逃げない桃子
これは、8歳の頃の記憶。
夕暮れの公園で、遥が道に座り込んでいる。
「遥、帰るよ。」
「……疲れたの。」
いくら声をかけても遥はその一点張りで動かなかった。
今思えば帰り際に出る「疲れた」はただの口実で、まだ帰りたくないという彼なりの甘えだったのかもしれない。
「おんぶしてあげよっか。」
そう言って遥の手を引くと、遥は私の背中におぶさる。
遥の身体は嘘みたいに軽くて、とても人を運んでいるとは思えない程だった。
「……桃ちゃん、ここまでするくらい僕のこと好きなの?」
私の肩に手を回して、遥がご満悦気味に言う。
「そうかも。あとほっとくわけにいかないから。」
そう答えると遥は腕に力を入れ「そうなんだぁ……」と言って笑う。
遥にとって、「何かしてもらう」ことが愛情表現で、私が姉のように面倒を見る度嬉しそうだった。
本当に、本当に可愛かった私の友達。
その遥の人生を、これ以上壊してはいけない。
……
授業が終わった後、遥に【返事、したいから公園に来て。】とメッセージを入れる。
意を決して公園に足を運ぶと、そこにはスマートフォンの画面を見つめる遥の姿があった。
遥はこちらに気付くと、嬉しそうに手を振る。
(もう、逃げちゃダメ。)
息を飲みながら遥の前に来ると、私は深呼吸をした。
「……遥、昨日の返事だけどね。やっぱり私、あなたとは付き合えない。」
その一言で、遥の笑顔が消え去ってしまった。
「……やっぱり……弱い俺と一緒にいるの、嫌?」
悲しそうに呟く遥。
「違うんだよ遥……!あのね、私はそもそも遥が嫌になったから一緒に遊ばなくなったわけじゃないの。」
真剣に言い放つと、遥は「え……」と声を漏らした。
「あの日、遥が倒れた後……遥のお母さんに遥の病気について教えてもらって、言われたの。『もう遥に近づかないで』って……だから、距離をとった。
……私のうっかりで遥が死んだりしたらって思うと、怖くて……」
遥はそれを聞き、呆然とした顔でこちらを見ている。
当然だ。彼にとって私の告白はかなりショッキングなものだろう。
「でも、母さんは桃ちゃんが俺のこと嫌いになったから遊ばなくなったって言ってたのに……」
遥は驚いた様子でそう口にする。
「多分だけど、また遥が危険な目に遭わせたくなかったから、私を遠ざけたんじゃないかな……」
「何……それ……じゃあ俺の今までの努力は、無駄だったってこと?」
「違う……!遥の努力は無駄になんかならないよ!
今日から身につけた力を私のためじゃなくて自分の為に使って欲しい。
もう自分の人生だけに集中していいの。」
静かに告げると、お互いが暫し沈黙して、風の音だけが公園に残る。
そして、遥の目から光が消えたかと思うと――彼はゆっくりと口を開き
「は?言われなくてもそうするし。何様なの?お前。」
……と呟いた。
「えっ!?」
吐かれたセリフの落差に、思わず遥の顔を見る。
彼の顔は退屈そうで、いつもの子犬みたいな遥の面影を感じさせない。
「なーんだ、結局母さんが裏で糸引いてたってオチかよ……ていうかさぁ、よく考えたら放課後部室の扉眺めてるだけの変な女に気に入られようとしてたの?アホくさ。」
遥は言いながら爪に視線を落とす。
いつもの優しい王子様とは打って代わり、あまりの粗暴な態度に驚愕し、唖然とする他ない。
「あのー……遥さん、だよね?」
恐る恐る尋ねる。
遥は爪に目線を落としながら「そうだけど何?あんまり見てると閲覧料取るよ。」と吐き捨てる。
――まさか……
―――まさか、この男……!
猫を被っていただけで、本性は昔と変わってないのでは!?
