母。

その目は泳いでいて、何か口にしてはいけないことを口に出しそうになったような危うさを感じられた。


母の態度を不思議に思いながらも、私は促されるまま風呂場へと足を向ける。


(夢魔……少し調べてみる必要があるかも。)


そんなことを考えながら、私は温かい湯に浸かったのだった。

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