空いた口が塞がらないまま言葉に迷っていると、遥は「ストレス凄いし甘いものでも食べに行こーっと。あ、桃ちゃんは学校に戻って扉でも眺めてなよ。」と言い捨ててどこかへ消えていった。
……何か……大事なものを失った気がする。
私は軽い頭痛に苛まれながら学校に戻ったのだった。
★ ★ ★ ★
呆然と部室に入ると、朱天君と加賀魅先輩が何やら話し込んでいる。
どうやら朱天君が先輩に勉強を教えているようだった。
加賀魅先輩は私に気付くと「茂木さん、おつかれ」と言ってくれる。
「おっす茂木。……あれ、なんか2人ともちょっと仲良くなった?」
朱天君が頬杖を突きながら言うと、加賀魅先輩は得意げに「まあね」と答えた。
私は特別仲良くなったとは思っていないのだが……加賀魅先輩の距離感が明らかにバグっていると言う他ない。
「へー、本当に俺たちと仲良くする気あったんだ。……なあ、じゃあ俺とも仲良くしてよ。」
朱天君の言葉自体は好意的だが、その試すような視線には何か裏を感じさせた。
「仲良くって何……」
青い顔でそう返すと、朱天君はトランプを棚から持ってきて机に置く。
「ひと勝負いこうじゃん?」
困惑していると、加賀魅先輩が「鬼丸は勝負が好きなんだよ、主なコミュニケーションは競走だから。」と補足してくれる。
勝負好き……?朱天君は確か文武両道で、ピアノやらゲーム大会の受賞歴もあると聞いた。
そんな男が勝負を挑んだって周りは降参するか負けるだけ。
まさかこの男、自分より弱い人間をいたぶるのが好きなのだろうか?
じっとりと睨みながら警戒していると、加賀魅先輩に「座ったら?」と促される。
部室の長いテーブルを使ったのはほぼ初めてかもしれない。
私は両隣をちらちらと見ると、少し緊張しつつ腰を下ろした。
「初めはポーカーとか運要素強い方がいっか。」
朱天君は言いながらトランプを取り出すと、3枚手札のポーカーのやり方を親切に教えてくれる。
(あれ……?意外と……)
その後も朱天君と加賀魅先輩は、私の手を見ながらアドバイスしつつゲームを進めてくれた。
「陽キャだから関わりたくない」と今まで壁を作っていたが、この2人……意外といい人たちのようだ。
(誰かさんとは違って……)
私は朱天君たちのアドバイスもあって、かなり楽しくカードゲームに没頭できた。
……
暫く3人で遊んでいると、かなり日が落ちてきていることに気付く。
「そろそろ帰るか。また勝負しような、茂木。」
朱天君はそれだけ言うとさっさと部室から出ていってしまう。
「……結構いい奴でしょ?あいつ。友達多いんだよ。」
朱天君を見送った後で加賀魅先輩が言う。
「そうですね、もっと意地悪な人かと思ってました。」
「鬼丸、多分部員の中で1番優しいよ?頼めば勉強教えてくれるし、困ってたら助けてくれるし。
俺昔、怖い先輩に絡まれたのを鬼丸に助けて貰ったんだー。」
傍から見ていたら絶対に分からなかった情報だ。
今度からはもう少し朱天君にも話しかけてみよう。
そんなことを考えていると、ふいに加賀魅先輩が耳に顔を近付けて
「それより明日、忘れないでね。」
と呟く。
顔を真っ赤にしながら振り向くと、私の表情を見て加賀魅先輩が複雑そうな顔をする。
「どうしたの?顔赤いけど。」
(今の、無自覚でやってたの!?あんなの誰だって意識するでしょうに……?)
「夕焼けの色が反射してるだけです、自意識過剰なんじゃないですか!?」
私はそう言い捨てると加賀魅先輩の前に部室の鍵を置き
「これにて失礼!」
と不機嫌に声を上げる。
とてもじゃないが、少しドキッとしてしまったことを自分でも認めたくなかった。
距離が近い割に、いざこちらが意識すると残念そうな顔をして……やはり、加賀魅先輩はM気質なのだろうか?
明日の行方が思いやられる、そんなことを考えながら私は帰宅したのだった。




